9 迷宮
「そんな、堅っ苦しいじゃべり方はせんでいい。ここにいるのは、どうせロクデナシばっかりじゃ。普通に話せ、小僧。」
ぶっきらぼうな言葉遣いだが、先ほどのやり取りからすると意外と面倒見の良い人物なのだろう。
「ひどい言われようだね。僕はパウロだ。よろしくね、レン君。」
右手を差し出してきたのは、口髭や髪をきれいに整え、どこか紳士然と革鎧を着こなした長身の老人であった。
「…オマル。」
最後に、一番軽装で、顔色の悪い、陰気な老人が声を発する。
「オマルは人見知りだからね。まあ、レン君もあまり気にしないで。」
「それじゃ、そろそろ行くか。誰かさんのせいで余計な出費になっちまった。今日は、少し多めに狩るぞ。
小僧、しっかり運べよ。」
ラウの掛け声で、一行はよくやく行動を開始する。
迷宮の入り口は、町の中心より、少し北側に位置し、ギルドからは、ほんの目と鼻の先であった。そこに扉は付いていないが、周囲は厳重に囲まれ、門では常に衛兵が出入りを検査している。
「よう爺さんたち。いつものかい。今日はひとり多いようだが。」
「オマケじゃ。」
「そうかい、気をつけてな。」
顔見知りの衛兵は苦笑しつつ、慣例通プレートを確認しながら4人の名前を記録していく。ギルドは、こうして出入りをチェックすることで探索者の生還を確認し、さらに、完全ではないが迷宮内での犯罪を予防する措置を取っている。
こうして、一行は門を通り、レンにとって念願の迷宮とその足をへと踏み出した。薄暗い緩やかな坂道をしばらく下っていくと、前方がだんだんと明るくなってくる。
「迷宮の階層移動は、基本的にこんな坂道ばかりだから、みんな荷物を運ぶために荷車を用意するんだよ。」
落ち着かない様子のレンに、パウロが解説をしてくれる。どうやら、道は大穴の方へつながっていたようだ。
道が途切れた先で眼の前に拡がっていたのは、なんとも奇妙な、それでいて誰もが心を揺さぶられるような見事な風景であった。
穴の周囲はかなりの広さを持つ空間が続いており、空から直接差し込む光で、外となんら変りの無い明るさがある。見たところ、大剣はもちろん、槍を振り回すのにさえ十分な広さを有しているようだが、何よりまず目を引くのは、その天井や壁の造形の美しさであろう。自然に創りあげられたと思われる岩の芸術は、ただ存在するだけで、訪れる者たちを圧倒していた。
しばし見とれてしまったレンの様子に、他の3人はどこか満足気であった。
「いや~、何回見ても、こういう初々しい姿には心が洗われるね。僕言うことじゃないかもしれないけど、我が迷宮の素晴らしさを感じてくれて嬉しいよ。
ようこそ、新たなる探索者。ここが君の美しい戦場だ。」
パウロの芝居がかったセリフも、ここでは何の違和感も感じられない。レンは、その気持のよい高揚感に、しばし身をまかせていた。
「何やってやがる、さっさと行くぞ。今日の狩り場はもっと先だ。」
ここで先を促すのは、当然、ラウの役割であった。
一行は、穴に沿って進みながら、ある場所からクモの状に巣拡がった支道へと入って行く。道を進むことしばし、とうに大穴は見えなくなっていたが、周囲は明るいままである。
「ヒカリゴケというのが生えていてね。これが、魔素を吸って発行しているらしいんだ。こいつのおかげで、迷宮内では、自前で明かりが必要になることはほとんど無いんだ。24時間ずっと明るく照らされたままの、まさに眠らない場所だね。」
さらに通路を進んでいく中で、奇妙生物にも遭遇した。
「あれは”スライム”だね、迷宮の掃除屋さ。僕たちが倒した魔物はみんな、彼らがきれいに片づけてくれるんだ。もちろん、僕たち探索者が死んでしまった時も同じだね。鉄製品以外なら、皮鎧だって跡形もなく食べてくれるよ。ちなみに、スライムは倒す必要はないからね。彼らは動きは遅いし、生きている相手には決して寄ってこない。それに、彼らは”魔物”じゃないんだよね。魔石はもちろん、魔物が必ず持ってるはずの”核”も見当たらない。そのくせ、生きていくには魔素が必要で、迷宮以外で生きていけないのは、他の魔物たちと変わらない。ある意味、迷宮の中で一番の謎は彼らかもしれないね。」
レンは、成程あれがそうかと、半透明で粘液状の謎生物を改めて観察し直した。確かに、赤子の這う方が早いのではないかというくらい動きは遅い。大きさは様々にある変化するようで、獲物のサイズによってどこからともなく群れが集まって合体し、餌を包み込むまで巨大化していく。また、消化し終わったら、ある程度のサイズに分裂し、次の餌を求めて迷宮に散っていくようだ。まさに、迷宮を隅から隅まできれいにしていく”掃除屋”なのである。実はこのスライム、迷宮都市の下水及びゴミ処理に使われているのだが、それはまた別の機会に話すことにする。
「さあ着いたぞ、パンツ狩りだ!」
どうやら目的地に到着したようで、一行の眼の前には、細木からウネウネと動く2本の触手を生やした奇妙な生物の群れが現われていた。