第7話:君がいてくれるだけで
昔書いた話をサルベージしているわけですが、消費するほど古くなっていく……どんどん羞恥のレッドゾーンに向かっていく……!
「そこで何をしている」
夜も明けぬ暗がりの中。
“キング”が住まう、『宮殿』と呼ばれる施設に忍び込んだ少年は、やっとのことで檻を掻い潜り、餌場――と自分が勝手に呼んでいた食事台に手を伸ばした。
その瞬間、澄んだバリトンの声がそれを叱責した。
「あ……」
少年は背筋から血の気がサーっと引いていくのを感じ、しばし硬直すると、壊れた人形のようにぎこちない仕草で振り返った。
するとそこには、縦長の窓から差し込む月明かりに爛々と光る二つの瞳があった。
その瞳の持ち主は、仰臥したまま身体を横にし、頬杖をついた状態で少年を見ていた。
「お前、ここで一体何をしている? ここがどこだと思っている」
その尋ねる言葉に、さっきの叱責の硬い空気は無く、今度は逆に気だるげな雰囲気を感じた。
しかし少年は瞬時に地に伏すと、平謝りする。
「す、すみません! 冬の寒さに耐えかねて、近くにあったここについ……! それにキングの食べ物ってどんな味なのかなんか、すごく興味が湧いてしまって!」
少年は瞳をギュッと瞑り、額を地面に擦りつけてキングの反応を待った。
「そうか。確かに外は寒いらしいな。……俺は生まれてこの方この施設を出たことがないから、お前の言う寒さというものを知らないが、こんな場所に思わず飛び込みたくなるような感覚なのだな」
「ええ、それはもう! 毎年死人が出るくらいで……特に今年は凶作で俺たち貧民には食べ物が回ってこない始末で……」
キングは少年の言葉に、のそりと寝床にしている毛皮の敷かれたベッドから身体を起こすと、服の裾を引きずりながら地に伏す少年の方にやって来る。
「顔を上げよ」
少年はキングの言葉に従い、座ったままゆっくりと顔を上げた。
すると、目の前に皿を差し出される。
少年が手を伸ばそうとした食事台に置かれていたひと皿だ。
皿の上には、見るからに上質な肉と豆の炒め物が載せられている。
「わあ、これは……良いの、ですか?」
「良いも何も、お前は最初から食べるつもりだったのだろう? この程度でお前の命が繋げるのなら、いくらでも分けてやろう。お前にこんなことを言うのは失礼かもしれないが……こんなもの、私がねだれば時間を問わずいつでも手に入る」
その言葉にさすがキング、と言いたかったが、少年は空腹に負けて皿にがっつくので一生懸命だった。
そんな少年を見ながら、キングは続けて言った。
「だがその対価に、私は一生ここから出ることはない。いや、出られないのだ」
「え、どうして……?」
少年の素朴な疑問に、キングは軽く眉を寄せると、窓の外に視線を向けた。
「私は保護されている。そういう名目で、ここに閉じ込められている」
「保護? 閉じ込めるのに?」
「そうだ。宮殿などという仰々しい呼び名など名ばかりの、国立保護展示施設。正しくはそう呼ばれている」
少年は首を傾げた。
それは、貧しい者には縁のない名前だった。
「私はある特殊な一族の末裔でな。私達の一族は、その特殊さ故に一時は恐れられ、殺され、存続の危機にまで追い詰められた」
キングは窓辺へ視線を戻した。
欠けた月を横切った雲が、窓を通して床を流れるように翳らせる。
「だが時代は変わって、私達の一族は守られるべき存在となった。……ただ、その時はもう、自力で種族の回復をするには難しいところまで来てしまっていた」
「それで、ここに?」
「ああ。私達は国の保護下に置かれ、皆各地に連れて行かれた。研究されながら、種の回復を目指すこととなったのだ。私も種の存続のために親からここに連れてこられて、生まれ育った」
少年は手の中の皿を抱えたまま、何も言えなくなった。
キングは自嘲気味に笑う。
「一見私はキングなどと呼ばれ、庶民からは考えられないような贅沢も許されている。だがそれは、ただの慰めに過ぎない。生かすためのな。私の親が私を産んだように、じきに私もどこかから連れてこられた同族の娘と子をもうけるだろう。ただそれだけの存在だ。キングなんて全くの名ばかりなのだ」
「キング……」
何とも言えない静寂が二人を包む。
少年は今まで、キングが住む施設は上流階級の人間が住むお城だと思っていた。
このあたりに住む人間も皆そう思っているだろう。
豪奢な建物に、美しい中庭と、身綺麗で見るからに高貴な人々。
この施設は少し特殊で、入場料さえ払えば自由に出入りできる場所である。
入場料は税金では賄いきれない施設の各営繕費に使われていると聞いている。
だが、貧しい人はその入場料さえ払えず、塀の外からこの美しい建物を眺めているのだ。
だからこんな建物の奥に住むキングは、とても特別な貴族か何かだとずっと思っていた。
でも違った。
キングはこの城のキングなんかではなかったのだ。
(キングにそんな事情があったなんて)
キングの実情を知る人はどれぐらいいるのだろう?
施設の人は当然知っているとして、この施設にやって来る一般人はそれを知っているのだろうか?
少年は思わず尋ねてみる。
「そのこと、みんな知ってるの?」
「ああ、もちろん。ここに来る人間はみんな知っているぞ? むしろ、お前が知らないのが驚きだ。お前、そこがなぜ檻になっていると思う?」
キングの問いに、少年は首を横に振る。
「皆、私のことを物珍しさに見に来る。私の容姿を見ろ……」
そう言ってキングは部屋の明かりを付けた。
そこに、細身で大柄な――多分二メートル近くはあるだろう姿が露わになる。
髪の色は金と茶が混じった長髪で、長さは腰のあたりまであった。
だが、一番の特徴は、その瞳だった。
普通のヒトにはありえない、白目の部分が金の色をした瞳をしていた。
少年はその姿に思わず後ずさり、尻餅をついた。
「……っ!」
「驚いたか。最初にお前が来た時、瞳が光っていただろう。月の光をよく反射する眼でな。この眼は非常に夜目が利く。そしてこの鋭い爪も、指一本あれば首に突き立てて人を殺すのも容易いし、この手で掴めばお前のような小さな子供の首など、小枝のように折ることもできる。だから我々は絶滅させられかけたのだ。だが我々一人ひとりがどんなに強くとも、所詮は少数民族。物量戦では不利だからな」
こんな人間がいたなんて、少年はこの時まで全く知らなかった。
孤児で貧しく孤独な少年にとって、ここは小さな頃からただ指を咥えて見ている場所だったから、ここはキングが住まう場所としか知らなかった。
知ろうともしなかったのだから、そんな事情、想像もつくはずもなかった。
驚く少年に、キングが続けて問いかける。
「こんな私が怖いか?」
そう問われて、少年はふと考える。
怖い姿だとは思った。
普通の人ならざる姿に畏怖を覚えないかと言ったら、それは嘘になる。
でも、路地裏で本当に危ない奴は、もっと違う目をしている。
何かを奪う目。
誰かを傷つけることを、もう当たり前だと思っている目。
キングの目は、そういう目ではなかった。
この時少年の頭に、彼の容姿のことは既に無かった。
怖いか怖くないか尋ねられたので、純粋にそう考えたのだ。
そしてこう答えた。
「怖くない。あんたからは殺気が全く感じられない。殺気を出したことも無いんじゃないか? あ、出す必要もないのか。ここじゃ」
「私の姿が怖くないのか?」
「姿? ああ、そう言えば……変わってるけど、俺だってそこの檻をすり抜けられるくらい小さくて、馬鹿にされることがある。人間見た目なんかそんなに問題じゃないと思うし、俺はあんたのこと、すごく綺麗だと思う」
そう言って少年は立ち上がって真っ直ぐキングを見つめた。
「私が……綺麗?」
「ああ、その金混じりのサラサラの長い髪も金の眼も、鋭くてツヤツヤした爪もすごく綺麗だと思う」
「……!」
キングは、すぐには言葉を返せなかった。
恐ろしい、珍しい、気味が悪い。
そういう視線なら、いくらでも浴びてきた。
奇異な存在として、眺められることにも慣れていた。
だが、綺麗だと言われたのは初めてだった。
しかもそれは展示物を褒める声ではなく、目の前の少年が、ただ純粋にそう思ったから出た言葉だった。
「ねえ、キングの他にここに仲間はいるの? 友達は?」
少年の問いに、キングは俯きがちに小さく首を横に振る。
キングの種は、まだひと所に複数集められるほど種の総数が回復してはいないのだ。
だからキングは、実の親達が別の施設に移されて以降、自分の仲間を見たことが無い。
「そっかー、じゃあ寂しいね。だったらさあ。俺、キングの友達になって良い? って言うかなりたい! みんなには内緒だけど」
「えっ……友、達……?」
聞き慣れない言葉に、再び面食らうキング。
「だってここに来る人達って、キングが珍しくて見に来る人達だけなんだろ? 確かにキングは変わってるけど、それってなんかすごく寂しい。俺で良かったら、そういう人とは違う存在になりたいな……って、いきなりそんなこと言われてもキングが困るか」
急に少年が我に返って照れる。
「……構わない」
「え?」
「トモダチ。良いじゃないか。そういうの初めてだ。そんなこと言われたのは」
「良いの?!」
キングの返事に、少年が色めき立つ。
キングは無言でコクコクと頷くと、今度はキングが照れくさそうに笑った。
「それじゃあ決まり! 俺とあんたは友達! でも俺っ、ここの入場料払えるほど裕福じゃないから、また隙を見計らって夜にでも来るよ。おっと、どうやらそろそろ見張りの気配が……じゃ、またな!」
そう言って少年は足早に部屋を去って行った。
「あ……」
あまりにも素早く居なくなってしまったので、キングは見送ることもできず、少年の小さな背中が闇の中に紛れていくのを見ているしかなかった。
そしてまた、自分だけの静寂が戻る。
キングは窓辺に移って桟に手を掛けると、たった今起こったばかりの幻のような出来事を反芻した。
――友達が出来た。
何気ないようで、本来の自分にはありえない新鮮な響きに、口元が綻ぶのを抑えきれなかった。
(次はいつ来るのだろう? 打ち合わせくらいはしたかった)
間もなく少年の言う通り、夜の見回りが来たが、キングが「何も変わりはない」と言うと、すぐに居なくなった。
それから、少年は幾度も夜に紛れてやって来た。
ある時は市場の隅で見た喧嘩の話をした。
ある時は凍った水桶に足を滑らせた犬の話をして、キングを笑わせた。
ある時は、どこから拾ってきたのか分からない枯れ葉を一枚持ってきて、外の木は冬になると裸になるのだと教えた。
キングはそのたび、自分の食事を分けた。
少年はそのたび、外の話を分けた。
少年は相変わらず痩せていて、手足も細く、寒い日は唇を紫色にしてやって来た。
キングはその姿を見るたび、胸の奥が落ち着かなくなった。
「外はそんなに悪い場所なのか」
「悪いっていうか、寒いし、腹は減るし、殴ってくる奴もいる。でも、広いよ」
「広い、か」
「うん。どこまでも行ける。まあ、行く場所なんて俺にはないけど」
少年はそう言って笑った。
キングはその笑顔が、少し嫌だった。
自分には行く場所がない。
少年には帰る場所がない。
どちらが不幸なのか、キングには分からなかった。
そうしてしばらく二人の人目を忍ぶ密会は続いたが、それは唐突に幕を閉じた。
それは二人の関係が壊れたわけではない。
その逆である。
キングのはからいで、少年は施設の住人として迎え入れられたのだ。
少年には小さな部屋を一室与えられ、自由にキングの元へ出入りし、常に一緒にいるようになった。
少年はもう夜の寒さに震える必要がなくなった。
食事台の皿に手を伸ばして叱られることもなくなった。
キングもまた、窓辺に立って次にいつ来るのかと考える必要がなくなった。
施設を訪れる人々は、檻の向こうで寄り添うキングと少年を見て微笑んだ。
孤独な王に友が出来たのだと、誰もが美しい話のように語った。
痩せた孤児を救ったのだと、施設の者達は誇らしげに説明した。
そしてその仲睦まじい様子は、施設を訪れる人々を和ませた。
たとえそれが、それさえもキングを囲うための作られた幸せだとしても。
【元ネタ】
「好きになった相手はヤマネコでした…」動物園内の檻の中に侵入しそのままラブラブな通い妻生活を送っているニャンコさんがいるんだって~!!




