小隊長就任・1
「よりによって貴様のような者が勇者の血族とはな」
そんな言葉にクロダは困ったように笑い、気まずそうに口を閉じた。
そして魔王は勇者の黒い瞳から光が一瞬だけ消えるような堅さを感じ取った。
もっともそれは一瞬の出来事であり、気のせいと言われればそうなのだろうと言えるほど僅かな違いだ。
(墓穴を掘ったか……?)
そう言えばとワラキアは士官学校時代の彼女が一貫して勇者である事を誇る様な事を言った記憶が無かった。
むしろ勇者である事を問われると先ほどのような硬直した苦笑を浮かべるばかり。
そんな彼女にフォローの一言でもかけようかと魔王は思ったが、そんな義理もないなと彼も口を閉じる事にした。
(そもそもこいつは本当に勇者の末裔なのか? あの小僧と同じなのは黒髪黒目だけではないか)
確かに彼女の黒い髪と黒い瞳は異世界から召喚されたと言う勇者を彷彿させる特徴であった。だがその内面は?
あの勇者ははっきり言えばエゴイストであった。魔族の暮らしを無視して攻めて来た侵略者とでも言えた。もっともそれより先に周辺国への侵略を命じたのはブラド・ワラキア本人であるが。
(どうもやりにくい。あの勇者は確たる柱のような物を持っていたが、こいつはそれが感じられん)
それ故に魔王としては当代の勇者なのかと彼は訝っていた。
もっともそれをいつまでも言い続けるほど無粋な事はせずに彼はまっすぐとある納屋に向けて歩を進める。そここそ彼の所属する第二中隊の本部であり、その周囲には携帯テントを張り合わせて作った大型の居住地が出来上がっていた。
そのテントの一角。昼時と言う事もあって兵達は庭に机を引っ張り出して食事を楽しんでいるようであった。
「気をーつけッ」
そのテーブルに座るハーフエルフの上級軍曹が瞬時に近づいて来たワラキア達を認めると号令をかける。するとテーブルに座っていたゴブリン達が立ち上がり、敬礼をしようとするがそれをワラキアは手で制して空いている席に着く。
大隊長に呼び出されたから先に昼食を取っておくようにと言う小隊初の命令に基づいた行動がとられている事にワラキアは満足してフォークを手に取る。それを合図に小隊の面々は食事を再開し、かちゃかちゃとアルミの食器が擦れる音が響きだす。
もちろんクロダもワラキアに倣うように席に着き食事に手を伸ばした。
今日のメニューは石のように硬い軍用パンと水に牛乳を溶いたようなシチュー。メインはソーセージ二本と豆を潰した何か。そしてザワークラウト。
それを兵達――ゴブリン達が不味そうに咀嚼している。もっともワラキアもクロダも部下達とはすでに面会済みであり、気にする事無く食事会が始まった。
(わたしの部下になる人達とコミュニケーションを取るために士官食堂を使わなかったけど、絵面が酷い……)
テーブルを囲う十数人の兵達は一人を除いて皆、醜悪極まりないゴブリン達だ。そんな者達がパンを噛みちぎり、肉を咀嚼すると言う冒涜的な宴を思わせる様相にクロダは後悔を覚えていた。
その上、その宴を取り仕切っているのが魔王と言うのだから笑えない。
もっとも彼女の部下となる小隊員はこの場に居る者達ばかりではなく、訓練や歩哨業務などでもう十数人のゴブリンが所属しているのだから彼女の懊悩は留まる事を知らない。
「上級軍曹」
「はい、小隊長殿」
相変わらず細い声で返答が返されるがワラキアはそれを気にする事無く「そこのラードを寄こせ」と彼女の目の前にある小瓶をフォークで指した。
「はい、どうぞ」
指名されたシャルロット・ハフナー上級軍曹は恐る恐ると言うようにラードの詰められた瓶をワラキアに渡す。もちろんすでに着任の挨拶等はすましているのだが、出会って二十四時間と経っていない事もあって彼女は新小隊長をどう扱おうか戸惑っていた。
なんと言っても士官学校を卒業したばかりのど素人。なんと言っても魔王。
経験不足が能力不足に直結する事は無いが、両者の関係は似て非なるものであり、能力不足を穴埋めするのが経験だと思っているハフナーからすればワラキアは若すぎた。
その若さ故に士官学校が賞賛する勇気を鵜呑みにして知らずと蛮勇を振るって部下を巻き込んで戦死する。そんな新米士官を永い軍隊生活で見てきた彼女からすれば彼もまたその一人ではと思わずには居られなかった。
そして魔王である。なんと言っても魔王である。
いくらスラム育ちで母親が娼婦の娘である彼女でも三百年前に魔王が周辺国を脅かした事くらい知っている。
旧王国の王妃に手を出した不届きの騎士。魔族を侍らせ、周辺国を侵略した悪しき王。
魔王戦争の惨劇は数知れず、それを指導した魔王を不完全とは言え復活させて部隊指揮官にするなど共和国はそれほど末期なのかと別の不安を彼女に抱かせた。
その上、彼の赤い眼である。軽薄な笑みを浮かべるその瞳に彼女は言いしれない恐怖感を覚えていた。
「ふむ、ありがとう」
「は、はい――?」
そのせいか彼の一言にハフナーは心臓が飛び跳ねるような想いであった。むしろ飛び跳ねたのは手であり、アルミプレートで出来たメインをひっくり返しそうになったくらいだ。
感謝をされた。罵倒ではなく『ありがとう』と。その言葉はまさに奇襲攻撃とも言って良いほど意外であった。
「それで上級軍曹、部隊の方はどうか? 御しきれるか?」
「そ、それは――。は、はい、御命令とあれば」
「頼もしい。期待している」
「は、はい!」
部下の取りまとめこそ先任下士官のお仕事であり、言わば小隊内の中間管理職が彼女の仕事と言えた。
だが一人だけ、魔王の隣に座るクロダだけは色々とハフナーに聞きたい事があった。
例えば部下は戦意の低いゴブリンであるが故に統率出来るのか。
例えば補充兵としてやって来た新兵のゴブリンやオークをどう教育するのか。
例えば喧嘩早いコボルトをどう扱うか。
そうした諸々を聞いてみたかったが、口を開こうとする瞬間、テーブル下のブーツが誰かに踏まれた。もちろんそんな事をして許される者はただ一人。小隊長たるワラキアであった。
そのため彼女は疑問を浮かべそうになった口にシチューを流し込む。
(うわッ。薄ッ。それにぬるい……)
野菜の優しい甘さに包まれたシチューから塩分がほとんど感じられない。それに薄い。味ではなく牛乳を水で割っているせいで白色の水状態のスープとなっているのだ。それが冷え、ただでさえ美味しくないものが救いようの無いものへと変わっていた。せめてもの救いはそこにごろっとした肉が入っていた事であろうか。
だが次に食べたザワークラウトは発酵が行き過ぎたのかただ酸っぱい上にしょっぱいと先ほどのシチューの薄さとは正反対の味付けに彼女は即座にテーブルの上に手を彷徨わせる。
「少尉殿。コーヒーは如何ですか?」
「ど、どうも……」
配食当番を勤めるゴブリンの一等兵がテーブルに転がっていた空のコップにコーヒーポットから黒々した液体を注ぐ。そこから立ち上る湯気と香ばしい匂いを楽しんでからクロダが口に着けると頭の中に疑問符が浮かんできた。
これ、コーヒー?
「――ん?」
「もしや副官殿は代用コーヒーを飲むのは初めてですか?」
ハフナーが面白そうに問えばクロダは素直に頷いた。
「なんか、豆の味がするんだけど」
「そうですよ。コーヒー豆は貴重品ですから炒った豆と混ぜているんです」
コーヒー豆を産出しない共和国の土地柄、それらはもっぱら輸入頼りであった。幸い輸入先である海向こうの国々との交易は盛んであり、豆が途絶えることはあり得ないのだが、嗜好品を得るよりも鉄やミスリル、燃料のような戦略物資が優先的に船に積み込まれるため輸入量は減少傾向にあった。
そのためコーヒー豆に大豆を炒った物をブレンドして嵩増しをしたのがこの代用コーヒーなのだ。
「………………」
しかし味こそ似せたのものそれはただ焦げて苦いだけの物質にコーヒー豆特有の高貴な香りを添えた代物である。香りとてよくよく吸いこめば毅然とした物の中に豆の風味が混然としているためどこか田舎臭い。
あぁ悲しきかな。つまりはどこまで行っても代用品は代用品でしかないのだ。
もっとも国を上げての戦争中なのでそうした嗜好品も軍に優先的に配布される事に成ってはいるが、出来たばかりの魔族部隊にそれが定数割り当てられる事など無い。それに補給とて戦況の推移によっては断絶する事さえあり得るのだから出来るだけ貴重品は消耗を避けておきたいという主計部の思惑もある。
「これも前線の味と言う奴であります」
「そ、そうだね。温かいコーヒーが飲めるだけありがたいかな」
タハハと困ったように笑うクロダ。精一杯味の事を誤魔化すように彼女は笑うのだがハフナーにとってその笑みはなんだか頼りないの一言であり、魔王の件も含めてしばらく新しい上官を品定めする期間が必要だなと思い始めていた。
「あぁ、上級軍曹。昼が終わった後、少し付き合え。兵営を見て歩きたい」
「はい、小隊長殿。ですがあたしは午後の教練が――」
上官のお供をする事は先任下士官の仕事の内であるともちろんハフナーは心得ていたが、未だ魔王との距離感を掴みきれない無い彼女は無意識に的に働く防衛本能から思わず逃避を選択する。
だが眼前の少尉がそれを許す性質では無い事を彼女はやっと悟った。
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予定では二一時くらいに最新話を投稿します。
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