335.【sideシオン】花天月地①
―キョクトウ西部:国境付近の海上―
キョクトウ各地で戦いが続くころ、シオンの周囲は一変していた。
鉛色の波がうねり、黒雲が昼の光を呑み込んでいる。
何度も衝突した氷と炎が生んだ局所的な嵐が、海上を覆っていた。
雨が針のように降り注ぐ中、二つの影がその暴風の中心でぶつかり合っていた。
炎の奔流が唸る。
ルアリの両腕と髪が燃え上がり、降り注ぐ雫は触れたそばから蒸気へ変わる。
腕を一振りするたび、海が裂け、空気が悲鳴を上げた。
一方のシオンは、波間に立って冷気を纏っていた。
氷の結晶が周囲に散り、一歩ごとに海が凍りつく。
外傷こそ少ないが、呼吸は乱れ、頬を伝う雨の中に疲労の色が滲んでいる。
「……へぇ。いいね、すごくいい」
ルアリが笑う。その声音には愉悦と、獣じみた高揚が混じっていた。
「私とここまでやり合える人間なんて、ほんと久しぶり。……《魔女》以来かな」
「それは、光栄だね」
シオンが目を細めると、ルアリは舌で唇を舐めて肩をすくめた。
「と言っても、《魔女》もアンタも、私の遊び相手を務められるだけ。私がその気になればすぐ消し炭になる程度の、ちっぽけな生き物に過ぎない」
その一言で、シオンの瞳が冷たく光る。
「……どうして貴女たちは、壊すことしかできないの? せっかく知性があるんだから、その力を別のことに使った方が有益だと思うんだけど」
シオンの問いに、ルアリから笑みが消えた。
「……『壊す』? 今、壊すって言ったの?」
赤い瞳が爛々と光り、荒れ狂う風がさらに強まる。
「これまで数えきれないほどたくさんのモノを壊してきたのは、アンタら人間だろうがっ!」
怒号に呼応するように、海が鳴った。
熱が膨れ上がり、炎が暴走したかのように拡散する。
蒸気が白い壁となって、二人の視界を断った。
「人間は、戦って、奪って、壊して――それでもまだ足りないって顔をする! 壊したくないと宣いながら、壊すためのものばかり作る。アンタらは詭弁を重ねて、最後の一匹になるまで殺し合うんだろ! 色々なものを巻き込みながら壊し続けるんだろ!」
雨に濡れた髪が頬に貼りつき、冷気をまとったシオンの視線が揺れる。
「確かに、人は争い続けてきた。でも、そこから学んだこともたくさんあったはず」
その言葉は、自分に言い聞かせているようでもあった。
「学んだ?」
ルアリの熱が暴風となって吹き荒れる。
「何度繰り返したと思ってる! 学んだふりをして、また奪い合って――それを『進歩』なんて言葉で塗り替えて、同じ過ちを正当化しているだけじゃないか!」
火花がシオンの頬を掠める。
ルアリの激情は怒りだけでなく、積み重なった失望そのものだった。
「……それでも、全員がそうじゃない。止めようとしていた人も居たはずだよ」
「止められなかったから、今こうなっているんでしょ」
ルアリの声音が静まり、炎が収束していく。
「結局、世界を壊すのは人間だ。だから――私たちで〝掃除〟することにした」
掌に炎が集束する。
「人間こそが、世界のゴミなのだから」
海と空を焦がす嵐の中、再び殺気が満ちていく。
ルアリの周囲に焔が浮かび上がり、呼吸に合わせて蠢いた。
シオンもまた、指先に冷気を集める。
その時だった。
「――【白亜之聖槍】」
凛とした女性の声が、嵐の轟きを裂いた。
白亜の光が槍となって空間を貫き、ルアリへ突き進む。
「……無粋なことしてくれるね」
ルアリは燃え盛る左腕を突き出し、炎の手で白光を燃やし尽くそうとしている。
光と炎がぶつかり合い、空気が震える。
「――っ! この魔力、まさか……!」
白亜の槍は灼かれることなく、勢いを相殺できなかったルアリがそのまま海へと叩き落とされた。
海面が炸裂し、蒸気と飛沫が一帯を覆った。
「シオンさん、大丈夫ですか?」
シオンが声のした方へと向くと、そこには、白亜の光に包まれた女性――ルーナが居た。
髪も瞳も、同じ白で輝いている。
「……その声、もしかしてルーナ?」
「はい」
安堵の色を浮かべるルーナに、シオンも短く笑みを返した。
「……ふふ。ずいぶん、カッコよくなったね」
「ありがとうございます」
二人が話していると、海面の下から低く唸るような音が響いた。
蒸気の壁を突き破るように、真紅の炎が海中から噴き上がる。
煮え立つ海が弾け、熱波が周囲の空気を押し返す。
ずぶ濡れの身体から白煙が立ち昇り、濡れた髪が瞬く間に燃え上がった。
「この……裏切り者がっ!!」
紅い瞳が、ルーナをまっすぐに射貫く。
怒号は海を震わせ、周囲の雨粒さえ蒸発させた。
ルアリの足元で炎が渦を巻き、海面を焦がすように広がっていく。
「……裏切り者?」
ルーナが戸惑うと、頭の中にピクシーの声が響く。
『……気にしなくていいよ。……アレが勝手に言ってるだけだから』
『どういうことですか?』
『……お母さん――妖精たちと、アイツら悪魔は、同じ魔力生命体でも考えが真逆なの。……お母さんは一度たりとも悪魔の仲間になったことなんてない』
ルーナは小さく頷き、胸の奥で息を整える。
『なるほど。同じ魔力生命体なのに考えが違うということで、裏切り者と呼んでいるだけですか』
納得しかけたところで、空気が再び弾けた。
「お前が居なければ、今頃世界は平穏になっていた! 敗者は引っ込んでろ! ――これ以上、私たちの邪魔をするなッ!」
ルアリが吠え、瞬時に距離を詰める。
炎の拳が空気を焼き裂いた。
「ルーナっ!」
シオンが身を翻し、間に割り込む。
瞬く間に形成された氷壁が炎とぶつかり、爆音と共に砕け散る。
シオンが作った一瞬のうちに、ルーナが【転移】を発動し、シオンと一緒にルアリと距離を取る。
それから両手で風と雷の精霊を操り、魔法を発動する。
「――【万雷之暴風】!」
竜巻の中にルアリを閉じ込め、上空から落ちた巨大な雷が風の刃と混ざり合い、ルアリを切り刻む。
「クソッ……ッ!」
ルアリが【灼穿】で強引に竜巻に穴を空けて、その場から逃れる。
それから炎を纏い直すが、雷の纏った風刃に斬られて痺れが残っているのか、動きが鈍くなっている。
シオンが空を泳ぐように距離を詰め、冷気の刃を放つ。
氷刃がルアリの進路を封じ、その瞬間を逃さず白亜の槍が再び閃いた。
氷と光と炎――三つの力が交錯し、海上に魔力の残滓が散る。
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