339.色付く世界
ルダイン連邦がキョクトウに侵攻してきてから一週間が経過した。
連邦からの追撃を警戒していたが、今のところ連邦から次の動きは確認できていない。
また、捕虜となった連邦兵たちからは、情報封鎖によって俺たちが得られなかった大陸の現状についていくつかの情報がもたらされた。
その中で一番大きな出来事は、ルダイン連邦に在った東の大迷宮が攻略されたことだろう。
これでこの世界に現存する大迷宮は北と南の二つとなった。
大迷宮は世界の維持装置であり、邪神の封印装置でもある。
つまり、残りの二つが攻略されたとき――その時こそが邪神との決戦の時だ。
その時は刻一刻と近づいている。
「オルン、また難しい顔してる」
この一週間のことを振り返っていると、隣に座っていたシオンから声を掛けられた。
不意に声を掛けられて、思考の底から現実に引き戻された。
顔を上げると、紅葉を背にしたシオンがこちらを覗き込んでいた。
秋の光を受けて、彼女の銀髪が淡く揺れる。
「……悪い。少し考えごとしてた」
「だと思った。気持ちもわかるけど、今くらいは考え事を抜きに楽しまない?」
小さく笑うその横顔には、すごく癒された。
「そうだな」
俺は肩の力を抜き、息を吐いた。
視線を巡らせると、あたり一面に色づいた木々が広がっている。
風が吹くたび、紅葉がひらりと舞い落ち、地面に柔らかな絨毯を作っていた。
今の俺たちはフウカの提案で紅葉狩りへとやってきている。
その一角で、フウカたちが落ち葉を集めて火を起こし、焼き芋を始めていた。
ぱちぱちと乾いた音が響き、風に乗って甘い匂いが漂ってくる。
その香りを嗅ぎつけたフウカが、目を輝かせている。
「ハルト、まだ?」
「まだだ。あと少し待て」
火の番をしていたハルトさんが、フウカを制止していた。
「いい匂いだね、フウカ姉さま! でも、今日こそ食べ過ぎちゃダメだからね?」
「……? 食べすぎたことなんてないよ?」
恒例となりつつある二人のやり取りをカティーナさんとヒューイさんは微笑ましそうに眺めている。
「これ、飲みやすいですね」
湯気の立つ猪口を両手で包みながら、ルーナが小さく笑っている。
少し離れたところでは、ルーナとオリヴァー、キリュウさんの三人が和酒を楽しんでいた。
湯で燗された酒の香りが、紅葉の合間を縫ってほのかに漂う。
「ルーナ殿のお口に合ったようで何よりです」
キリュウさんは穏やかに目を細め、手元の徳利を傾けて彼女の杯に注ぎ足した。
「はい。温めると甘く感じるの、不思議ですね」
ルーナは口元に微笑を浮かべ、ゆっくりと一口含む。
「それにしても、ルーナが自発的に酒を飲むなんて珍しいな」
オリヴァーが驚いたように笑った。
「確かに、これまではお付き合い程度でしたけど、私も二十歳になったことですし、お酒を楽しみたいなと思いまして」
そう言うルーナの横顔には、どこか大人びた落ち着きが宿っているように感じた。
「二十歳って関係あるか? 酒自体は成人になった十五歳から飲めるだろ」
オリヴァーが首をかしげながら言うと、ルーナは少し考えるように杯を見つめた。
「えぇ。私にとっては大きな区切りなので」
ゆっくりとそう答える声は、焚き火のぱちぱちという音に溶けていった。
「シオン様、オルン様、何か食べ物をお持ちしましょうか?」
柔らかな声がして、振り向くとテルシェが盆を抱えて立っていた。
「ありがとう、テルシェ。でも、今は貴女も好きに過ごして大丈夫だよ?」
シオンが穏やかな笑みを向ける。
けれどテルシェは、わずかに目を細めて首を横に振った。
「お心遣いありがとう存じます。ですが、こうしてお二人に仕えている時間が、私にとっては一番心安らぐのです」
その静かな言葉に、シオンは少し目を瞬かせてから微笑んだ。
「そっか。こっちこそありがとう。いつもテルシェには助けられてるよ」
焚き火の赤が俺たちの頬を照らし、落ち葉の焦げる香りがほんのりと漂っている。
そんな空気の中で、テルシェがふと唇に笑みを浮かべた。
まるで何かいたずらを仕掛けようとしている子どものように。
「……あぁ、そういうことでしたか。言葉の裏が汲み取れず失礼いたしました」
「……ん?」
テルシェの言葉にシオンが首をかしげる。
「オルン様と二人きりで過ごしたかったのですね」
「え!?」
シオンの肩がぴくりと跳ねる。
頬がみるみる赤くなり、あたふたとしながら口を開く。
「そ、そんなこと言ってないよっ!? テルシェが居てくれると安心するし、邪魔だなんて思ったこともないから!」
必死に弁解するシオンを見て、嬉しそうに微笑む。
「ふふっ。失礼いたしました。少々からかい過ぎてしまいました」
「も、もぅ……」
二人のやり取りを聞きながら、俺は思わず笑みをこぼす。
すると、遠くから普段頭の中に響いている声が耳に届いた。
「……はい、『お手』」
「だから! オレは犬じゃねぇって言ってんだろ!」
耳をぴんと立てて怒る薄桜色の狐に、白亜の少女が首をかしげている。
「……細かいこと、気にするんだね」
「細かくねぇ! いいか? オレは白櫻に取り込まれていた妖怪を全て飲み込んだ大妖怪――九尾の狐なんだぞ?」
ふさふさで丸みのある一本の尾を逆立て、どこか誇らしげに胸を張るサクラモチ。
だがピクシーは、まるで意に介さないように瞬きを一つした。
「……蟲毒みたいなものだっけ? ……白櫻の正式な主が決まった時に刀の中に居る妖怪同士で戦って、それで最後まで生き残ったサクラモチがフウカの唯一の従者になったんだよね? 頑張ったね、サクラモチ。……いい子、いい子」
「なに撫でてんだ、ガキ!」
頭を撫でられた瞬間、サクラモチの毛がぶわっと逆立つ。
ピクシーはその反応も気にせず、首を横に振った。
「……ガキじゃない。わたしは『ピクシー』。ちゃんと名前がある」
「……てめぇも、フウカと似たようなこと言うんだな」
サクラモチは鼻を鳴らし、視線を逸らす。
それでもピクシーは、静かに言葉を続けた。
「……名前は、親からもらった大切な贈り物だから」
その声は小さく、けれど不思議と胸の奥に響く。
サクラモチは一瞬だけ目を伏せ、それから舌打ちをした。
「……チッ!」
それ以上、名前の話には触れなかった。
気まずい沈黙が流れたかと思えば、ピクシーが再び手を差し出す。
「……というわけで、『お手』」
「だからオレは犬じゃねぇって言ってんだろうがっ!!」
紅葉の山にみんなの声が響いていた。
焼き芋を両手に幸せそうに頬張るフウカと、それを呆れ顔で叱るナギサ。
ルーナとオリヴァーの何気ない会話。
からかうテルシェと、それに顔を赤らめているシオン。
ピクシーの無邪気な声と、サクラモチの怒鳴り声。
どれも何気ない一幕だろう。
だけど、それがかけがえのないものであることを俺は知っている。
俺たちはきっと、これからも戦い続けていく。
迫りくる悪意を払い、人の未来を繋ぐために。
――いつか、何の憂いもなく、こんな穏やかな毎日が過ごせる日が来るように。
そう願いながら空を仰ぐ。
山の端に沈みかけた陽が、金色に滲んでいた。
きっと誰かが、今この瞬間も同じ空を見上げているのだろう。
紅の葉が宙を舞い、陽の光を受けてきらめく。
胸の奥に残る温もりを確かめながら、俺はそっと目を閉じた。
――だが同時に、胸の奥底で小さなざわめきが息を吹く。
大迷宮は残り二つ。
もはや大迷宮攻略を止められる世界情勢ではない。
近い将来、大迷宮はすべて攻略されることになるだろう。
それ自体は、俺も望んでいる未来だ。
だが、大迷宮攻略は始まりでしかない。
大迷宮という封印から解き放たれた邪神は、人類を滅ぼすために必ず動き出す。
この穏やかな日常を守るためにも、大迷宮攻略をゴールにしてはいけない。
その先に立ちはだかる邪神を討つことこそが、俺の役目だ。
人の歴史をこれからも刻み続け、未来へと繋げるために。
迫り来る決戦の気配は、静かに、確実に世界を満たしつつあった――。
最後までお読みいただきありがとうございます。
これにて第十章完結です!
第十章如何だったでしょうか。
お楽しみいただけましたら幸いです。
第十一章はキョクトウを離れてルダイン連邦が舞台となる予定です。
物語も終盤に差し掛かっていきますので、引き続きお付き合いいただけますと嬉しいです。
なお、第十一章の更新開始は10月ごろを目途に考えておりますので、今しばらくお待ちくださいませ。
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