第2話 うまく生きるための俺の処世術
「あ、ああ、よろしく」
若干言葉に窮したが、どうにか挨拶を完了することができた。
あまりに眩しい大広の笑顔に思考がフリーズしそうになってしまった。
そんなことを悶々《もんもん》と考えている間も大広はくりっとした瞳で俺の顔をじっと見ていたが、やがてぱっと振り返りぴょんぴょん跳ねるように駆けて他の男子にも話しかけに行っている。
こりゃークラスの人気者になりそうだ。
だって、こうやって誰にでも明るく接していて、容姿も整っていて嫌う要素なんかない。
話しかけられた男子たちがデレデレしているのがなんか無性に腹立つけど。
ちなみに、結局黒水や八坂とは2年でも同じクラスになった。
八坂のデマが当たったのは気に食わないが、こうやって仲のいい奴とまた同じクラスになれたのは素直に嬉しい。澄ました顔で手を振ってくる八坂を無視しながらも、そう思う。
一年の頃からの知り合いと軽く会話を交わした後、俺は窓際で安全用の手すりに寄りかかりながら誰もいない真っさらなグラウンドを眺める。
時より吹く穏やかな風が頬を掠めていくのが心地よい。
高校2年生の春。大人という踊り場へ駆け出しながらも、子供の肩書きを捨てるのが惜しいような、そんなどっちつかずの時期。
10年、20年経っても忘れられないような日々で彩っていきたい。ガヤガヤとした教室の声をバックに、そんな感傷に浸ってしまう。
……いやいや、俺らしくないな。危険なことには飛び込まないようにしないと。
キーンコーンカーンコーン
1時間目の始まりを告げるチャイムが鳴った。
皆誰に促されるわけでもなく、自分の席に戻っていく。名前順だから俺はど真ん中の列の前から2番目。先生から見えやすくてサボれない。なかなかのハズレ席だ。
右を見ると1つ席を挟んで大広の姿。
キョロキョロと辺りを見渡していた大広もこちらに気付いたようで、パッと目があう。
わずかに目を開いたかと思えば、首をちょこっと傾けながらふふっと吐息を漏らし、机の下で軽く手を振ってきた。肩にかかった髪がさらさらと揺れる。
その可愛さに脳内の処理が追いつかず、俺は半ばにやけのような愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
俺とお前は今日初めて話したんだぞ。なんだってんだ。
高校2年生最初の授業……とは言っても新しいクラスになったばかり。この時間はLHRで学級委員やその他諸々の役職を決めることになっている。
新しい担任は誰なのか。
隣の席はどんな人なのか。
まだ同じクラスの仲間のこともよく知らない教室の雰囲気は入学式の時までとは行かなくてもある程度新鮮で、期待と不安の混ざったものに感じられた。
しばらくしてガラガラと扉が開いた。
現れたのは数十分前に見たあの顔。ミシミシと、けだるそうに教壇に上がる音が響く。
「えー、この2年1組の担任になった藤嶋だ、よろしく。2年生になったら責任が増えるとかいう大事な話はさっきのHRでそれぞれのクラスで聞いたと思うから、割愛して早速委員を決めるぞ」
おい、その大事な話はさっき後回しにしただろ。まあない方がありがたいけど。
俺は同じクラスだった奴らと顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。
藤Tはコホンと軽く咳払いして言葉を続ける。
「じゃあ最初は学級委員だな、男女1人ずつだ。そしたら、まず男子。やりたいやついるか?」
それまでざわざわしていた空間が一気に静まりかえり、どことなく周りを伺うような視線が増えていく。
まあこれは想定できていた。
学級委員は文字通りクラスを代表する立場。重大な責任があるというわけではないが、なんだかんだ雑用を先生に任されることが多く面倒な立場だ。
だけど。
10秒ほどして、藤Tが再び口を開こうとする直前に、俺は静かに、それでいながら堂々とまっすぐ手を上げる。
「お、唯。またやってくれるのか、はいみんな拍手」
学級委員になれば、仕事上クラスの人と話す機会が多くなり、自然とクラスの中心的存在になることができる、というのも事実。だから俺は手を上げた。
だけど即座には手を上げない。俺は真面目くんになるつもりはないから。
我ながら完璧な作戦だ。
周りを見渡すと、面倒な役回りを引き受けてくれたことの安堵によるものなのか、男子は皆結構強めに拍手してくれている。
それとは対照的に、女子たちの拍手の音はまだ少し固い。
もう一人の学級委員が誰になるのか、内心ドキドキしながら俺は藤Tの方を見る。
「そしたら女子はどう……」
「はーい! やりまーす!」
ぱーっと右の方から快活な声が飛ぶ。
藤Tが言い終わるよりも早く、大広はこちらをチラッと見てから両手をブンブン振り回して立候補の意思を表明し、勢いのまま決まった。
どことなく緊張の糸が緩んだクラス全体からの拍手に囲まれた大広はいつも以上にニコニコしている。
……俺とは違ってあんま深いことは考えてなさそうだな。
しかし、俺の相方は大広ということになるのか。
みんなの前に出るウェイ系の仕事は結構積極的にやってくれそうだしありがたいな。きっとクラスのみんなもついてきてくれるはずだ。
でも委員会とかの用事をすっぽかしそうな気もして、どことなく不安になる。
……大丈夫だよな?
「それじゃ、あとは学級委員が他の委員も決めてくれ」
そういうと藤Tは窓際の椅子に腰掛けて窓から外を見る。
放任主義。その言葉がぴったりだ。
「よろしくね、佑人くん。一緒になれて嬉しいな」
黒板の前に立ったところで大広は小声で囁いてきた。
みんなの前でにやけるわけにはいかない。「キモ男」の烙印が押されてしまう。
俺は死角で自分のももをギュッとつねった。
俺と大広は各委員を募集していく。
大広の天真爛漫さが溢れる立候補で教室の雰囲気が和らいだからだろうか、手がチラホラ上がり、望外にも順調に決まっていく。黒水は体育委員、八坂は図書委員になった。
ちなみに黒水に学級委員はどうかと冗談半分で聞いてみたことがあるが、「ダルい」と一蹴。単純な返答で実に彼らしい。
体育委員も結構面倒な仕事だと思うけどな。もちろん八坂には聞いてない。どうせキザぶった言葉が返ってくるだけだ。
全ての委員を決め終わった後で俺は藤Tに声をかける。
「そういえば、席替えしますか?」
藤Tは「好きにしろ」と外を見たままぶっきらぼうに答える。
それを聞いたクラスのみんなは若干ざわつく。大広はどこか不安げな顔。
「どうする?」
「うーん……みんなの意見を聞いたほうがいいから、多数決とかかな」
教壇の上で俺と大広はそんなコソコソ話をした後、みんなの方に向き直る。
「新しいクラスになったばかりだけど、席替えするか多数決とります」
そう言ってみんなに顔を伏せてもらった。
この席替え、正直言って自分のためだ。
できるだけ後ろの席になりたい。その一心でしかない。
でもそんなことを言っては不満を買うだけなので、大広の助言通りとりあえず多数決を取ることにした。
負けて元々。そんなところだ。
みんなに顔を伏せたまま手を上げてもらう。
俺が賛成と反対の数を数え、大広が黒板に正の字で記す。俺は賛成、大広は反対に票を投じた。
結果は激戦の末、賛成多数で席替えすることになった。
その結果に大広は肩を落としているようで、少し胸が痛む。
あの席、先生から見られやすいのになんで……?
流石に心が痛くなるのでくじを操作することはしなかったが、俺は運よく左から二列目、一番後ろの席になった。
ギャンブルで勝ったときってこんな気持ちなんだろう。
俺は心の中でガッツポーズをする。
席について一息ついていると、左の方から跳ねるような声がした。
「隣だね! よろしく!」
そう言った大広の顔はやけに嬉しそうで、こっちまで無性に嬉しくなってしまった。
そこ、主人公席だもんな。いくらでも寝ていいぞ。
LHRが終わり放課後を迎えた。
年度始めということもあ り放課後は職員会議があるらしく、今日の部活は全面的に休み。非常に気分がいい。
鼻歌を歌いながら下駄箱へと向かっていると、後方から凛と澄んだ声が響くと共にシャツの裾付近に張力が加わったのを感じ、後ろを振り返る。
「お疲れ」
そこに立っていたのは水瀬咲夜。同じ中学校で、去年は同じクラスだった。
「ああ、おつかれ」
「ねえ佑人、何組になった?」
咲夜は表情をほとんど変えずに口元をきゅっと結ぶ。
下から見上げているはずなのに上目遣いに全く感じない三白眼。
初めて見た人はビクッとしそうなものだが、何年も同じ教室を共にした俺にはこれが純粋な興味に起因するものだと知っている。
ただ、ちょっと距離感がバグってるんだよな。
「俺は1組だったぞ。そっちは?」
「私は3組だったわ、まあ確率的に2年連続同じクラスにはなかなかならないよね」
単調な返答を聞いた俺は一拍おいてこうとぼけてみせる。
「ふーん、咲夜は俺と同じクラスになりたかったのか」
咲夜は特に顔色を変えずに、昇降口に向かう俺と横並びになりこう答えた。
「ええそうよ、気軽に話をできる人なんてあんまり他にいないからね」
その返答を聞いて、思わず狼狽えてしまう。
相変わらずこいつにはハッタリが効かない。少しは照れたりしてくれてもいいのに。
「また学級委員になったの?」
「ああ」
咲夜はニヤッと口角を上げる。
「流石ね。これも例の策略の一環なのかしら」
その言葉に苦笑して、思わず声が漏れてしまう。
「人聞きが悪いな、作戦と言ってくれ」
「はいはい」
咲夜には学級委員はカースト維持のためであることをそれとなく伝えてある。
もちろんストレートに伝えると引かれそうなのでクラスのみんなと仲良くなるため、と柄でもない理由を伝えているが、なんとなく察されていそうだ。
そんな感じで話していると昇降口にたどり着いた。
同じ弓道部の人たちと鉢合わせした咲夜は「じゃあまた明日」と言って通用門へ向かった。
その後ろ姿はクールで、落ち着きがある。
その姿は中学のときと変わらなかったが、あのときと違ってあいつには仲間ができている。
俺は改めて胸を撫で下ろした。
通用門を出て、横切るように通っている坂を左右に分かれて歩く生徒たちを、ちょうど南中を迎えた太陽が柔らかな光で照らしている。
バズっているTikTokerや新しいクラスの話、あるいは下世話な恋バナに花を咲かせている声が聞こえてくる。
俺は門のところで偶然会ったサッカー部の奴らと他愛もない話をしながら坂を下り、一緒に改札を通る。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
無機質に揺れる電車に乗り、ポケットからスマホを取り出すと、LINEの通知が来ていることに気がつく。
相手は大広。
隣にいる奴らに気づかれると何かとうるさい。
「彼女か?」とか悪ノリしてくるに決まってる。
俺はバレないようにスマホの向きに気をつけながら画面をタップする。
「大広です! 明日からよろしくねー!」
メッセージと共に流行りのアニメのキャラクターが拳を突き出しているスタンプが送られてきた。
なんか内容的にクラスのみんなに送ってそうだな、めんどくさくないのかなこういうの。
既読をつけてしまった以上、そんな斜に構えたことを考えていてもしょうがないので、とりあえず持ち合わせのスタンプの中で一番体裁を取り繕えるスタンプで返答しておく。
同じアニメの別のキャラ。ニッコリと笑っているけど特にポーズはしていない。
スタンプを送った後、トーク画面になんとなく違和感があってよく見てみる。
「大広玲夏がメッセージの送信を取り消しました」
大広からのスタンプの下に、その文字があった。
なんか送ったけどすぐ送信取り消ししたってことか。まあ誤爆とかよくある話だしな。
そうやって画面に気を取られていると、隙を突くように横槍が入る。
「おい、じーっと何見てんだよ、彼女か」
ほらやっぱり。
「いねーよ彼女なんか」
俺はさっとスマホをポケットに戻し、世間話に加わった。
電車はいつものように不規則に揺れながら走り続けていた。




