第63話 酒の種を蒔く
冬は、気づけばもう目の前まで来ていた。
大麦と燕麦の収穫は終わり、冬小麦の種まきも済んでいる。
カブやキャベツのような野菜も、ひと通り取り終えた。
畑は少しだけ寂しくなった。
だが、その寂しさは悪いものではない。
やるべきことをきちんと終えた畑の顔だ。
水路は今も細く流れ、収穫した穀物は倉へ入った。
根菜は選別され、干せるものは干し、塩漬けできるものは順に回されていく。
村全体に、忙しさの質が変わった空気があった。
今日食うものをどうするかではない。
冬をどう越すかへ、皆の意識が移っている忙しさだ。
「ようやく、ここまで来たな」
少し高い場所から畑を見下ろしながら、レオはそう言った。
広げた畑。
刈り終えた麦の跡。
蒔き終わった冬小麦の筋。
片付いた野菜畑。
去年なら、ここまで形になっていなかっただろう。
春先、この村へ来た頃には想像すらしにくかった光景だ。
後ろから来たガレスも、畑を見下ろしながらレオの横に並んだ。
「冬支度だな」
「薪はもう少し積む必要があるな」
「狩猟班の頻度も少し上げるか、若造共も鍛えないといかん」
やることはまだある。
だが、今の村には冬支度をする余裕があった。
それだけで、去年までとは天と地ほど違う。
そんな頃だった。
見張り台の方から、子供の大きな声が響いた。
「馬車!」
「商隊だ!」
「ハルトのおっちゃんだー!」
その声だけで、広場の空気が少し変わる。
村人達が、騒がしくなる。
「この時期に来るってことは、荷も期待できるね」
「塩や布が多めだと助かるねぇ」
レオたちが村の前へ出ると、道の先から馴染みの荷馬車が見えていた。
ハルトの商会だ。
前より荷は少し絞ってある。
その代わり、積み方が冬前のそれだった。
布、塩、乾物。それに酒樽。
そして今回は、荷だけではなかった。
また人がいる。
「また連れてきたのか」
レオがハルトを迎えながら言う。
「そりゃあな」
商人はいつものように腹を揺らしながら笑った。
「面白い村だって広まり始めた」
「お前が広めてるんじゃないのか」
「半分くらいはな」
「便利な数字だな」
「好きだろ」
「嫌いじゃない」
ハルトはそこで、荷台の後ろを親指で示した。
「今回は、こいつだ」
そこから、一人の男が降りてきた。
三十代半ばくらいだろうか。
髪は濃い茶で、少し伸びっぱなし。
日に焼けているが、農夫の焼け方とは少し違う。
服は旅用だが、ところどころに元はもっと身なりに気を使う人間だった気配が残っている。
そして何より、目が土地を見る目をしていた。
「オーフェンだ」
男はそう名乗り、レオを見た。
「帝国南部で、ワインとエールを作ってた」
「醸造家か」
「そういうことになる」
「どうして新大陸へ?」
「そこは色々あってな」
ハルトが、いかにも面白い話だぞという顔をした。
それだけで、レオは少し嫌な予感がした。
「教会と揉めた、そして酒造権を取り上げられた」
「なるほど」
予想以上に、真っ直ぐ面倒な経歴だった。
少し離れたところにいたアリスが、ぴくりと反応する。
ガーネットも目だけは少し細くなる。
だが、今はまだ何も言わない。
オーフェン本人にも、変な気まずさはなかった。
「別に神に喧嘩売ったわけじゃない」
「何をしたんだ」
「売る酒の量と税と、誰が祝福を与えた樽かで揉めた」
「面倒だな」
「神の名を語りながら、酒と金に文句付けて来たからな」
その返しに、ガレスが喉の奥で笑った。
「正直なやつは嫌いじゃねえ」
「光栄だ」
そして男は、荷台の奥へ手を伸ばした。
「で、こっちが本命だ」
抱え上げたのは、丁寧に包まれた細長い箱だった。
蓋を少し開く。
そこには、苗があった。
「ぶどう、か」
レオが少しだけ目を見開いた。
「そうだ、自前で育ててた」
「南寄りの土地でな。大規模じゃないが、いくつか系統を持ってた」
「本気だな」
「酒だけじゃなく、果実としてもいける」
そう言いながら、村をぐるりと見回した。
オーフェンの目が、その時だけ少し変わった。
ただ酒を飲みたい人間の目ではない。
土地を見る職人の目だ。
「ここ、風が悪くない」
「まだ村も見てないだろう」
とレオ。
「道と空気で分かることもある」
「そういうものか」
「水路があるってハルトから聞いた」
「あるぞ」
「なら、やりようはある」
ハルトが横から笑う。
「面白いだろ」
「酒樽だけじゃなく、苗ごと連れてきたんだぜ」
「本気じゃなきゃ、教会と揉めてまで来ないさ」
オーフェンが最後にそう締めた。
村人たちの反応は、少し遅れてやってきた。
「ワイン?」
「エール?」
「酒造りか?」
「ぶどうって、あの甘いやつか?」
「酒になるのか?」
男たちがまず露骨に食いついた。
女たちは少し遅れて、果実と保存食の可能性に反応し始める。
「酒だけじゃないのかい?」
女衆が、オーフェンに食いつく。
「果実酒もできるし、干せば干しぶどうにもなる」
「へえ」
「搾りかすの使い道もある」
「全部を今すぐってわけじゃない」
「だが、苗が根づけば話は違う」
それを聞いて、村人たちの目がじわじわ変わる。
酒、それだけでも魅力はある。
だが、それだけではない。
果実を育てる。
新しい作物だ。
しかも、うまくいけば商品になる。
「また一つ、増えるな」
とレオが言う。
「増やしに来た」
ハルトが豪快に笑う。
「気に入った村にはそうする主義だ」
「ありがたいが、商人の言葉としては少し怖い」
「褒め言葉として受け取っておく」
オーフェンは、そこで改めてレオへ向き直った。
「先に言っておく、俺は酒を作る」
「だが、権利だけ握ってふんぞり返る気はない」
「その方が助かる」
「作るなら、育てるところからやる」
「ぶどうの苗も、そのためか」
「ああ」
レオはそこで少しだけ笑った。
悪くない。
かなり悪くない。
この村には今、畑があり水路がある。
鍛冶場があり、錬金術師のアトリエがあり、湯場もある。
そして、冬を越えようとしている。
そこへぶどうが来る。
酒が来る。
しかも、ただ飲むためじゃない。
育てて、根づかせて、次の産業にするための酒だ。
「歓迎する」
「ただし、教会絡みの揉め事を、うちの村へそのまま持ち込むなよ」
その一言で、オーフェンは一瞬だけアリスの方を見た。
アリスはきょとんとしている。
ガーネットは静かだ。
「善処する」
「善処か」
「本気でそう言ってる」
「なら、今はそれでいい」
ハルトが、そのやり取りを面白そうに見ていた。
「冬前に、また村が太るな」
「太るどころか、酔う未来が見える」
ガレスも笑う。
冬は近い。
だが村には、また新しい芽が持ち込まれた。
今度は、ぶどうだ。
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