第25話 恐慌
市場は、理屈より早く崩れる。
三件目の通達が届いたのは、正午だった。
北部小領、マルクス男爵領。
内容は簡潔。
――現市場価格を考慮し、契約の一時凍結を申し入れる。
クラリッサが、机に手をついた。
「三件目です……」
全体の三割が、事実上停止。
数字が、冷たい現実として並ぶ。
「価格は?」
私は、静かに問う。
「王都市場、さらに一割下落」
「第二弾放出が確認されました」
レオンハルトは、本気だ。
利益を削ってでも、市場を握る。
広場では、噂が広がっていた。
「在庫が尽きるらしい」
「価格を維持できない」
「もう終わりだ」
恐怖は、数字より早く広がる。
商人の一部が、出立準備を始めた。
「様子を見る」と言いながら、荷をまとめている。
クラリッサが、声を荒げた。
「このままでは、人が離れます!」
「ええ」
私は、頷く。
「それが狙いです」
恐慌。
実体よりも、心理が先に崩れる。
グラントが、低く言う。
「備蓄公開を、前倒ししますか」
「まだです」
即答。
クラリッサが、驚いたように私を見る。
「まだ……?」
「恐怖が最大になる瞬間を待ちます」
市場は振り子。
振り切れる直前が、最も効く。
その夜。
王都。
「三件目も止まったか」
レオンハルトは、満足げに頷いた。
「もう一押しだ」
王太子の使者が、低く告げる。
「殿下は、迅速な決着を望んでいる」
「分かっている」
彼は、地図を見下ろす。
「あと二領崩せば、連鎖する」
恐怖は連鎖する。
信用も、同じだ。
ヴァルデンでは。
夜の集会所に、主要メンバーが集まっていた。
「内部留保は、三ヶ月持ちます」
グラントが言う。
「ですが、契約停止が五割を超えれば――」
「心理が崩れます」
クラリッサが、かすれた声で続ける。
沈黙。
私は、窓の外を見る。
広場の灯りが、いつもより少ない。
「……怖いです」
クラリッサが、小さく言った。
その言葉に、誰も笑わない。
「ええ」
私は、正直に答える。
「怖いですわ」
室内が静まり返る。
「ですが」
一拍置く。
「恐慌は、事実ではありません」
視線を戻す。
「事実は、在庫と履行率です」
「ですが、誰もそれを見ていません」
「だから、見せます」
明日。
備蓄公開。
契約履行率。
固定価格保証。
内部留保額。
すべて。
「もし、効果がなければ?」
カイルが問う。
「その時は」
私は、わずかに微笑む。
「価格を動かします」
最後の一手。
まだ出さない。
だが、準備はある。
翌朝。
広場に、大きな掲示板が立てられた。
人々が集まる。
まだ発表前だ。
だが空気は重い。
市場は、崩壊寸前。
ヴァルデンは、追い込まれている。
そう、見える。
恐慌は、頂点に達しようとしていた。




