幕間⑥ 冬の帝都、盤上の縁談
冬の帝都。
空は低く、石畳は朝ごとに薄く白む。
吐く息は冷たく、貴族街の並木も葉を落として久しい。
その冷えた季節の中で、ウインザルフ公爵家とアルヴェイン侯爵家の話し合いは、静かに、だが着実に続いていた。
急ぐ話ではない。
だからこそ、雑には進まなかった。
双方とも、それなりに時間を使った。
使わざるを得なかった。
娘を出す側も、縁を欲する側も、軽い気持ちで話を動かせる家ではない。
しかも今回は、新大陸が絡む。
帝都の屋敷と違い、見えるものだけで判断できぬ土地だ。
だから、両家とも独自の情報網を動かした。
港の荷の流れ。
西部の商人筋。
教会の気配。
職人たちの移動。
新大陸の魔物素材の値。
そして何より、レオの村。
その実態を、互いに探った。
アルヴェイン侯爵家がまず知ったのは、思った以上に公爵家が本気だということだった。
ただ傷のついた令嬢の押し込み先を探しているのではない。
新大陸で伸びる可能性のある拠点へ、公爵家がどこまで関与できるかを、冷静に見ている。
それは侯爵家にとって、半分は望んだ形であり、半分は面倒でもあった。
娘だけ寄越されるならまだ楽だ。
だが、公爵家ほどの家が本気で噛むなら、当然嫁だけで済むはずがない。
人がつき、金が流れ、物が動く。
そして、理屈も入る。
それは首輪であると同時に、明確な後ろ盾でもあった。
「結局、公爵家は娘を置くだけでは終わらせませんな」
侯爵家の内輪の場で、あの子爵がそう言った。
アルヴェイン侯爵家当主カイゼルも、その言葉に頷く。
「当然だ、公爵家がそこまで軽いわけがない」
「ただし、こちらにとっても悪い話ではありません」
子爵は、指先で机を軽く叩きながら続けた。
「レオ殿の村は、もう潰れる辺境ではありませぬ」
「今さら押し潰そうとするより、大きくして手綱を握る方がはるかに利が大きくなるでしょう」
「続けろ」
「しかも、公爵家の名が入れば、寄ってくる人材の質も変わります」
「商人も、職人も、教会も」
「公爵家も見ている村となれば、受け止めが一段違う」
カイゼルは黙っていた。
だが、否定はしない。
実際その通りだ。
レオの村は、まだ小さい。
だが、そこへウインザルフ公爵家の娘が入る。
しかも、ただ嫁ぐだけでなく、公爵家が一定の支援を示す。
そうなれば、辺境の分家の小村ではなくなる。
侯爵家の分家であり、公爵家と縁を結んだ、将来性ある新大陸拠点。
そういう看板へ変わる。
子爵はさらに声を落とした。
「加えて、新大陸の大型魔物素材です」
「西部で、かなりの高値になっております」
「報告書にも詳細な記載があったな」
「どれも旧大陸の素材と比べて質が頭一以上抜けております」
「鍛冶、薬、建材、装飾、どこへ流しても値が崩れにくい」
「しかも、今はまだ流通量が少ない」
「握れれば、利権になります」
カイゼルの目がそこで細くなった。
そこが、本音の中心だ。
レオへ首輪をかける。
その上で、公爵家を経由して新大陸の利へ深く絡む。
婚姻は、そのための上品な橋になる。
結局、そこだった。
侯爵家はレオへ首輪をかけたい。
だが、公爵家に村ごと食われるのは論外だ。
だから、線を引く必要がある。
新大陸の村は、あくまでレオの分家。
その骨格は崩さない。
だが、公爵家に関与する価値は渡す。
その塩梅を、冬の帝都で少しずつ詰めていった。
一方、ウインザルフ公爵家側でも話は進んでいた。
ヒカシューの机の上には、また新しい報告が積まれている。
冬の備えが整っていること。
職人たちが定着しつつあること。
湯場や鍛冶場が、ただの思いつきではなく、実際に村の生活を変えていること。
その点が、ヒカシューには意外と大きく見えた。
ヒカシューが報告書から顔を上げたタイミングで、老臣が進言する。
「押しつけられた村では、ここまでは育ちません」
「そうだな」
「少なくともレオ殿は、人を使い潰すだけの男ではない」
「それどころか、現場へ自ら降りながら村の骨を立てております」
ヒカシューも、その評価には同意していた。
未熟さはあるだろう。
辺境ゆえの荒さもあるだろう。
だが、器がなければあそこまで人は残らない。
「セラフィーナを出すなら、ただの良縁では済まぬ」
「当然です」
「娘が入って価値がある場所でなければならない」
「はい」
「その意味で新大陸の村は、思ったより悪くない」
財務を預かる文官も、別の角度から言葉を継いだ。
「金の理屈でも同じです」
「新大陸の大型魔物素材が、西部で破格の値をつけています」
「それは聞いている」
「しかも、ただ珍しいから高いのではありません」
「旧大陸の素材より、用途が広く、加工後の価値も落ちにくい」
「交易路さえ押さえれば、継続して金を生みましょう」
「帝都の政争がどう転ぶにせよ、家には先々まで流れる金が必要です」
「新大陸は、その候補として軽くないかと」
そこは、公爵家にとっても大きかった。
皇太子位を巡る騒動。
第一皇子と第二皇子の小競り合い。
どちらへ与するにせよ、あるいは距離を取るにせよ、または別の者を立てるにしろ、帝都で立つ家には金が要る。
それも、すぐに尽きる金ではなく、先々まで伸びる流れが欲しい。
新大陸の魔物素材。
将来の交易路。
帝都では抱えきれぬ平民職人の再配置先。
それら全部が、レオの村をただの縁談先以上のものにしていた。
公爵家がこの話を軽く見なかった理由は、それだけではない。
「第二皇子殿下の動きが、さすがに看過できませぬ」
老臣が報告書を読み上げる。
部屋の空気が少しだけ硬くなる。
ヒカシューは頷いた。
「ここまでは、少々目障りな程度だった」
「打診の形を取りながら、実質は押し込みに近い」
「しかも、陛下の許しも取らずに、ですな」
「第二皇子殿下とその派閥だけで動いております」
「そこが厄介だ」
第二皇子によるセラフィーナへのちょっかいは、もう無視で済ませてよい水準ではなくなってきていた。
単なる色気ではない。
婚約破棄で宙に浮いた公爵令嬢を、自らの派へ引き込む。
あるいは、第一皇子派へ当てつける。
その両方の匂いがあった。
しかも、その動きは陛下への筋を通したものではない。
第二皇子とその周辺が、勝手に盤へ手を伸ばしている類のものだった。
「美しくない」
ヒカシューは静かに言った。
「だからこそ、公爵家としても長く曖昧にはしておけません」
「セラフィーナ様ほどの方を、帝都の盤上にただ置いておけば」
「必ず、また手が伸びます」
「今度は皇太子の色恋より、よほど粘ついた形でな」
「その通りです」
財務官も冷静な口調で進言する。
「そう考えると、侯爵家分家への縁談は第二皇子殿下から距離を置くということもできます」
「距離を置くか」
ヒカシューが復唱するように呟く。
「帝都のぬめついた手から一度距離を置き、利のある新天地へ置く」
「ただ押し込むだけの遠流しではなく、公爵家の力を外へ広げる形すればいいかと」
「悪くない見方だ」
そして、公爵家にとってはもう一つ、見逃せぬ理屈があった。
家令が一度ヒカシューの顔を見てから、言った。
「セラフィーナ様の気性もございます」
ヒカシューは、それを否定しなかった。
「分かっている」
「お嬢様は、家の中へ綺麗に納めておく類ではありません」
「無理に屋敷の奥へ置けば、腐ります」
「だろうな」
「辺境であれ新天地であれ」
「物語を動かせる場へ置いた方が、お嬢様には向いているかと」
ヒカシューは、そこで初めて少しだけ口元を緩めた。
セラフィーナは、家の中で美しく飾っておくには強すぎる。
しかも、ただ強いだけではない。
善良で、冷静で、自分の能力を正しく使おうとする。
だからこそ、閉じ込めれば息が詰まる。
逆に広い場を渡せば、どこまでも伸ばしていく。
「娘を出す価値はある…か」
「お嬢様のためにも、そう見るべきでしょう」
「ただし、安く出すつもりはない」
「当然です」
そうして、話は少しずつまとまっていった。
最初は、互いに探るだけだった。
次に、相手が本気だと分かった。
その後で、欲しいものが明確になっていく。
アルヴェイン侯爵家が欲しいのは、分家を押さえるための婚姻。
ただし、それだけではない。
ウインザルフ公爵家を経由して、新大陸の利権へ深く絡むこと。
それも、きっちり視野に入っていた。
ウインザルフ公爵家が欲しいのは、娘の再配置先ではない。
将来性ある拠点と、そこへ入る権利。
その上で、セラフィーナが無駄にならぬ場所であること。
加えて、第二皇子の手が届きにくい場所へ、一度移すこと。
両家の欲は違う。
だが、盤の上では噛み合い始めていた。
支えでもあり、目でもある。
だが、それを露骨に言わぬのが帝都の貴族だ。
そして、最後に残るのはただ一つ。
レオ本人だ。
家同士の理屈は整う。
名目も立ち、利もある。
体面も悪くない。
だが、そこへ実際に立つのは、セラフィーナとレオである。
レオがこの話をどう受けるか。
セラフィーナが、隣に立つ価値ありと見るか。
そこだけは、家の都合だけでは決まらない。
アルヴェイン侯爵家執務室、公爵家との協議の後に例の子爵がカイゼルへ報告書を渡す。
「だいぶ形になってきましたな」
「公爵家は飲む気がある」
「ただし、相応の形と理屈を求めております」
「当然だろう」
「加えて、あちらも新大陸の利をはっきり見ています」
「大型魔物素材の値が、想像以上に効いております」
「利が見えるからこそ、公爵家も本気で来る」
「そして、それを通せばこちらも利権へ深く入れる」
「まことにその通りかと」
公爵家でも、ヒカシューが最後に静かに言った。
「アルヴェインは、思ったより焦っていない」
「ですな」
「つまり、本当に育てる前提で見ている」
「そう見えます」
「こちらにとっても、セラフィーナ様を帝都の内側へ畳むより、新天地で辣腕を振るわせた方がよい可能性があります」
「そこも、もう否定はせん」
冬の帝都。
暖炉の火の前で、香の匂いのする部屋で、大貴族たちは静かに盤を寄せ合っていた。
新大陸は遠い。
その遠い地を巡って、帝都の二つの家が少しずつ合意へ近づいていく。
婚姻は、もうただの思いつきではなかった。
実際に通りうる話として、骨を持ち始めていた。
そして、その骨が固まり切る前に。
いずれ、当人たちへ盤が降りてくる。
レオへ。
セラフィーナへ。
季節が進むにつれ、その時もまた静かに近づいていた。
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