厄災の古竜はほうきで払うに限る
「――ぐすっ……ヤエお姉ちゃぁん……」
まだ太陽が顔を出したばかりの早朝。
小鳥のさえずりよりも先に、私の胸元から聞こえてきたのは、世界の敵たる『魔王』の大号泣だった。
「今日、勇者がこっちに出発するんだよね……こわいよぉ……殺されるぅ……」
胸元に忍ばせた通信用の魔道具から、ヒックヒックとしゃくりあげる声が響く。
「よしよし、大丈夫だよリリィ。私がしっかり手綱握ってるからね」
私は辺境ギルドの庭を竹ぼうきで掃きながら、通信機に向かって優しく声をかけた。
私、ヤエ。
表向きはこの辺境の村でギルドマスターをしている、ただの気怠げなお姉さんだ。
でも、裏の顔はちょっと違う。
今泣いている魔王ちゃん(リリアンヌ)の保護者であり――そして、ちょっとばかり『規格外の力』を持った裏方だったりする。
「で、でもぉ! あの勇者、前世のチートとか言って、山とか平気で消し飛ばすんだよぉ……!」
「んー、そうだねぇ。あの子、加減ってものを知らないから」
現代日本から転生してきたらしい、現勇者のハルトくん。
女神様から与えられたチート能力で無双しまくっている彼は、現在このギルドの二階で爆睡中だ。
彼をこのまま魔王城に向かわせたら、リリィはおろか、魔族の国ごと消し飛んでしまう。
だから私が『専属ガイド』として同行し、裏でこっそり全攻撃を相殺して、誰も殺させないための『接待プレイ』をすることになったのだ。
「私が絶対にリリィを守るから。痛い思いなんて、指先一つさせな――」
――その時だった。
ドオォォォォォンッ!!
突如、上空を覆い尽くすほどの巨大な影が村を覆った。
見上げれば、赤黒い鱗を持った巨大なトカゲ……いや、国を一つ滅ぼすレベルの『厄災の古竜』が、村に向かって急降下してきているではないか。
口には灼熱のブレスをチャージしている。
このままでは、村ごと消し炭だ。
「……ひぃっ!? な、なんか今すごい地響きが……ヤエお姉ちゃん、どうしたの!?」
「あ、ごめんリリィ。ちょっと待ってね」
私は通信機を手で覆い、古竜に向かって人差し指をスッと立てた。
「しーっ。今、あの子寝てるから」
もちろん、空の遥か上にいる古竜にそんな声が届くはずもない。
でも、関係ない。
私は手に持っていた竹ぼうきを、スッと正眼に構えた。
チート能力なんて大層なものは使わない。昔から体に染み付いている、ただの古い剣術の型だ。
「――『飛燕』」
足元の石畳が、音もなく粉々に砕ける。
踏み込みと同時に放たれたほうきの一撃は、空間そのものを断ち斬る不可視の斬撃となって上空へ飛んだ。
ドゴォォォォォォォンッ!!!
直後、厄災の古竜は断末魔を上げる暇もなく、ボールのように遥か彼方の空の星へと消えていった。
うん、見事なホームラン。
「あーあ、せっかく掃き直したのに。石畳割っちゃった」
私が首の後ろをトントンと叩きながらため息をついていると、ギルドの二階からドタバタと足音が聞こえてきた。
「ふぁ〜、よく寝た!」
階段を降りてきたのは、寝癖を爆発させた勇者・ハルトだった。
彼はさっきまで村が消滅の危機だったことなど1ミリも知らず、ぐーっと伸びをする。
「おはよう、ヤエさん! いよいよ今日から魔王領への旅ッスね!」
「おはよう、ハルトくん。よく眠れたかな?」
「ばっちりッスよ! 女神様にもらった俺の最強チート魔法で、あの極悪非道な魔王をギッタギタのボッコボコにしてやりますよ!」
ハルトは自信満々に鼻の頭をこすりながら、ドヤ顔で言い放った。
……あ、やば。
『ヒィッ……!? ギッタギタの、ボッコボコぉ……!?』
私の胸元から、リリィの悲鳴と滝のような涙声が筒抜けになっている。
通信機、切り忘れてた。
「ん? ヤエさん、なんか今すげー泣き声聞こえませんでした?」
「気のせい気のせい。ただの幻聴だよ」
私は涼しい顔で胸元の魔道具の電源を切り、にっこりと微笑んだ。
「さすが勇者様〜、頼もしいですねぇ。さ、朝のハーブティーが入りましたよ」
「おお、サンキューッス! ヤエさんがガイドなら、飯も美味いし旅も楽勝だな!」
ハルトは無邪気にハーブティーをすすっている。
彼が放つ規格外の破壊魔法を、私がこれから裏でどれだけ相殺し、どれだけの苦労を背負い込むことになるのか……この時の彼は、知る由もない。
「……ま、いっか」
私は誰にも聞こえない声で呟き、これから始まる地獄の接待旅行に向けて、そっと息を吐いた。




