闇を裂く光と、慈悲なき鉄槌
月明かりすら届かない、王都へと続く深夜の街道。
轍の深い泥道を、三台の『鉄の馬車』が重々しい音を立てて進んでいた。窓一つない分厚い鉄の箱からは、時折、鎖が擦れるような鈍い音と、押し殺したような小さな嗚咽が漏れ聞こえてくる。
「へっへっへ。今頃あの小生意気なガキ勇者どもは、安宿で泥水でも啜って寝てやがるだろうな」
「司祭様、このガキ共を売れば今月は金貨の山ですぜ。王都の貴族どもは、エルフや獣人のガキをいたぶるのが大好物ですからねぇ……」
馬車の御者台で、丸々と太った司祭と奴隷商人が、安物のワインを回し飲みしながら下劣な笑い声を上げる。周囲を固める十数人の傭兵たちも、下卑た冗談を飛ばしながら歩を進めていた。
だが、その胸糞の悪い笑い声は、唐突に吹き荒れた『不自然な暴風』によってかき消された。
「……何だ!? 風……ッ!?」
「逃がさないわよ。――『暴風の檻』ッ!!」
暗闇の森の左右から、鋭い風の刃が渦を巻いて飛び出した!
エルヴィーラが杖を振り抜くと同時、不可視の刃が猛烈な勢いで馬車の車輪を正確に削り取る。バキィィッ!と木材が砕け散る轟音と共に、三台の馬車は大きく傾き、土煙を上げてその場に縫い止められた。
「て、敵襲だ! 反撃しろッ! 護衛は何をしている!」
司祭がワインをこぼしながら悲鳴を上げる。
傭兵たちが慌てて剣を抜こうとした瞬間、木々の頭上から銀色の閃光が音もなく降り注いだ。
「……遅い」
フェリスだ。獣人特有のしなやかで爆発的な跳躍力で影から影へと飛び移り、傭兵たちの死角から音もなく急襲する。
シュンッ、シュバッ!
冷たい刃のきらめきが夜の闇を走るたび、傭兵たちの手首から武器がポロポロとこぼれ落ちていく。命は取らない。だが、手首の筋を正確に断ち切り、二度と剣を握れない体にするという、野生の狩人としての慈悲なき一撃だった。
「くそっ、撃て! 魔法を放てッ! 丸焦げにしてしまえ!」
後方に控えていた教会の腐敗魔導師たちが、焦燥に顔を歪めながら『業火の球』や『毒の矢』の詠唱を始める。
しかし、彼らの前に、黄金の障壁が立ちはだかった。
「女神様の名を騙り、幼き命を売買する不浄な者たち……。あなたたちの穢れた術など、わたくしが通しませんわ!」
アナスタシアが毅然と歩み出た。
彼女が杖を高く掲げると、教会のステンドグラスなど比較にならないほど純粋で、圧倒的な『聖なる白光』が円陣となって展開する。
腐敗魔導師たちが放った魔法は、その光の壁に触れた瞬間、ジュワッという音と共に浄化され、完全に霧散した。さらに光の余波が彼らを打ち据え、魔導師たちは白目を剥いて地面に崩れ落ちる。
「き、貴様ら……勇者パーティーか!? 正義を説く者が、教会に刃を向けるというのか!」
傾いた馬車から這い出した司祭が、脂汗をダラダラと流しながら叫ぶ。
「……正義?」
その声が響いた瞬間。
森全体の温度が、一気に氷点下まで下がったかのような強烈な悪寒が走った。
街道の真ん中。木々の陰からゆっくりと歩み出たのは、ハルトくんだ。
だが、その姿はいつもの能天気な彼ではない。彼の全身からは、チリチリと空気を焦がすような、圧倒的な『怒り』のオーラが立ち昇っていた。
「親とはぐれた子どもを檻に入れて、金に換えるのがお前らの『正義』かよ」
ハルトくんの声は、驚くほど静かだった。だが、その静けさが逆に、彼の中に渦巻く底知れない殺意を際立たせている。
「ひ、ひぃっ……! 怯むな! 殺せ! そいつを殺せば王家から莫大な褒美が――」
「黙れよ。お前らの声、マジで耳障りッスわ」
ハルトくんが右手を突き出した。
――『極大光破』。
その瞬間、夜の森が真昼の太陽を引きずり下ろしたかのような、暴力的で圧倒的な輝きに包まれた。
だが、それは温かい光ではない。悪意を根絶やしにするためだけに収束された、極限の破壊エネルギーだ。
ズドォォォォォォォォンッ!!!
ハルトくんの放った光の奔流が、街道の石畳をドロドロに融解させながら一直線に突き進む。
司祭が慌てて展開した何重もの防壁魔法など、薄い障子紙のように一瞬で蒸発した。
「あ……が……あばばばばばばっ!!!」
司祭は光の圧力だけで巨体ごと宙に浮き上がり、後方の巨大な樫の木まで一直線に吹き飛ばされた。
ドメェェッ!という鈍い音と共に、木の幹に深くめり込む司祭。
(……あっぶな。ハルトくん、手加減ゼロなんだもん)
私は影に潜みながら、こっそりと司祭の背後に『衝撃を分散させる軟体術式』を忍ばせていた。
ハルトくんの魔法でそのまま消し炭になっても良かったけれど、こいつには王都で自分の余罪を全部吐かせなきゃいけない。だから、全身の骨が数本折れる一番苦しい状態で、ギリギリ生かしておいたのだ。
「……ハルトくん。あとの掃除は任せていいかな?」
私がスッと姿を現して声をかけると、ハルトくんは荒い息を吐きながら静かに頷き、鉄の馬車へと歩み寄った。
ガチャガチャと重い南京錠が掛かっている。
ハルトくんは聖剣を抜くことすらせず、素手でその分厚い鋼鉄の錠前を握りしめた。
ミシミシ……バキィィィィンッ!!
彼の異常な握力と魔力によって、鋼鉄の錠前が飴細工のように引きちぎられ、重い鉄扉が開け放たれた。
中には、真っ暗な空間で身を寄せ合い、ガタガタと震える十数人の亜人の子どもたちがいた。
獣人の子、エルフの子、そして魔族の特徴を持つ子。誰もが酷く痩せこけ、涙の跡で顔を汚している。
「……もう大丈夫ッスよ。お兄ちゃんたちが、今助けてやるからな」
ハルトくんは、その血の滲んだ手をズボンでゴシゴシと拭いてから、檻の中へ優しく手を差し伸べた。
先ほどまで悪党たちを震え上がらせていた破壊の化身とは思えない、いつもの温かくて、ちょっと間抜けな勇者の笑顔だった。
「お兄ちゃん……。助けて、くれたの……?」
「ああ。ごめんな、怖い思いさせて」
恐る恐る伸ばされた小さな手を、ハルトくんがしっかりと握りしめる。
それを合図に、子どもたちが堰を切ったように泣き出し、次々とハルトくんの胸に飛び込んでいった。
その様子を見ていたエルヴィーラとアナスタシアも、こみ上げる感情を抑えきれずに馬車に駆け寄り、泥だらけの子どもたちを力強く抱きしめた。フェリスは子どもたちの頭を、自分の尻尾で優しく撫でている。
「……ヤエさん。俺、決めたッス」
ハルトくんが、折れた司祭の杖を足蹴にしながら、遠く王都の方角を睨みつけた。
「魔王を倒せば、全部終わると思ってた。平和になるって信じてた。でも……本当に倒さなきゃいけないのは、魔族じゃなくて、こんな腐った世界を作ってる奴らだ」
私は、自分のローブの裾をギュッと握りしめて静かに怒りを燃やしているリリィの頭を撫でながら、微笑んで答えた。
「そうだね。……さあ、夜明けは近いよ。まずはこの子たちをお腹いっぱいにして、安全な場所に送り届けないとね」
街道には、無様に転がり痛みにうめく悪党たちの声と、救われた子どもたちの安堵の泣き声が響いていた。
作られた正義を押し付けられていた勇者の旅は、今ここから、自分自身の意志で理不尽を叩き潰す『真の世直し』へと変わるのだ。




