社内恋愛だけは金輪際すまい
鬱陶しい梅雨を見送り、猛暑の夏を迎えようとしていた頃、夢洲商事の端末管理センターでは、暑気払いの懇親会が行われた。懇親会など、ほとんど初めてのことだった。いつも誰もが忙しく、懇親会どころではない毎日だった。
大迫さんの補佐として、大迫さんの次にえらかった、角田さんが、仕切り役を買って出てくれた。
都留野さんが退職してから、三芳さんと私は、何となく距離を置くようになっていたが、この時は、皆の手前、相変わらずの仲の良さをアピールしなければならなかった。
「あら、木内さん、最近、あんまり話さないわね。元気にやってる?」
はい、おかげさまでと、私は、にこやかに答える。
「三芳さんのお仕事ぶり、さすがにすごいですね。フロア中で噂になってますよ。」
当たり障りのない話題で、私は、この場を乗り切ろうとしていた。
頭の中は、例の会社帰りによく立ち寄る、カフェのマスターのことでいっぱいにしていた。
「そうだ、息抜きの恋愛は、仕事とは関係ないのが無難だわよ。社内恋愛なんてナンセンスだわ。」
盛り上げ上手な角田さんのおかげで、懇親会は大盛況のうちにお開きの時間がきた。
私は、内心、ほっとした。「やっと、終わったわ。今日は、あのカフェには寄れないけれど、帰ったら明日のために、お肌のお手入れしなくっちゃ。」
駅まで、大迫さんと角田さんが、三芳さんと私を、送ってくれた。
大迫さんの、内心はナイーブそうではありながら、小さいことにはこだわらない、真っ直ぐで、裏表のない人柄について、角田さんは、心底、慕っているように見えた。
ついでのことだが、角田さんは、イケメンである。だが、にもかかわらず、まったくモテたいという気がなさそうだ。いつも、ふざけたことを言っては、周りを笑わせるのが使命だと思っているかのようである。
その角田さんのことを、私は、いつか、しげしげと見つめてしまったことがある。「あれ?角田さんて、イケメンだったんだ」と、気付いた時である。
その時、私の視線に気付いた角田さんは、どうしたのか、「俺、昨日も一昨日も、風呂、入ってなかったんだ」と、言ったのだ。私は、牽制球を投げられたようで、ちょっと屈辱的だった。
駅まで送ってくれた大迫さんと角田さん、別れ際に、角田さんが、言ったのだ。
「家まで送ってあげたいけど、送り狼になっちゃ、悪いから」
私は、少し、酔っていたのか、その時のとんでもない思い付きで、その角田さんの言葉に、失礼なリアクションをしてしまった。
角田さんの言葉が終わるやいなや、クルッと踵を返して、背中を向けてしまったのである。
翌朝、私は出社して、そうっと、角田さんの様子をうかがってみると、やはり、思っていた通り、機嫌が悪そうだった。
「おはようございます〜」私は、きまり悪そうな体をつくり、いつもより低姿勢に挨拶した。
大迫さんが、明るく迎えてくれる。
「おはよう。昨日は大丈夫だった?無事に帰れた?そういえば、昨日の木内のあれ、傑作だったなあ。角田にクルッと背中向けちゃったの。あれ、木内の十八番?」
私はあわてて答える。
「とんでもないです。昨日は、調子に乗って、ちょっと飲み過ぎたみたいで、失礼な態度を取ってしまって、申し訳ありませんでした、角田さん」
大迫さんはかぶりを振り、「いいの、いいの」というジェスチャーをしてくれた。
角田さんが、珍しく機嫌が悪いので、大迫さんも、気を配ってくれている。
「角田、昨日の木内の、おもしろかったよなあ。なあ、角田」
角田さんは、面倒くさそうに言い放った。
「冗談じゃないですよー、大迫さん、もう、かんべんしてください」
その一言で、さっきまでの大迫さんのフォローが、吹っ飛んだ。私の頭の中は、パニックになる。
冷や汗が背中をつたうが、もう取り返しがつかない事態なのだ。
私は、それでもすぐに、気持ちを立て直した。
「ま、いっか。」
午前中の仕事を終えると、かなり汗をかいていたようで、気持ちが悪い。昼休みに、ロッカー室に行き、制服のベストの下のシャツを着替えた。
午後、オフィスに戻ると、角田さんがニコニコしている。
「木内さん、そのシャツ、よく似合ってるね。」
後から聞いた話だが、この時、角田さんは、業績が認められ、昇給の通知を受けていたらしい。
「わー、よかった。角田さん、もう、怒ってないみたい。」
ほっと胸をなでおろすと同時に、この時、私の心の中に、何かザワザワしたものが芽生えていた。
それは、何ともいえない、それまでに経験したことのない感情だった。あきらかに、角田さんからは、ウザいと思われていることはわかっていたが、自分の気持ちが止められなかった。
「嫌われててもいい」とさえ思った。
いつも遅くまで、大迫さんと伴にがんばって仕事をしている角田さん。時に、大迫さんが厳しいことを言っても、まったく臆することなく忠実に従う角田さんの本当は生真面目なところを思い、ステキだなと思ったのだ。
「社内恋愛だけは金輪際すまい、と心に決めたのに…」悔しかった。でも、思い込んだら、私のハートは止まらない。
奥手な私からは想像もつかなかったことだが、この後、私の角田さんへの猛アタックが始まった。




