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第132話 観察者はまだ静かに

セラフィーナが村へ来て、七日が過ぎた。

新大陸は、そろそろ夏を迎えようとしている。


朝の光はもう柔らかいだけではない。

日ごとに強さを増し、昼になれば土の匂いが立つ。

風の中にも春の青さではなく、熱の気配が混じり始めていた。


村もまた、その変化に合わせるように忙しさを増している。


畑は伸び、水路は絶えず回る。

港道の往来は明らかに増えた。

ハルトの商会も、もはや仮の店では済まない顔つきになってきている。


一週間の間、セラフィーナは基本的に口を出さなかった。


館の中でも、広場でも。

ここを直せとも、あれを変えろとも言わない。


ただ見ていた。

いや、見定めていたと言った方が正しいのかもしれない。


最初のうち、村人たちはそれを少し不思議がっていた。


広場で荷を運びながら、ミハルとバルドが首を捻っている。


「もっと、こう…何でも言ってくる人かと思ってたんですけど」


「細かく口出ししてくるのかと思ってたが…妙に静かだよな」


「静かですよね」


近くにいた若い衆も同意する。


「正直、ちょっと怖いですけど」


「静かなのが、余計にな」


そのやり取りを聞いていたマルタが、鼻を鳴らす。


「静かな人ほど、ちゃんと見てるもんだよ」

「喋らないからって、何も考えてないわけじゃない」

「むしろ逆さね」


オーフェンも小さく頷いた。


「酒の席でもそうだったな、目はずっと動いてた」


「嫌だなそれ」


「嫌でもそういう人なんだろ」


とオーフェンは淡々と返した。


実際セラフィーナは、この一週間で村のあちこちへ足を運んでいた。


畑を見て水路の傍を歩く。

鍛冶場を見て、イルゼのアトリエにも足を運ぶ。

赤杭の打たれた森の境界を見るべく、護衛を連れて森の中にも入る。

だが、そこで何かをすぐ変えようとはしない。


見て、聞いて、覚える。

その順を崩さなかった。


レオも、それには気づいていた。

ある日の夕方、広場の端で村を見ながら言葉を漏らす。


「ほんと、言わないな」


隣を歩いていたアリスが顔を向ける。


「何がですか」


「村のこと、もっと来るかと思ってた」


アリスも少し考えてから頷いた。


「言われてみれば、そうですね」

「見てはいるんですけど、すぐ口にはしない」


「だろ」


「でも、何も考えてない感じじゃないです」


その時、いつの間にか横へ来ていたテオドールが静かに言った。


「賢明な判断ですね」


レオがテオドールを見る。


「そうか?」


「最初の一週間で、帝都の理屈をそのまま落とす方が危険です」

「まずは、この村の事を知るべきでしょう」

「セラフィーナ様は、たぶん今そこをやっています」


レオは黙って頷いた。


それは自分にもわかる。

特に、ヴァルカの件が大きかったはずだ。


飛竜を知っていたつもりの女が、実物を見て空を体感した。

そのあとで、ものの見方が変わった。

あの変化は、レオにもはっきり見えていた。



セラフィーナ自身も、それを自覚していた。


夜、自室の机に向かう時間が増えた。

そこに書きつける内容は、帝都の頃と少し変わっていた。


以前なら、もっと早く整理していたはずだ。

報告を読み数字を見て、項目を分けて手を入れる順を決める。


それは得意だった、今でも得意だ。

だが、この村ではそれだけでは足りない。


窓辺に立ち夜の村を見下ろしながら、セラフィーナは静かに考える。

帝都で紙の上だけで知っていたことと、実際に体験した事は重さがまるで違う。


ヴァルカを見た時の衝撃は、思っていた以上に大きかった。


飛竜。


その言葉自体は、帝都でも何度も見た。

古い記録にも、軍の報告にも出てくる。


だが、実物を見たあとでは、それらはすべて平面だったと分かる。


空の理と存在の重さ、あれに人が乗るということの意味。


理解していたつもりだった。

だが、つもりでしかなかった。


「迂闊だったわね」


誰に聞かせるでもなく、そう呟く。

自分は、帝都で十分に賢いと思われてきた。

実際、それに応えるだけの努力もしてきた。

だが、実物の前では知識が薄くなる。


なら、この村のことも同じだ。

紙の上の開拓村と、実際に息をしている村は別物として扱うべきだ。


その意識が、今のセラフィーナには強くあった。

だからこそ、この一週間、彼女は急がなかった。


畑を見る時も、作物の出来だけを見ているわけではない。


誰が見回っているのか、誰が口を出しているのか。

水路に不具合が出た時最初に動くのは誰か。

エルマーがどこまで自分で決め、どこから先をレオへ上げるのか。


現場では、カイルとドーレンの力関係を見る。

村の需要と、職人の我がどうぶつかっているかを見る。


広場では、子供が誰へ集まるかを見る。

アカネたちがどの子へ懐き、どの大人の声を聞くかまで見る。


食卓では誰が自然に笑い、誰が少し引いた位置で場を見ているかを見る。


帝都での社交観察にも似ていた。

だが、根本が違う。


帝都では、家名と立場がまず先にある。

ここは、人と役割が先に見える。


その違いを、セラフィーナはいま丁寧に落とし込んでいた。


ある夜、ミラが小さく尋ねたことがある。


「お嬢様」


「何?」


「まだ、動かれませんか」


「急ぐべきだと思う?」


「いえ」


ミラは、首を振りながら答えた。


「手を入れられる部分は、もう見えているのではないかと思っただけです」


「見えているわ」


ミラは黙って次の言葉を待つ。


「でも、今の私が動けば私が整えた村になるわ、それはまだ違うの」


ミラの目がわずかに細くなる。


「レオ様の村であるべきだと?」


「この村は、レオが立てた村であるべきよ」


セラフィーナは窓の外へ視線を向けたまま言った。


「中身を知らずに直せば、見た目だけした整わないわ」

「それでは意味がない」


ミラは、その答えに静かに頭を下げた。


「承知しました」


横で聞いていたエリーが、やわらかく笑う。


「お嬢様らしいですね」


「そうかしら」


「焦って取りにいくより、一度ちゃんと噛んで飲み込む」

「そういう時のお嬢様は、強いです」


セラフィーナは、少しだけ口元を緩めた。


「嬉しいことを言うのね」


「本当のことですから」


アリスは、そういうセラフィーナを見て少し戸惑っていた。


もっと色々言われると思っていたのだ。

館のことに村のこと、そして自分の振る舞いまで。


だが、セラフィーナは意外なほど静かだった。


見ていないわけではない。

むしろ、とんでもなく見ている。

でも、それをすぐ言葉へしない。


ある日、広場でそのことをレオに話す機会があった。


「怖いか?」


「ちょっとだけ」


アリスは正直に答えた。


「だろうな」


「でも、嫌ではないです」


アリスは少し視線を落としたが、それでも言葉を継いだ。


「たぶん、比べてるんだと思います」

「この村と何かを」

「でも、すぐに決めつけないで、ちゃんと見てる感じがするんです」


レオはそれを聞いて、少しだけ黙った。


「俺も、たぶん同じようなことを思ってる」



そして、レオはようやくはっきり理解する。

この女は、急いで支配しに来たわけではない。


見ているし、測っている。

そして、こちらが気づかないところまで拾っている。


だが、それをまだ盤面へ置かない。

駒を動かすには、早いと知っているからだ。


夕方の広場で村を見回しながら、レオは小さく息を吐いた。


夏が来る。

新大陸の夏は、まだ本気を見せていない。


その手前の一週間。

セラフィーナは、この村へ何かを押し込むのではなく、村の形そのものを目に入れていた。


たぶん、それは正しい。


ヴァルカを見た衝撃が、彼女の考えに強く影響したのだろう。

実際に見ることや体感することを、彼女はいま誰より意識している。


だから急がない、まず見定める。


「賢いな」


ぼそりと漏らすと、隣のアリスが顔を向けた。


「何がです?」


「セラフィーナだ」


アリスは少しだけ考えて、頷いた。


「そうですね…もうすぐ変わりますけど」


「変わる?」


「見てるだけの期間、そろそろ終わりそうです」


レオが目を細めた、その時だった。


「私もそう思います」


後ろからテオドールの声がした。


「来るでしょうね。夏の前に一段」


村は夏を迎えようとしている。

セラフィーナも、紙の上の領地を捨て実際に立っている村を見た。


それが終われば、そういう段階に入るのだろう。

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