表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

十、学校事件記者はゆく

 翌日の午後に出た各校の号外は、二段ぶち抜きに「鹿鳴館高事件 犯人捕縛」と異口同音の見出しを添え、夜の御金神社境内でのひとコマを切り取った写真を大きく掲載していた。

 しかし、記事の内容といえばどれもあまり代わり映えはなく、かろうじてのどかの撮ったナイフ片手の真紀の写真が、その劇的な仕上がりに驚いたテレビや新聞社から借用依頼の連絡を受けた程度だった。

「いずこも同じ秋の夕暮れ、か……。吉倉家からのストップがなきゃあ、もうちょっとホシのことも書けたんだがねぇ」

 各校から運び込まれた号外の束を手に、登和子は歯ぎしりをしてみせる。ただでさえ事件に気が立っていた吉倉家が各方面へ横やりを入れたようで、登和子たちを含めた各種メディアは、実に凡庸な記事――容疑者の女子生徒がさらなる凶行を止めようとした男子生徒とのいざこざの最中に捕らえられた、という程度の報道である――しか載せられなかったのである。そのせいで、普段なら特ダネの抜いた抜かれたで沸き立つクラブの面々も、いつものような元気がない。

「あの強烈なアネさんが、お偉方からヤメロ、と言われてすっこむ程度じゃからのう。無理も通れば、とはこのことか……」

 早くも梅雨の兆しがある窓外を一べつしてから、美由紀はブレザーをソファの背もたれへ放り投げた。昼過ぎから空を覆い出した雨雲に、建物もクラブも、ひどく湿気た装いだった。

「――こーんちわぁ」

 空気を読まない呑気な声が響き渡ったのは、そのすぐ後だった。大きな保冷バックを抱え、アイス売りのようなサンバイザーを被った敦子がノックもなしにドアを開けてやってきたのだ。

「うちのデスクから、みなさんに陣中見舞いです。当人曰く――『トクダネ ダセヌ クヤシサハ コノツギ キット ハラシマショ』とのことです」

 カナ電報のような手紙を読みあげると、敦子は保冷バックを部屋の真ん中に置き、

「イチゴにメロンにブルーハワイ、より取り見取りの早い者勝ちですよぉ」

 と、本職顔負けの口上を並べ立てる。おかげで、いくらかしょぼくれていた記者連も活気を戻し、試験管で作ったような、細長いアイスキャンディーに舌鼓を打ち出したのだった。

デスク(あの女)も呑気だねぇ。人の気も知らないで……」

 電話番を頼んでいた由香と瞳の元へ、登和子は敦子を率いて舞い戻った。直前に買い込んだ瓶コーラがあったせいで、登和子はアイスをなめる気にならなかったのである。

「アイスキャンディー買って寄こすくらいなら、特ダネ欲しがるのをやめてほしいもんだね。毎度毎度せっつかれて、疲れるんだから……」

 愚痴りながら栓を抜くと、登和子は近場にあった紙コップを二つ出し、片方を敦子へ持たせた。すると、敦子はあたりを見やってからそっと、

「――さっき、下鴨病院に出かけてたおリョウさんから連絡がありましてね。吉倉和美が目を醒ましたんだそうです」

「何ッ。――知ってるのは、うちだけか?」

 驚く登和子に、敦子はそのとおり、と言いたげに首を縦に振る。

「あそこって、昔おリョウさんの入院してた病院なんですって。今でも月一で経過を診てもらってるとかで、その診察の帰りにたまたま、騒ぎを聞きつけたそうです。目下、独占ルポを精鋭執筆中ということですよ」

「なるほどぉ、そういうことか。――ホム、ヒトミン、こりゃ特ダネいただきだぞ。おっつけおリョウさんから電話があるだろうから、文面の聞き取りは頼んだよ」

 登和子がはしゃぐそばから、ゆるやかに外線の黒電話が鳴り出した。

「はいっ、七女通信中京記者クラブ……あ、おリョウさん。ええ、事情は聴いてますよ……はい、どうぞ……」

 電話を取った由香は、受話器から聞こえてくる涼の声を一言一句、原稿用紙へ書きつけた。それが済むと、登和子は用紙へ赤鉛筆をさっと走らせ、慣れた手つきでガリ電のハンドルを回した。

「もしもし……よっす、いまアコから聞いたよ。うん、もうおリョウさんから来てる……いいかぁ、読みあげるよ……」

 アイスキャンディーを囲んでつかの間の休息を楽しむ他の記者連を背に、登和子は必死に、メモを電話で送り出した。ブレザーの下に着込んだワイシャツに、うっすらと汗がつたっていた。


 涼の偶然の目撃が功を奏し、翌日の七女通信通常版には大きく「鹿鳴館高事件 被害者意識回復す ――本人語る、事件のあらまし」という見出しが、病床の和美を写した写真とともに刷り込まれていた。当然、他の面々には寝耳に水の事態であるし、当事者である和美自身が証言をしたということで、小うるさい吉倉家からはなんのお咎めもなしであった。

「やってくれたなぁ、ナナツウのッ」

 タブロイド判の七女通信をソファへ叩きつけると、武史は隣で悔しそうな顔をしているのどかをなだめた。

 年齢差と互いの家庭環境の違いから、願うだけで身を引こうとしていた和美と、それを蹴らざるを得なかった瀬戸コーチの悲恋。そして、そのために袖にされてしまい、さらにとばっちりを食う形になった幸太郎と真紀――このなんとも入り組んだ『愛憎の四角形』とでもいうべき構図を掴めなかったのが、のどかにとっては大変な痛手だった。なにせ、「もつれ話のセーカイ」と呼ばれるゴシップマニアが、渦中の二人の関係について、まるで掴めていなかったのであるから、ショックたるや並大抵のものではなかった。

「おハンら、悔しかったらこの次はもうちっとシャッキリせえよっ。それでもナニが生えとんのかっ」

 ブレザーを肩に羽織り、七女通信を後輩記者に投げ渡す美由紀は、一段と不機嫌そうである。そんな彼女に、登和子は紙面へ目をくれながら悠然とした調子で応対する。

「まぁ姐御、そうカッカしなさんな。どうせこの次はどっかの誰かにすっぱ抜かれて、デスクのお姉さまにイヤミ聞かされるんだからさ……」

「登和子さん、止してくださいなっ。言ってるそばからもう……」

 愛用のティーカップで残念会のお紅茶、と洒落こんでいた真澄は、けたたましく鳴り出す直通電話の音に、ブースへ身をひっこめた。順を追うように、他の新聞部のブースからも直通電話のベルが鳴り渡る。いずれも七女通信を読んだデスクたちからの鬼気迫るラブコールというわけだ。

 ほかのキャップたちがデスクの小言を食っているのをよそに、登和子はかろやかな足取りでブースへ戻った。白いシーツをかぶせた長いソファの上には、穏やかな老婦人にも似た微笑みの涼と、特ダネに目を輝かせる由香と瞳。そして様子を見届けようとはせ参じた敦子が控えている。

「やぁ、アコいつの間に?」

「皆さんがカッカしてる隙に、そっと入り込んだんだ。――あ、そうそう」

 湿気でハネたウルフカットを軽くゆらしながら、敦子は鞄と一緒に持ってきた紙袋から、厚紙の白い化粧箱を取り出した。見ればそれは、真新しいガラス製のフレンチプレスではないか。

「デスクがボクに、紅茶飲み損ねたお詫び、ってくれたんだけどさぁ。これ、もうウチにあるから持て余しちゃって。――ってことで、ひとつ茶漉し紅茶卒業と特ダネのお祝いに、ってことで、記者クラブ組にプレゼント!」

「なんだぁ、横流しか」

 軽口をたたきながらも、登和子は敦子から箱を受け取り、そっと中身を取り出した。錆一つない、工場から出てきたばかりの耐熱ガラスとステンレスのプレッサーが蛍光灯の光で淡く輝いている。

「ほいじゃ、ボクはこれで失礼するよ。これからカワイコチャンとリプトンでおデートなのだっ」

 鞄を持った右手を背中に回すと、敦子は気障なウィンクを一つのこし、電話に追われるキャップたちの後姿を一べつしてクラブを後にした。

「へっ、相変わらずだこと……」

 足元に置いた魔法瓶の栓を抜くと、登和子はせんにもらった紅茶の缶を開け、見よう見まねでフレンチプレスを使い出した。

「まあまあキャップ、いいじゃないか。ひとつ一杯仕立てたら、ロールさんのところへ差し上げに行ったらどうかね。――この前のツケ、まだ払ってないんだろうし」

「いっけねっ、忘れてた」

 魔法瓶の手元が危うくなったが、登和子はどうにか平静を保ち、ガラスの奥で踊る紅い茶葉をじっと見つめた。おそらく、こうして暢気に構えていられるのもほんのわずかだろう――そんな一種独特のセンチメンタルな感情が登和子の目の中に現れる。

 しかし、そんな気持ちはほんの数秒もしないうちに掻き消えてしまった。静寂を破る外線電話のベルに、登和子は開いた左手をさっと伸ばす。

「へいへいっ――あっ、ご苦労さん。……で、現場は……ひえー、機動隊まで!? で……ハハ、そりゃ片倉のアネさんおかんむりだわな。了解了解ッ、すぐ行きますっ。おーいっ、百万遍で事件だぞっ。学生運動の再来だっ」

 ガチャンと投げた受話器を軽くさすりながら、登和子は部屋いっぱいに声を張り上げる。デスクのイヤミに追われているキャップや記者たちが色めき立って動き出す。

「見てろナナツウ、今度はこっちが特ダネだ」

「――いいかおハンら、江戸の敵を長崎で討てっ」

「キャップ、それじゃ意味がおかしいですよっ」

「みなさんっ、出発ですわよっ」

「あははは、つかの間の休息であったなぁ、出陣出陣……」

 カメラと手帳を片手に飛び出す記者たちを、各校のキャップたちが微笑ましげに見送る。京都の空に梅雨入りが宣言された、ある木曜日の夕方のことであった。 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ