第二十四話 結婚式
結婚式当日、レシエムは新郎のリヒトとともに、新婦フリーダの控え室を訪れていた。フリーダは、白地に柔らかな青で縁取られた花嫁衣裳に身を包み、長い髪を結い上げている。誰が見ても、今日の彼女を美しいと思うに違いない。リヒトも、今日ばかりはフリーダのことを「綺麗だ」と、素直に誉めた。フリーダと礼装のリヒトが並んでいると、まるで一枚の絵のようだ。
その光景を見て、レシエムは目を細める。
(本当に、良かった)
紆余曲折はあったが、彼らがこの日を迎えることができて良かった。感傷を振り払うために、レシエムは尋ねた。
「そういえば、店主はどうしたのだ? 姿が見えないが」
フリーダは笑う。
「父さんなら、ぎりぎりまでここにはこないそうよ。……分かんないわねえ、男って。どうせ、すぐに一緒に暮らすことになるのにね」
「察してやれよ。しばらくは今まで通りに生活するっていっても、一人娘が嫁にいくんだ。感慨深いもんがあるんだろ」
リヒトが神妙な顔をする。フリーダは相変わらず首を傾げていたが、急にレシエムのほうを向く。
「それより、リベアティアさんはまだ? わたし、この前はろくにお礼も言えなかったから、早く会いたいのよ」
「欠席の連絡はなかったから、そろそろきてもいいはずだが……」
レシエムは不安になった。オルーフに馬車を伴わせ、彼女を迎えにいくよう指示してあるが、急に具合が悪くなったということも考えられる。
(まさか、俺に会うのが気まずくなったのだろうか)
求婚するのは、リヒトとフリーダが結婚式を終えてからにするべきだったかもしれない。レシエムが今更後悔していると、控え室の扉が勢いよく開いた。
オルーフだった。彼は控え室の中を見回すと、呆気に取られている三人に、急ぎ足で近付いてきた。普段は動じないオルーフが、かなり焦っている。
「若、伯爵令嬢は、こちらにいらっしゃったか?」
「いや、まだだ。一体どうしたのだ? 王宮で彼女に会えなかったのか?」
レシエムが畳みかけるように訊くと、オルーフは呼吸を整えながら答える。
「王宮にいったら、姫君は留守だった。同僚の女官によると、俺が到着する一時間以上も前に、外出なさったそうだ。知人の結婚式に出席する、と明言した上で。ここにくる途中も捜してみたが、それらしい姿は見当たらなかった」
「まさか……誰かに誘拐された、とか?」
フリーダが声をひそめて発言し、レシエムは不安のどん底に突き落とされた。寒気のする手足を鼓舞し、扉のほうに歩き出す。
「……捜してくる」
「待て、若。手がかりもないのに無謀だぞ」
オルーフの制止の声が聞こえた。
レシエムは足を止めた。そうだ。リベアティアがどこにいるかも分からないこの状況で闇雲な行動をとっても、かえって事態を悪化させるだけだ。リベアティアは単に道に迷っているだけかもしれない。
(しかし、一体どこに……そもそも彼女はなぜ、迎えを待たずに出発したのだ?)
「……ちょっと待て。レシエム、お前、彼女に迎えをよこすことを伝えたのか?」
リヒトの質問に、レシエムは思考を切り替えた。国王夫妻の別居騒動が解決したあの日以来、レシエムはリベアティアに会っていない。彼女が答えを出すまでは、会わないほうがいいと思ったのだ。そういえば、招待状を渡した時、自分は仔細を彼女に伝えただろうか。レシエムはおもむろに振り返る。
「……いや、言っていない。というか、今まで、すっかり伝えた気でいた……」
リヒトが呆れたように溜め息をつく。
「それだ! それで入れ違いになったんだよ。全く、お前は変なところが抜けてるなあ」
「でも、単に入れ違いになっただけなら、もうとっくに着いてるはずよ。いくら女の足でも、王宮からここまで、一時間もかかる?」
フリーダの指摘に、レシエムは再び考え込む。やはりリベアティアは迷子になっているのだろうか。道に迷いやすい人間というのは確かに少なくない。だが、リベアティアは地図を正確に読むことも、記憶することもできた。いくら彼女がステラエ市内の一人歩きに不慣れだからといって、日中に迷子になるというのは不自然だ。
この神殿が見付けにくいのだろうか。いや、他のナヴナト神殿に比べれば、塔も高く、遠くからでも目に付きやすいはずだ。
そこまで考え、レシエムはあることに気付いた。すかさずリヒトたちに問う。
「おい、海神ナヴナトの神殿はステラエ市内にいくつある? ここを含めて、最低二宇はあったはずだ」
弾かれたようにオルーフが革帯から地図を取り出し、食い入るように眺める。
「あるぞ。ナヴナト神殿はここを合わせて、市内に三宇もある。ここから北西の神殿と、真東にある神殿だ。さすが港街だな」
オルーフの地図を引ったくり、レシエムは神殿の位置を急いで確認した。反省するようなリヒトの声が聞こえてくる。
「……俺の招待状の書き方が悪かったかなあ。リベアティアさんには分かりにくかったのかも。ステラエ市中のナヴナト神殿で結婚式を挙げてくれるのは、ここだけなんだが」
「あんたの常識は世間の非常識なのよ。こんなことなら、招待状はわたしが書くべきだったわ。あんたには絶対、店の献立は書かせてやらないから」
「頼まれたって誰が書くかよ。あんなしち面倒なもん」
リヒトとフリーダの会話を聞きながら、レシエムは招待状の中身を読み直す。式場の説明は「ステラエ港近くの海神ナヴナト神殿」とある。この神殿も、ここから真東にある神殿も、地図の上ではステラエ港の近くだ。おそらくリベアティアは、東の神殿を地図上に見付けた時点で、式場はここだ、と思い込んでしまったのだろう。
レシエムはオルーフに指示を出す。
「東にある神殿には俺がいく! オルーフは北西を当たれ! それでも見付からなかったら、いったんここに戻ること! いいな?」
「御意、閣下」
余裕を取り戻したのか、オルーフはわざとらしくかしこまってみせた。それを咎める暇すら惜しく、レシエムは地図を投げ捨て走り出した。
リベアティアは半泣きになりながら、ナヴナト神殿の壁に寄りかかりそうになった。時間に余裕を持って出発し、地図を頼りに神殿を目指してきたものの、中に入ると、「結婚式など当神殿では行っておりません」と言われてしまう始末だ。
どうやら、ナヴナトを主神として奉ってある神殿は他にもあるらしい。地図でその場所を確認したリベアティアは、ますます気落ちしてしまった。ナヴナト神殿は他に二宇もあり、その方向はばらばらだ。全てを巡る事態になろうものなら、確実に結婚式には間に合わなくなる。
招待状を何度も見直してみると、ここから真西に位置する神殿が怪しいようだ。しかしどうしても、また間違えてしまったらどうしよう、という心配のほうが先立ってしまう。
(どうしよう。せっかく、リヒトさんたちが、わたしを招待してくれたのに……)
レシエムへの返答が、ようやく導き出せたのに。
いったん、王宮に戻ってみようか、それとも、だめで元々、神殿を捜してみようか。「海豚亭」にいけば、神殿の場所を教えてくれるかもしれない。だが、今日はフリーダの結婚式だ。店内に人がいるかどうかは分からない。
こうして迷っていても、問題の解決にはならない。西の神殿にいってみよう。
ようやく思い切り、リベアティアは歩道を歩き出した。
「リベアティア!」
懐かしい声に、リベアティアは地図から顔を上げる。前方から、レシエムが走ってくる。黒い礼装で、わき目もふらず。よく見ると、あの剣帯を身に着けている。リベアティアの前で立ち止まると、レシエムは息を切らしながら、さらに二人の距離を縮めた。
「レ、レシエム、ごめんなさい。結婚式、もう始まっちゃった……?」
怒られるのだろうな。そう思いながらも、レシエムへの申し訳なさが一杯で、リベアティアは謝らずにはいられなかった。予想は外れた。
「……いや、まだだ。俺たちが到着するまで、待っていてくれると思う……それに、俺のほうが悪い。迎えをよこすことを、君に伝え忘れた。おまけにナヴナト神殿が複数あることすら、把握していなかった。完全に俺の手落ちだ。すまない」
息を整えたレシエムは、うなだれるように頭を下げた。少し乱れた金髪が、頬に落ちかかる。
リベアティアは膝から力が抜けそうになった。張りきりすぎて早めに外出したことが、仇になったというわけだ。ここまでいき違ってしまうと、かえっておかしい。リベアティアは声を出して笑ってしまった。
レシエムは途端に不機嫌そうな顔になる。
「……何がおかしい。人がせっかく謝っているのに」
「ごめん。もうここまでくると、笑うしかないなと思って。いきましょう。リヒトさんとフリーダさんにも謝らないと。立会人が二人ともいないなんて、とんでもないわ」
「ああ、二人とも心配しているぞ。それに、オルーフも」
「オルーフ卿が王宮まで迎えにきてくれたの? ……悪いことしちゃったわね」
「奴も事情は承知している。気に病むことはない」
二人は並んで歩き出す。リベアティアはレシエムの横顔を見上げる。言うなら今しかないかな、と思った。
「あのね、この前の返事だけど」
レシエムの顔に緊張が走る。彼が頷いたので、リベアティアは続きを言った。
「わたし、レシエムと結婚する。わたしと上手くいきそうな男の人なんて、あなた以外、思い付かないもの。それにね、わたし、レシエムのこと、好きみたいだから」
レシエムの瞳に驚きと喜びが同時に閃き、やがて、徐々に複雑な色が表れ始める。
「……好き『みたい』とは、どういうことだ?」
リベアティアは、いたずらっぽく笑ってみせる。
「わたしは今まで、恋なんてしたことないもの。それなのに、これは恋だ、なんて、はっきり分かると思う? そのほうがおかしいじゃない。はっきりしてるのは、わたしがレシエムと離れたくないってこと」
「まあ、言いたいことは分かるが……」
と言いつつも、納得のいかない様子で、レシエムは眉をしかめている。リベアティアはそんな彼を、にこにこしながら見上げた。近付きすぎたのか、不意に二人の手が触れ合う。
レシエムは一瞬、驚いたように身を引いたが、やがて、そろそろとリベアティアの手に触れた。壊れ物でも扱うように、優しくリベアティアの手を包む。リベアティアは頬の熱さを自覚したが、レシエムの大きな手をそっと握り返した。
「まあ、いいさ。先は長いからな」
レシエムは微笑すると、深い色の瞳を正面にむけた。
(了)
少し短めですが、これでこのお話は終わりです。
十年前に書いて、一次選考で落ちてから、恥ずかしいので、ずっとほったらかしにしていたのですが、思い切って公開してみてよかったです。
読んでくださって、本当にありがとうございました。