1.ついてない男
その日、駅で妻と待ち合わせをしていた。足早に歩く人の波を眺めていた。
何年か前、この場所で昔の女と出くわしたことがある。声はかけずに、その姿を見送った。遠い昔の思い出だ。未練はない。しかし、どうやら妻には昔の男への未練があると、気づいていた。そのことは確かめられないまま、ここまで二人で歩んできたが、まさかその男と友人になる日が来るとは、思ってもみなかった。
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駅ビルの構内で働く妻は、夕食を外でとるのに丁度良い時間に、仕事を終える予定だった。
〔ごめん。1時間延びた〕
スマホに彼女からのメッセージが届いた。「ああ、またか。」子供は既に手を離れているので、妻は曜日も時間も関係なくシフトに入ることができる。予定が変わることは珍しくない。もちろん、私もそれは織り込み済みだ。今日は、駅ビル内を散策することにしよう。
〔終わった。どこ?〕
駅ビルの専門店街が閉店してすぐ、妻から再度メッセージが来た。
〔西口。ナカジョウのケーキ買った〕
〔(涎マーク)。行く〕
それを見て「ふっ」と笑うと、この後の夕食をどこでとろうか思案し始めた。1時間遅れるだけでも、店の選択肢は大幅に制限されてしまう。少し上等な夕食を期待していた私は、「またファミレスかうどんだなぁ。」と呟いた。
美味しそうにうどんをすすりながら、妻が話を始めた。
「涼しくなって、温かいものが沁みるねぇ。」
「確かに。もう完全に秋だな。」
「うん。あ、そうだ。さっきね、志乃のお母さんからメッセージが来たの。」
「志乃さんの?そりゃまた……随分ご無沙汰だよね。」
「そうそう。何だろうと思ったけど、どうも要領を得ないのよ。とにかく話がしたいとかで。明日、電話することにしたよ。」
「ふーん。なんだろうね。今になって美来宛の手紙でも出てきたかな?」
「志乃が手紙を書いてるところなんて、見たことないけどねぇ。」
志乃は、妻の友人だった。過去形なのは、彼女が既に故人となっているからだ。妻のことを「美来ちゃん」と呼び、たいそう慕っていた。最初、女同士はこうも距離が近いものかと驚いたほどだ。
「志乃さんの旦那さんからは、何も聞いてない?」
「聞いてないも何も……彼とはずっと連絡も取ってないから。」
美来は、未だに志乃の夫の話を避けようとする。確か、名前は大槻佑二といったか。佑二は、美来の元恋人なのだ。
「ふーん。別に、気にせず連絡くらい取ればいいのに。友達の旦那でもある。」
「志乃が生きてるならまだしも、彼だけじゃ用はないんだよ。」
美来が、面倒くさいな、という顔をしたので、元恋人の話を切り上げた。三人は大学時代からの縁で、後から美来と出会った私は経緯を知らない。よくある三角関係のようなものだろうと、想像していた。しかし、志乃の母親が今更どのような理由で連絡を寄越したのか?ろくでもない話でなければ良いのだが。
~~
翌日、美来はリビングの窓際に立って外を向くと、志乃の母親に電話をかけた。私は自分のデスクに座ったまま、垂れ流していた音楽の音量を下げ、仕事を続けるふりをした。リモートワークが定着し、我が家のリビングはオフィス然としたレイアウトになっている。
「あ、西川です。西川美来です。ご無沙汰しております。」
彼女の持つスマホから、小さく相手の声が漏れ聞こえる。何を言っているのかは分からないが、年配の女性だということは分かる。志乃の母親も、相応に歳を重ねているはずだ。
「いえいえ。こちらこそご挨拶にも伺わず、すみません。ええ、はい。おかげさまで私は。夫も元気にやってます。あはは。それで、お話というのは?」
本題に入ると、相手の声はあからさまにトーンが下がった。淡々と相槌を打っていた美来が、突然声を上げる。
「ええ!?それ、本人が言ってたんですか?どうして……」
振り返りこそしなかったが、美来は明らかに動揺していた。
「はい。はい。そう……ですか。わかりました。夫と相談してみます。ちょっと待ってください。メモ取るので。」
そう言うと、彼女は私と横並びのデスクに腰を下ろしてメモ用紙を取り出し、〔県立南病院413号〕と書いた。想像していたろくでもない話ではなさそうだが、別の意味で悪い予感がした。
「あの、お知らせいただいてありがとうございました。はい、ほんとに。どうしてなんだろう。あの二人ばかり……はい。会えたら、様子伝えます。はい、失礼します。」
通話を終えた美来は、目を瞑って大きく息を吐いた。
「大丈夫?何の話だった?」
「うん。大丈夫。義理の息子の話だった。」
「んん?ああ、志乃さんの旦那さん、ね。」
「そう。なんか、私とあなたに、会いに来てほしいって、言ってるみたい。」
「俺も?なんで?わざわざ親を介して?美来に直接言えばいいのに。」
「そこはよく分からないけど。彼、もう長くないんだって。年は越せないかもしれないって。」
「ええ?それで南病院……病気?」
「癌だってさ。しばらく治療頑張ったけど、厳しいって。」
「マジか。志乃さんが事故で、旦那は癌で……ついてないな。気の毒だ。」
「ほんとだよ。なんであの二人ばかり、こうなんだろう?」
唯一無二の親友を亡くして五年。今また、一度は愛した男に死が迫っている。堪え切れなくなった美来は、涙を流し始めた。連れ合いを失い、自らも余命わずかとなった男の境遇を思うと、私も心が締めつけられた。
「……ごめん。」
「なんで謝る?俺も泣きそうだけど、我慢してんだよ。」
「あはは。そうか。」
「で、行くんでしょ?病院。そういう事情なら、早い方がいいと思う。」
「行ってくれんの?いいの?」
「葬式の時に顔を合わせただけで、一回も話をしたことがないからな。どんな男なのか、興味がある。」
「それだけ?ん?」
「うるさいな。美来だけで行かせたくない、というのもある。」
「そう。なら、遠慮なくお願いしようかな。」
一応訪問する前に連絡をした方が良いと、美来は佑二にメッセージを送ろうとした。しかし、彼のアカウントは存在しないことになっていた。携帯の番号も、既に使われていなかった。死を前にして、身辺整理を進めているのだろうか?私たちは、志乃の母親から聞いた病室に、アポなしで訪れてみることにした。
(つづく)




