第119話 先触れが告げる日
春の終わりが、はっきりと見え始めていた。
風はもう冷たくない。
日差しには、夏の気配が少しだけ混じり始めている。
村も、セラフィーナを迎える最後の調整に入っていた。
館ではガーネットが人を走らせ、リーナとサラが客間と廊下の最終確認をする。
アリスは相変わらず館の中で急ぎ足になっては止められている。
村の方でも、ハルトの新店舗予定地も仮組みの骨が立ち始めていた。
誰もが分かっている。
公爵令嬢セラフィーナ。
帝都の空気をまとった女が、
この村へ本当に来るのだと。
そして、それは来た。
昼を少し回った頃。
港道の見張りから、若者が広場へ駆け込んできた。
「来た!公爵家だ!」
その一言で、広場の空気が変わった。
水路脇の作業の手が止まり、広場にいた者たちの視線が一斉に村の入口へ向く。
若者は、そのまま領主館の方へ走っていく。
レオ達が村の広場まで来た頃、見えて来た。
二騎の騎士だ。
馬も鎧も、無駄に派手ではない。
それでいて、旅塵をかぶってなお質の良さが崩れない。
手入れの行き届いた装備と騎乗姿だけで、背負っている家の重さが分かる。
掲げられた旗は、公爵家の紋章。
ウインザルフ公爵家。
「本当に来たな」
レオが、徐々に近くなる騎士達を見つめる。
「ええ、先触れですね」
テオドールが、自然にレオの斜め後ろに付く。
「二人だけか…」
「それで足りる、ということです」
「威圧ではなく格だけで届く、一番厄介な形ですね」
「嫌な言い方だが、そうなんだろうな」
二人の騎士は、広場の手前で馬を止めた。
共に年嵩だ、若くない。
四十は越えている。
片方は五十に届いているかもしれない。
古参の騎士。
長く公爵家の内側に仕えてきた男たちだと、一目で分かった。
無駄な威圧はない。
見下しもない。
ただ、仕える家の格を当たり前に背負っている立ち方をしていた。
先に馬を降りたのは、白髪の混じった男だった。
顔には古い傷が一本。
もう一人はそれより少し若いが、こちらもまた無口そうな印象を醸し出していた。
「ウインザルフ公爵家に仕える騎士、レーン=ヴェスターと申します」
白髪交じりの男が一礼する。
「同じく、エルンスト=グリューンと申します」
少し若い方も短く頭を下げた。
「レオ=アルヴェインだ、遠路ご苦労」
「お迎えに感謝いたします」
その声音は落ち着いていた。
丁寧だが、柔らかすぎもしない。
長く公爵家に仕えた男の声だった。
館へ通された二人は、余計な事は言わなかった。
客間へ通され茶が置かれ後、ガーネットが静かに下がる。
その一連の流れを見て、エルンストの目が一度だけ周囲を走った。
見ている。
だが、騎士たちはその感想を顔へは一切出さなかった。
レーンが書状を差し出す。
「本日は、公爵家よりの先触れとして参りました」
「要件は一つ」
レオは書状を受け取らず、まず言葉で聞く形を取った。
「聞こう」
「はい」
騎士は、はっきりとした声で告げた。
「セラフィーナお嬢様は、間もなく帝都を発たれます」
「到着予定は二週間後」
その言葉は静かだったが、重かった。
二週間。
もうすぐ、が完全に数字になった。
館の中の空気が一段変わる。
テオドールの目が細くなり、ガーネットは表情を変えずに背筋を伸ばした。
アリスは横で小さく息を呑む。
「二週間か」
「天候と道の状態による細かな前後はあり得ます」
「ですが、大枠ではその頃と見ていただきたい」
「わかった」
エルンストがそこで短く補足した。
「随伴は、すでに伝わっている通り」
「侍女二名、護衛二名」
「大きな変更はありません」
「了解した」
「準備に不足があれば、この場で確認いたします」
「いや」
レオは首を振る。
「今のところ、大きな不足はない」
「ならば結構ですな」
そこまでは実務の会話だった。
淡々としている。
余計な感情はない。
先触れとして、必要なことだけを正確に置いていく話だ。
だが、最後にレーンが少しだけ間を置いた。
ほんのわずか。
けれど、確かに騎士達の空気が変わった。
「それと」
レオが無意識に居ずまいを正す。
レーンの声色も、少しだけ変わっていた。
低い声は変わらない。
だが今度は、公爵家の先触れとしてではない。
もっと個人的な響きが混じっていた。
「最後に…お嬢様のことを頼みます」
その一言だけは、感情がこもっていた。
強くではない、湿っぽくもない。
古参の騎士が言うまいとしながらも、結局は言わずにいられなかった声だった。
客間が少しだけ静まる。
エルンストも横で何も言わない。
だが、その沈黙自体が同じ願いを持っているように見えた。
レオは、そこで初めてこの二人を公爵家の使いではなく、セラフィーナの側にいた男たちとして見た。
長く仕え、見てきたのだろう。
あの完璧すぎる令嬢を。
婚約破棄も、帝都の目も、家の理屈も。
その中で折れずに立っていた少女を。
「長いのか」
レオがレーンに問う。
「何がでしょう」
「仕えた年数だ」
レーンは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「長い方かと」
「そうか」
「お嬢様が、お生まれになった頃から見ております」
その言葉で空気がまた少し変わった。
ただの忠義ではない。
成長を見てきた者の声だった。
レーンは言葉を続ける。
「剣をお持ちになる方ではありません」
「ですが、あれほど強い方を私は他に知りません」
「泣き言は言われません、弱みを見せるのもお嫌いだ」
「折れている時ほど、背筋を伸ばして立たれる」
エルンストが、そこで口を開いた。
「使用人の名を覚えておられる方です」
「下の者が失敗しても、怒鳴って終わらせる方ではない」
「だから皆、あの方に恥をかかせたくないと思う」
短い言葉だった。
だが、それだけで十分に伝わった。
セラフィーナは、ただ美しいだけの公爵令嬢ではない。
ただ有能なだけの完成品でもない。
仕える者に、守りたいと思わせる女なのだ。
レーンがさらに続けた。
「強い方です、それは疑うべくもありません」
「政治も礼法も魔法も、何ひとつ手を抜かれない」
「ですが」
レーンの声が、そこでほんの少しだけ沈む。
「強い方だからといって、傷まぬわけではない」
「痛まぬふりをなさるだけです」
「そこだけは、どうか」
テオドールが横で小さく目を伏せる。
ガーネットは表情を崩さない。
アリスは、少しだけ唇を噛んでいた。
レオはゆっくりと頷いた。
「わかった」
「その一言、心に留めておく」
レーンの目が、ほんの少しだけ和らぐ。
レオは続けた。
「ここへ来る人間を雑には扱わない」
「公爵家のお嬢様だからじゃない、この村へ来るからだ」
「その上で俺の隣へ立つなら、ちゃんと立てるようにする」
レーンは、その返しを静かに受け止めた。
それから深く一礼する。
「それで十分です」
エルンストもまた、頭を下げた。
その動きは簡素だったが、そこにこもるものは軽くなかった。
二人の騎士が館を出たあとも、しばらく客間の空気はすぐには戻らなかった。
「レオ様…来られますね」
アリスがぽつりと言葉を落とした。
「ああ、二週間後だ」
アリスは、まだ少しだけラウルの最後の言葉を引きずっている顔だった。
無意識に言葉が出る。
「強い方だからといって、傷まぬわけではない」
「そうですよね」
「アリス、何考えてる」
レオがアリスを見る。
「綺麗で頭もよくて、何でもできるみたいな人でも」
「ちゃんと、人なんだなって」
「そうだな」
公爵家令嬢であり、完璧な女。
完璧すぎる印象があった。
だが今は違う。
その側にいた騎士が、最後に感情を滲ませて頼むと言った。
その一言で、セラフィーナは急に生きた人間になった気がした。
強く高く、完成されている。
それでも、側の者が傷つくと知っている女。
その姿が、ようやく輪郭を持った。
レオは、窓の外を見た。
もう夏の気配も近い。
この村はさらに一つ、確実に変わる。
もう、曖昧ではない。
数字が出た、日が切られた。
なら、あとは前へ進むだけだった。
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