第88話 春を呼ぶ甘味
村へ戻ったレオたちは、その日のうちに広場へ主要な顔ぶれを集めた。
ヴァルカのこと、アズのこと。
そして、春から空もまた村の力になるかもしれないこと。
全部を包み隠さず話すわけではない。
だが、もう飛竜の子を預かっている程度の話では済まない段階へ来ているのも事実だった。
バルドが、村人の前でざっくりまとめる。
「母飛竜とは敵対しない」
「アズはこの村で育てる」
「で、春からはもっと忙しくなるってことだ」
村人たちは、ざわめきながらも頷いた。
もう今さらだ。
火尾鶏がいて、飛竜がいて、湯場があって、冬を越えた。
普通の村の理屈だけでは回らない場所だと、皆もう分かっている。
「結局、また忙しくなるんだな」
と誰かが笑う。
「今まで暇だった日があったか?」
別の誰かが返す。
そんな空気が広場に流れたその数日後、ある意味村を震撼させる事件が起こった。
森の様子を改めて確かめるため、狩猟班が浅い層へ入った日だった。
春の気配はある。
だが、まだ狩りを本格再開するには早い。
だから今日は確認だけ。
獣の戻り具合、足跡、雪解けの様子、危険な場所の見直し。
その帰り、狩猟班の一人が妙なものを抱えて戻ってきた。
「なんだそれ」
戻って来た若い男に、バルドが何気に尋ねた。
木の水筒だった。
その中に、茶色い液体が入っている。
「森で見つけたんですよ」
「木から、なんか樹液みたいなのが垂れてて」
「樹液?」
「でも、妙に甘い匂いがしたんで、採ってきたんです」
それを聞いた周りの男たちは、最初こそ首を傾げていた。
「甘い?」
「樹液が?」
「腐ってるんじゃねえのか」
「いや、そんな感じじゃなくて」
「獣が舐めに来てたのか?」
「それは見てない」
ちょうどその場にいたイルゼが、「ちょっと見せてみな」と水筒の中身を見た。
すると、彼女の顔色が変わった。
「どこだ」
「え?」
「どこで採った」
「いや、だから森の」
「どこだ!?」
イルゼの絶叫が響き、広場が一気に静まり返る。
普段のイルゼは、どちらかといえば飄々としている。
面白がることはあっても、ここまで血相を変えることは滅多にない。
だからこそ、全員が止まった。
「どうしたんだ?」
騒ぎを聞きつけたレオが、中心にいたイルゼへ尋ねる。
「どうしたじゃないよ!」
「どこだ、その木はどこだ!?」
「いや、だから話を聞いて」
「サトウカエデの木はどこだ!?」
今度は、皆がぽかんとした。
「サトウカエデ?」
「なんだそれ」
「木の名前か?」
イルゼは、狩猟班の男へ詰め寄りさらにヒートアップした。
「その木に葉は!?」
「い、いや、まだ葉はほとんど」
「幹!」
「え?」
「幹の色!樹皮!穴は!」
「お、おい落ち着けって」
レオが肩を押さえる。
「落ち着けるか!」
「珍しいな、こいつがここまで慌てふためくなんて」
ガレスがぼそりと言った。
そんなガレスを無視して、イルゼは無理やり言葉を整えた。
「いいかい、それが私の思ってる木なら」
「甘味だよ」
「甘味?」
バルドが首をかしげる。
「砂糖みたいなもんが取れる木かもしれないんだ!」
今度は、村の空気が別の意味で止まった。
沈黙を破るように、レオが口を開く。
「木から砂糖?」
「正確には、甘い樹液を煮詰めるんだ」
「そのままでも甘い、煮ればもっと濃くなる」
「砂糖ほど直接的な甘さはないけど、甘味としては十分すぎる!」
遅れてきたエルマーが、イルゼへ詰め寄る。
「本当か?」
「本当だよ!」
「いや、知識として知ってたのか?」
「知ってたとも!」
「錬金術師を何だと思ってるんだい」
イルゼの目が完全に据わってる。
「薬ばかり煮てる変人」
「半分正しいけど今はそこじゃない!」
イルゼはもう止まらなかった。
「南方由来の交易書に載ってたんだよ」
「寒い地方に生える特定のカエデは、春先になると樹液が甘くなる」
「冬のあいだ根に溜めたものを、春の立ち上がりで一気に押し上げるからね」
「だから今の時期なんだ」
「しかも、ただ甘いだけじゃない」
「煮詰めれば保存が利くし、料理にも使える」
「焼き物にも煮物にも入れられる」
「薬の苦味をごまかすのにも使える」
「子供に飲ませる薬なんて、どれだけ楽になるか分かるかい!?」
そこまで言われて、女衆の顔色が変わった。
ずいっと、マルタが前に出る。
「ちょっと待ちな」
「苦い薬に甘味が使えるのかい?」
「使える!」
「量は加減しなきゃいけないけど、苦みがずっとましになる!」
「それは大きいね」
「でしょ!?」
「料理にも?」
「使えるよ!肉の照り焼きみたいなものもできる」
「焼いた芋にかけてもいい」
「煮込みに少し入れれば味が丸くなる」
「子供向けの甘い菓子だって、今よりずっと作りやすい!」
今度は子供たちがざわついた。
「甘いの?」
「お菓子になる?」
「ほんとに?」
「木から?」
「木からだよ!」
「木から甘味が取れるかもしれないんだよ!」
「すごい!」
「見たい!」
「飲みたい!」
「待て待て、まだ確定じゃない」
レオが手を上げ、一旦周囲の興奮を抑える。
「確定だよ!」
「いや、まだ木を見てないだろ」
「見れば確定する!」
「その木、冬の終わりから春先に樹液が出るのか」
「そう!だから今なんだよ!」
「雪解けが始まって、葉がまだ出る前」
「まさに今!」
「この時期を逃したら、また来年まで待つ可能性もある!」
ここまでの話を聞いて、テオドールが纏めるように話し始めた。
「もし本当に甘味が取れるなら、村の価値がまた一段変わりますね」
「そうだよ!」
「白砂糖そのものではなくとも、代用としては十分だろ!」
テオドールも頷きながら、筆を手に取った。
「保存食の幅が広がる」
「料理の価値も上がる」
「交易品としても強い」
「煮詰めに手間がかかるなら、なおさら村の技術になる」
「そう!そうなんだよ!」
「分かるじゃないか、書類屋!」
「計算できる利は、分かりやすいですからね」
エルマーも水筒を覗き込む。
「魔法狂い、少し舐めてみな」
イルゼが男から水筒をひったくると、エルマーの手へ少しだけ零した。
「うわ、なんだこれ」
「ほんのりじゃなくて、ちゃんと甘いな」
「だろう!」
「思ったより甘い」
「甘味だ!」
「落ち着け」
「落ち着けるか!」
結局、その場で小隊が組まれた。
案内役の狩猟班の若者。
レオ、ガレス、エルマー。
そして、どうしても行くと言って聞かないイルゼ。
アリスも手を挙げかけたが、ガーネットに止められた。
「あなたは残りなさい」
「でも!」
「アズのお世話は誰がするんです?」
「う、う…」
「なら残りなさい」
「はい…」
アズは、そんなやり取りも分からない顔で、保育室の中から青い目を向けていた。
森へ入ると、雪解けは思ったより進んでいた。
まだ白い。
だが、土が見えている場所もある。
水の流れも少し増えている。
「このあたりです」
案内役の若者が足を止めた。
「向こう、少し斜面を下ったとこです」
そして見つけた。
幹に小さな傷がついている木。
その下へ、ぽた、ぽたと茶色い液体が溜まっている。
ほんのりと、甘い匂いがした。
イルゼの目が見開かれる。
「本の通りだ。断言できる、サトウカエデだ」
イルゼは、その場で膝をつき、樹液を指先で少しだけ掬った。
「甘い!」
ガレスですら、少しだけ目を細めた。
「売れるな」
「売れるどころじゃないよ!」
「保存食の幅が増える!」
「料理の顔が変わる!」
「子供の食いつきも変わる!」
「女衆の機嫌も変わる!」
「それが一番強いな」
レオとバルドが同時に頷く。
「当たり前だろう!」
「甘味は、貴族の食卓の飾りだけじゃないんだよ!」
「疲れた時の一口で人は生き返るし、苦い薬を飲ませる時には命綱になる!」
「煮込みに少し入るだけで冬の飯が変わる!」
「保存果実を作るにも使える!」
「錬金術師にとって甘味は立派な素材だし、台所にとっては武器なんだよ!」
そこまで熱く語られると、さすがのレオも笑うしかなかった。
「分かった、お前が本気なのは分かった」
「本気だよ!」
その場で、もう何本か周囲の木も見て回った。
一本だけではない。
離れた位置に、似た樹皮似た甘い匂いの木がある。
イルゼが周囲を見渡す。
「領主様、群生まではいかないけど、かなりあるね」
「これだけあれば、問題ないだろ」
「最初は十分」
「やり方を覚えれば増やせるかもしれない」
「苗を育てられるかもしれないし、群れてる場所ももっと探せる」
「急ぎすぎるなよ」
ガレスが釘を刺す。
「分かってるよ」
「いや、お前は分かってても走る」
「そこは否定しない」
レオは、森の木を見上げた。
新大陸、飛竜。火尾鶏。
そして今度は、甘味の取れる木。
「やっぱり新大陸はやばいな」
「今さらかよ」
隣でエルマーが苦笑する。
「今さらだが、改めてな」
村へ持ち帰ると、案の定、大騒ぎになった。
「甘い!」
と子供が目を丸くし、
「ほんとに木の汁かい?」
と女たちが顔を寄せる。
イルゼは得意満面で、小さな鍋に樹液を移した。
「見てな、ここから煮るんだよ」
「水っぽいままじゃただの甘い汁だけど」
「煮れば煮るほど、甘味が増す」
「香りも立つし、色も深くなる」
女衆が鍋の周りへ集まる。
子供たちも背伸びして覗き込む。
その様子に、イルゼはますます熱が入った。
レオは、その騒ぎを少し離れた位置から見ていた。
その横で、テオドールが静かに口を開く。
「女衆と子供にこれだけ刺さるなら、村の内側の価値も大きいですね」
「売るだけじゃない、暮らしそのものが変わる」
「そういうのが、一番でかいな」
やがて、煮詰まった樹液を木皿へ少しだけ垂らし、皆で舐めてみる。
「甘い!」
「これはいいねえ」
「ほんとに甘味だ」
「木からこれが取れるのかい」
イルゼは腕を組み、完全に勝ち誇った顔だった。
「言っただろう、サトウカエデだ」
「春の入口にしか取れない、森の恵みだよ」
こうして、春の入口にまた一つ、とんでもないものが見つかった。
飛竜だけでも充分おかしいのに、
今度は砂糖じみた甘味である。
村へ持ち帰れば女衆と子供が沸き、
イルゼは目を輝かせ、
テオドールは頭を抱えながらも計算を始める。
春はまだ来切っていない。
だが、もう十分すぎるほど、匂っていた。




