第28話 数字の罠
価格が、わずかに上がった。
それは小さな数字だった。
だが、ダンピングを続ける側にとっては致命的な兆候。
「王都市場、触媒価格二%上昇」
グラントが報告する。
「医療結晶も、わずかに反発」
「在庫状況は?」
「ヴェルナー商会、推定保有量――通常の二・五倍」
クラリッサが息を呑む。
「二・五倍……」
「放出量に対し、買い手が戻り始めました」
私は、静かに頷いた。
「では、始めましょう」
それは三日前から準備していた。
価格が底を打つ瞬間を待っていた。
「固定契約、追加発動」
グラントが書類を配る。
「再協議希望のアルノー子爵領、価格据え置きで再契約」
「他二領も追随」
市場は、安定を求める。
暴落より、予測可能な価格を。
その日の午後。
ヴァルデンは、触媒の“買い戻し”を開始した。
小規模に。
目立たない範囲で。
だが、継続的に。
王都。
「……ヴァルデンが、買いを入れています」
財務責任者が報告する。
「価格維持目的か?」
「不明ですが、放出量を吸収しています」
レオンハルトは、眉をひそめる。
「構うな」
「放出を続けろ」
「ですが在庫が――」
「価格を下げ続ければ、いずれ折れる」
彼はまだ理解していない。
振り子が戻り始めていることを。
三日後。
価格はさらに三%上昇。
放出量は変わらない。
在庫は減らない。
「倉庫が逼迫しています」
「資金回収は?」
「回転率低下。資金拘束増加」
レオンハルトの指が止まる。
ダンピングの罠。
価格を下げるには在庫を出す。
だが、底で買われれば。
在庫は減らず、資金だけが削れる。
ヴァルデン。
「買い戻し量は?」
「予定通り」
「資金は?」
「想定範囲内」
クラリッサが、小さく問う。
「これが……罠ですか」
「ええ」
私は、静かに言う。
「価格を下げる側は、体力を削ります」
「私たちは、削られません」
備蓄。
固定契約。
内部留保。
そして。
銀行の融資姿勢。
その夜、王都三大銀行が動いた。
――ヴェルナー商会への短期融資枠縮小。
市場は敏感だ。
噂は瞬時に広がる。
「ヴェルナー、資金が苦しいらしい」
「在庫が積み上がっている」
恐怖の向きが、逆転する。
レオンハルトの執務室。
「追加融資が通りません」
「なぜだ」
「在庫評価額が……」
「評価額?」
「市場価格が上がり始めています」
彼は、椅子から立ち上がる。
「放出を増やせ」
「倉庫が」
「増やせ!」
命令は下る。
だが。
市場は、もう恐怖では動かない。
価格はさらに上昇。
放出量は吸収される。
在庫は減らない。
資金は減る。
ヴァルデン。
「価格上昇率、七%」
グラントの声が、わずかに熱を帯びる。
「銀行二行目が融資見直し」
クラリッサが、ゆっくりと息を吐く。
「……戻りました」
「いいえ」
私は、静かに首を振る。
「これからです」
振り子は、中央を越えた。
次は、反動。
価格はさらに上がる。
そして。
過剰在庫は、重荷になる。
数字は、嘘をつかない。
ダンピングは、武器であり。
同時に、罠でもある。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




