1.生きることは稼ぐこと!
「くそ…!嵌められた…!」
鬱蒼としたジャングルの中を走り抜ける。飛び出る根っこを跳び越え、低い枝を潜り抜ける。
あのクソアマ…ぜってえ倍は取るぞ…!
脇に抱えたガキが苦しそうにうめき声をあげる。知ったこっちゃねえ、今は逃げんのが先だ。どうせ捕まったら二人とも終わりだ。いや、ガキは助かるかもしれねえが俺が死ぬ。そんなのごめんだ。まだ稼ぎ足りてねえんだぞ。
遠くから遠吠えが聞こえる。狗を放ったか…!空いてる手で短刀を構えガキを脱がせて俺の上着で巻く。ガキの服を投げ捨ててまた走る。
だが確かに、このガキは大事だろうよ。浅黒い肌に長く伸びた耳、額に刻まれた呪いの刻印。
ダークエルフ、魔族として魔王が打ち倒された時に一緒に一掃された一族だ。絶滅したって聞いてたんだがな、どうやらまだ細々とやってるみてえだ。
もうすぐジャングルを抜ける。悪い視界で巻けるのはここまでだ。後は俺の運と…。
「頼むぜ俺のクレイ」
ゴーレム、生きる無機物。俺の投げた泥団子は地面に落ちると、その地面を体にして起き上がる。今は使ってはならない禁術の一つだ。理由は後ほど、俺も逃げる!
ただのガキの奪取で、クレイまで使う羽目になるたぁな。素材費も追加だクソったれ!
今のクレイはそれ程大きいゴーレムにはならない。身軽さと頑丈さを両立させたハイブリッドだ。ジャングルの中で上手く撹乱してくれりゃあ御の字。目の前の街道を一気に走り抜ける。
途中街道から外れ、もう見えている町の石塀を回り込む。西門と北門の丁度中間に、俺が作った隠し通路がある。目につきにくい変な落書きから俺の歩幅で五歩、石塀を押すと、壁が回転する。そしてその目の先は、俺の家だ。城下町から大きく外れ、ほとんど誰も住まない様なひっそりとした裏道の更に端が俺の家だ。ここまでは街の警備隊も国のお抱え騎士団も見回りに来ねえ。そりゃそうだ、誰も住んでなさそうな所をわざわざ回る必要はねえ。
だからここを使っている。オンボロの家からツギハギで石塀に屋根と壁をくっつけて隠し通路を作った。バレたら一発アウトだが、ここにしたのにもちゃんと理由がある。この街は楕円を描いて若干横に長い。そして東西の門と南北の門の距離はだいぶ離れている。石塀周りを巡回するにもここが一番時間がかかる中間地点だ。
これも稼ぐための知恵、税金払うのを回避するための見窄らしい演出をするための必要経費。
この家に風呂はねえ。今入った通路で、水浴びをする。という建前の元で、この小屋を作ったんだからな。
家と繋がっている扉を開くと、ローブを深く被った女が勢い良く立ち上がった。こいつ、宿屋で待ってろっつってたのによ。
依頼を受けてから3日かかった。わけのわからないくらい厳重な警備とあるはずの無い地下空間を見つけるのに手間取った。そして、さっきの全力ダッシュ。もう体力の限界だ。
扉に凭れかかって座り込んだ。鍔の広く四角い黒いハットが床に落ち、腰につけた短剣が床とぶつかって音を立てる。女は俺の上着にくるまれたガキを抱きかかえて静かに泣いた。おいおい死んでねえだろ、その泣き方やめろや。
「ありがとう…ホントにありがとう…」
「あー礼とかいらねえから、代金50万G、とっとと置いて帰れ」
「え…25万Gって…!」
「おめえどんだけ苦労したと思ってんだ、あぁ?クレイまで使っちまったんだぞ、必要経費だよ必要経費。なんだよその目はよ、捨てられた子犬か?俺ぁ拾わねえぞ」
「でも…そんなお金…ない…」
「はぁ?!」
バン!と思い切り床を殴る。ビクゥ、と身体を竦ませたローブの隙間からは、女の浅黒い肌が見える。なんだこいつ、服きてねえのか?
俺は立ち上がって女のローブを剥ぎ取る。
「ひ…!いやっ…!」
「………、チッ!」
身体中に散在するアザ、アザ、アザ…。
「おめえ、身体売って稼いだんだろ」
「だって…だってそれしか…マリーを助ける方法わかんなくて…」
確かに発育は悪くねえ。若干骨が浮いちゃいるが、顔は良い、胸もある、ケツもある。それに、ダークエルフが魔族と呼ばれた所以、トランスという能力がある。トランスは自分の姿を好き勝手に変えられるということだ。だがそれは幻術の一種、耳をさわられりゃ一環の終わりだが、たぶんこいつはエルフに化けたんだろう。
ダークエルフの対をなすエルフという種族は、逆に神族とされ、今でも教会の象徴になっている。傷を癒す魔術に長けているおかげだが、実はこいつらもトランスは出来る。
それでもこんなに印象の差が着いているのは、ダークエルフに傷を治す魔術が使えないから、なのだろう。
そしてそんな印象のエルフだからこそ、娼館のエルフには高い値がつく。確かに稼ぐにはそれが一番手っ取り早いだろうが…。
「胸糞わりい。だが金は払ってもらう」
「そんな…!」
「勘違いすんじゃねえぞ!身体なんか売らせねえ、お前さんには至極真っ当に稼いでもらう。家政婦兼バイトだ。お前のガキの世話はお前でやれ。いいか、生きることは稼ぐことだ。だからお前には生きている限り稼いでもらうぞ」
俺はタンスから布と針、糸を取り出して、そのタンスをどかす。床に刻まれた魔法陣の上にそれらを投げる。魔法陣を起動させる。淡い光を放った後、針と糸が一人でに動き出す。簡易ゴーレムの出来上がりだ。
「あなた…人形師?」
「そうだ、文句あんのか?」
「ない…けど…大丈夫なの?」
「存在自体が邪悪になってるお前に言われたかねえよ。俺はバレねえから良いんだ。それより、これが出来たらてめえの仕事をさがしにいく。人間の姿になっとけよ」
「わ、わかった」
戸惑いながらトランスを開始する。額の刻印が光を放つと、女の姿は人の姿になっていた。恥ずかしそうに身体の部位をガキで隠す。別に発情なんてしねえよ。
服が出来上がると、魔法陣は光を失う。出来上がった服を女に放り投げてタンスを戻した。
「あの…マリーはどうすれば…」
「ああ?あー忘れてた。じゃあいいや、取り敢えずそいつ綺麗にして寝かせとけ、服はまた作っとく。水浴びはそこで出来る。あのハシゴ登れば屋根裏のベッドがある」
後は…、と。部屋を見渡して見る。ある程度は片付いてるからなぁ。飯作ってもらうくらいしかやることなさそうだ。その途中でカレンダーが目についた。今日の日付に何かマークが付いている。なになに…?
『登城』
「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
ビックゥ!!と女が反応し、ガキが目を覚ます。
「あ、え…?あ!マリー!気が付いた?!」
「俺は城に行く!やる事やったら上で大人しくしてろ!もしかするとまだ追手の可能性はあるんだからな」
ハットを拾い上げて家を飛び出す。くそ、また全力ダッシュかよ!忘れてた俺もわりいんだけどさ!
「おうアレク!生きてたか!」
「勝手に殺してんじゃねえぞタコ頭!」
「あらエドガー、また走ってるの?」
「そうなんだよもうヘトヘトだぜ」
「エド!金貸して!」
「トイチな!」
「じゃあいいや!」
一番デカイ道を突っ切って中央にある城に辿り着く。肩で息しながら、門兵に名乗る。
「アレクサンダー=エドガー、はぁ…来たぞ…!あーもう疲れたー…帰りたーい…」
「アレク、せめて会ってからにしてくれ。王も楽しみにしてるんだ」
開けっぴろげになっていた門の奥から一人の騎士がやってくる。金髪、碧眼、絵に描いたような美少年。甘いマスクに落ち着いた渋い声が大人気の騎士団長様。
「ユリウス、お前がなんとかすべきじゃ無いのかよ。こっちはタダ働きする程暇じゃねーんだぞ」
「だから、お前の借金を肩代わりすると何度も進言してるはずだろう。生活も保障する。断って来たのはお前だろう」
「だーれが国の支援なんぞ受けるかよ。俺は忘れてねえからな」
ユリウスが押し黙る。俺はハットを深く被り、その横を通り過ぎた。ユリウスの部下が道を開け、その間を通り抜ける。ジロジロ見てんじゃねえよ。
王がいる謁見の間には、この目の前のなげえ階段を登る必要がある。それを登り切った後で、これまた長ーい通路を真っ直ぐ進み、謁見の間の前の馬鹿デカイ扉の前で最終のチェックがある。
持ち物の検査と身分の証明、本来ならここで三十分くらい持ってかれるんだが、門兵の仕事は、王本人によってぶち壊された。
「おっせえぞアレクサンダー=エドガー!」
「おめえよ…仕事させてやれや…」
「るっせえな、さっさと入れよ。裁縫が上手くいかねえんだ。教えろ」
「うっわ女子力ひっく…いやほんとすんませんマジで謝るんでその剣仕舞おう?」
ふん、と鼻を鳴らして剣を仕舞う。俺よりも頭一つ小さい銀髪が、この国の『王』、ステファニア=バレンバーグ。ニアと呼んでいる。
王は、女だ。勇者の一族の直系は今はもう彼女しかいない。だから彼女は王として君臨している。なぜ彼女しかいないのか、話せば長くなるが、一言で纏めるならば、先代の王、フィリップ=バレンバーグの暴政。その代償を、彼女がその背中に請け負っている。
かく言う俺も、その暴政の被害者の一人ではあるのだが…俺一人のために、彼女が更に背負うのは、俺が嫌だったんだ。
「早く入れ、閉められないだろ」
俺は肩をすくめて門兵に悪いね、と言うと、門兵も肩をすくめて苦笑いした。王の命令だ、逆らうわけにもいかないんだろう。
そう考えると、すでに割と暴政気味だな。
「最近の稼ぎはどうだ、捗ってんのか?」
「ぼちぼちだな。さっきも一つ終わらせた所だ」
「それで遅れたのか。良い加減私の申し出も受け入れてもらいたいものだがな」
「そいつぁ出来ねえ相談だな」
「生きることは稼ぐことだからか?」
「わかってんじゃねえか」
謁見の間に神官や大臣は居らず、完全に二人きりになっていた。彼女は俺と会う時、何時も人を払う。謁見の間と繋がっている彼女の自室に入る。
「相変わらずファンシーだな」
「良いの、好きなんだからいいじゃない」
部屋に入ると、彼女はスイッチを切る。
「逆に聞くぞ、ニア、お前は辛くないか?」
「んー…辛いことはいっぱいあるよ。でもユリウスもアレクも支えてくれてるから、平気」
満面の笑顔で言われると、これ以上話す事もできない。せめて愚痴の一つでもこぼしてくれれば…。
「それより裁縫教えてよ。この人形なんだけど…」
「これは…なんだ?熊か?」
「うーさーぎー!!どー見てもうさぎでしょ!!」
「どこがだスカポンタン!うさぎの特徴なんだよ言ってみろ!」
「丸い!」
「おう!」
「だけ!」
「嘘だろお前…」
一番の特徴あるだろ…。丸いって…それだけって…。
「逆にウサギが哀れになるわぁ…」
「何よそれ、じゃあ他に何があるのよ」
「最大の特徴は長い耳だろ、丸さは二の次で良い。逆に、まん丸クッションにそれらしい耳つけて目だけでも作ってやりゃあそれっぽく見える」
「あー、耳ね耳、そうそう耳があったわーいやー知ってたわーでもアレクちょっと試したかっただけだわー」
「ほぉ、じゃああとは一人でできるな。出来上がったやつをユリウスに見せてなんと言うか試してやろうか」
「いや、ごめん、真面目に、真面目に作りますから教えてください」
「ったく、いいか、ここはな…」
目を覚ましたマリーは目の前にいた姉にひどく驚いた。もしかしてまた捕まってしまったのではないかと急いで周囲を見渡すが、見たことのない部屋に二人きり、足枷も首輪もない。更に姉は真新しい服を着ている。メイド服だろうか、修道女にも見える服に身を包んだまま、マリーを抱きしめている。
「よかった…本当に良かった…」
「お姉ちゃん…ここ…どこ…?」
「賞金稼ぎさんの家だよ。大丈夫、私達は助かったんだよ」
マリーはふっと体の力が抜ける。脱力、そして、安堵。それは堰を切って溢れ出す。
「おね…ちゃぁあん…ふ…ぐず…」
「良かった…本当に…」
もう一度強く抱きしめる。姉の腕の中でしがみついて泣いた。少し経って泣き止んだ後、マリーの涙を指で拭い、マリーを立たせた。
「汚れ、落とそっか、貸してくれるみたいだから。そしたらゆっくり休みましょう」
こくん、と頷いたマリーを連れて扉を開く。小屋の中には、椅子と、ホース、バスタオル、それから恐らく水をお湯に変える魔法石が有った。本当に水浴び場のようにしか見えないが、彼はここから入って来た。恐らく何かしら仕掛けがあるはずなので、出来るだけモノを動かさないように注意しながら、自分の服を脱いで近くに畳んでおく。
魔法石に触れると、透明だった球体が赤く染まる。試しに蛇口を捻ってみると蒸気を出しながら水が出てくる。触ってみると、温度も丁度良い。マリーを座らせて背中からお湯をかけてやると、びく、と反応した。その反応に、隠せない心の傷を感じながら、泥や埃を流して行く。頭からかけてやると、ひゃー、と言いながら額に手で屋根を作る。久々に見たマリーの笑顔に、更に胸が痛くなる。
マリーの体が綺麗になった所で、近くにあったバスタオルを取り、彼女の身体を拭いてやると、気持ち良さそうに目を細めた。
「あ…」
「どうしたの?お姉ちゃん」
「マリーの服が無いのを忘れてた。借りても良いのかな…」
「んー、わかんないけど、一枚くらいなら良いんじゃない?」
そうかな…とマリーにバスタオルを巻いて、服を着る。それからマリーを連れて部屋に戻り、タンスに手をかけた。
躊躇いが生まれる。仮にも助けてもらっている身で、そんな事をして良いのかと。
(でも一枚くらいならいいよね…)
タンスを開く。底の方には布と糸で埋め尽くされていたが、ハンガーに掛けられていたシャツを一枚取った。ぶかぶかなシャツをマリーに着せて、バスタオルを一旦小屋に戻す。
そこまでやって、彼女にもガタが来た。フッと足から力が抜ける。この3日程、働いては寝ずに彼の帰りを待っていたのだ、体力的にも精神的にもかなり疲労が溜まっていた。
小屋の床にへたり込む。彼には休んでいいと言われている。彼に甘えて、自分も休むことにした。
「お姉ちゃん?大丈夫?」
何とか立ち上がった所でマリーが扉を開ける。大丈夫、と返して、一緒にハシゴを登った。屋根裏にはベッドろ本棚が一つずつ置いてあり、非常に質素な部屋だった。
そのベッドに二人揃って横たわる。
「お姉ちゃんちょっと休んでもいい?」
「うん、わたしも眠いから」
ありがとう、と言いきれた所で、彼女は簡単に眠りに落ちてしまった。
不思議とその時は、自分が寝てしまったことが分かった。先ほどの部屋では無い、何処かの道のど真ん中で、彼女は一人で佇んでいた。
ただ、夢を見た。
彼女の記憶には無い、見たことの無い景色、人、物。それらはシャボン玉のように浮かびながら、先へ先へと続いて行く。
一つは、金髪の少年と銀髪の少女が映り、一つは、初老の夫婦が映る。そしてある一つには、小さなゴーレムが映っていた。
彼女は一人の顔を思い浮かべる。
黒いハットに黒い髪、茶色のロングコートにブーツを履いた、彼の顔を。
「アレクサンダー…エドガー」
名前が二つある、不思議な人。
最初は隠していたとはいえ、ダークエルフである自分達を助け、更に彼女には真っ当に働けという。差分の25万Gなど自分達を売ってしまえば大量のお釣りが来る程だというのに、彼はそうしなかった。
それだけでも十分不思議だというのに、更に禁術とされた人形生成術を使うことが出来る。
人形生成術、勇者が魔王討伐時代に作られた、召喚術の応用で、物に魂を込めることから始まり、完成形として、魔力によって動く魔法生物を誕生させることとなった。この術を使う術師を人形師と呼び、様々なところで人形師は重宝された。ある時は労働力として、ある時は危険から身を護るガーディアンとして。
召喚術と違い、契約を必要としない事から、術者が疲れるだけで、その何十何百倍の労力分を賄うことが出来た。そしてその手軽さから、人形師の数は増え、研究を重ね、ある事件を引き起こした。
人形が起こした大量殺人。その名は、『マリオネット』。自身が人形の名を冠した彼は、本当に人形だった。ことの発端は、人形師が人形に感情を吹き込もうとした実験によるものだ。結果を言えば、実験は失敗、人形は抑えきれぬ感情の波に呑まれた。
『人形劇』。そう銘打たれた事件は、人形師だけでなく人形生成術の存続さえ脅かした。
この件について魔術協会では議論が議論を呼び、世論を巻き込んだ勢力争いまで起こさせた。結局、事態を収集するために、魔術協会は人形生成術を全面的に禁止し、それを書き記した書物も禁書としてとある場所に保管された。
その禁術を何故彼が使えるのか彼女には想像もつかないが、それでも、彼が助けてくれた事に感謝したい。
道の先には、小高い丘が、ひっそりと佇んでいた。
これが彼の心の風景だとするなら、何と寂しいことだろう。
だが、これが彼の心の輝きだとするならば、なんと眩く、美しいのだろう。
丘の彼方から登り始めた太陽に目を細める。暖かく心地良い光に、彼女は手を伸ばした。出来ることなら、この暖かさを、ずっと、感じていたい。
やがて光は彼女を丸ごと包み込み、視界は闇に染まった。
「……………、」
見知らぬ天井。その低さと、出窓から射し込む陽射しに、彼女はここがどこなのかを思い出した。
(そっか…トランスしたまま寝ちゃったんだっけ)
トランス、記憶の中の何かと姿や形を同一に置き換える。エルフ族が持つ特殊な能力。その利用の幅は広く、肌の色を変え、耳を短くし、刻印のない額の自分を記憶することで、自分の姿を擬態させることも可能だ。ただこのトランスのデメリットは、感受性を極限にまで高めてしまうため、見えてはいけないものが見えたり、人の怪我を自分のことのように感じてしまう事がある。
ある程度慣れた者であれば、その御し方も感覚で理解出来るのだが、彼女にはそれを覚えるような心の余裕がなかった。
否が応でも感じてしまう自分の身体と、それに対する嫌悪感に、彼女の精神の摩耗は凄まじかった。それでもその精神を保っていられたのは、隣で寝ている妹のおかげだった。
そして荒稼ぎをした甲斐あって、無事、彼女を救うことが出来た。
(そうだ、改めてお礼をしに行こう。もう帰って来てる…よね?)
ハシゴを下りる途中で、ぎーこ、ぎーこと何かが軋む音が聞こえる。なんの音だろうと疑問に思いながら、静かにハシゴを下りると、ただの椅子が背もたれ側の脚二本で器用に立っていた。椅子には顔にハットを乗せた彼が座っており、コートを布団にして寝ていた。
軋む音の正体は、その状態で前後に揺れる椅子だった。
(そっか…ベッド…)
二人が寝ていて占領してしまっていたベッドは、元はと言えば彼の物。許可されていたとはいえ、恩人に我慢をさせてしまった。何か出来ることは無いかと首を巡らせると、テーブルの上には食材の詰められた麻袋が食べ過ぎた食材を吐き出していた。よし、と腕を捲る。
「アレク、居るんだろ、入るぞ」
「あ…」
「ん?お?まさか…」
麻袋の中の食材を確認していた彼女を見て、金髪碧眼の騎士がズカズカと彼に歩み寄る。
「アレク!彼女が出来たんなら昨日のうちに言えよ!水臭いじゃないか!」
「いっづあ…! んだよユリウス…朝っぱらか…ら…………」
ユリウスと彼女が同時に視界に入ったことで、彼の脳は一気に覚醒した。状況は把握出来ていないが、取り敢えずユリウスが勘違いしていることは理解する。
「いやちげえし!彼女じゃねえし!」
が、テンパった頭が咄嗟に否定を口にした。先程よりも窮地に立たされる。正直なことを言う訳にはいかない。魔族を匿うなんて重罪も良い所だ。ユリウスと彼の仲なら彼が罪を負うことは免れるかもしれないが、彼女は確実に連れて行かれる。
それはまずい、まだ25万Gから1Bも減っていない。
「? じゃあなんなんだ?彼女は」
「いや…そいつは…その…」
「か、通い妻です!」
「「………………………………………………、」」
ユリウスが無言でアレクの背中を叩く。
余計にややこしくなった。
「べ、別に、おかしくない…よね?」
「いやおかしい」
「え」
「おかしい」
「ど、どこがですか!わたしが誰と結婚しようと私の勝手です!」
「いや、こいつが結婚できたことがおかしい」
「おいどう言う意味だてめえ」
「ところで君いくつなんだい?随分と若いようだけど」
「無視か?無視かおおん?」
「えっと…17…です」
「…おい犯罪かお前。成人もしてねえ子に手出すとか最低だな」
「手なんか出したこともねえよ!っつか、良い加減何の用なんだよ、叩き出すぞてめえ」
あぁ、と思い出したように彼は懐から少し崩れた泥団子を取り出した。アレクはそれを見て鼻で笑った。
「おいおい、騎士団長様が泥遊びか?」
「ただの泥だったらお前のところにわざわざ来んよ。魔術の痕跡がある。お前に何の魔術が使われたかを調べていただきたい。"元"国立魔道書保管庫司書のお前に」
「司書の息子ってのが抜けてるぜ。理由は?」
「最近奴隷商人の動きが活発になって来ている。もしかすると、そいつらが使っている魔術の詳細が知れると思ってな」
弱点がわかれば攻めやすい、とユリウスは横目で彼女を見る。緊張した面持ちで息を飲む彼女は、ユリウスと視線が合うと笑みを浮かべて見せる。その引きつった笑顔と、小刻みに震える彼女から目を離して、アレクに視線を戻す。
「すると、もう場所は割れてんのかい?」
「あぁ、西側の街道を進んだすぐそこの森だ。何度か商売をした形跡もある。普段ならあり得ない時間帯に人が入って行くのを確認した」
「随分とちけーとこにいらっしゃるこって。んで、俺は解析だけすりゃあいいのか?」
「あぁ、これは国が追っている事件でもある。一人の賞金稼ぎにそんな負担は掛けられんよ」
「そうか、んで、いくらだ?」
「100G基本、内容によってはボーナスをだそう」
「悪くねえ。乗った。やっとくぜ、わかったら俺からそっちに行く。じゃあ、またな」
「あぁ、また城で会おう」
ユリウスはそう言うと、家から出ずに、扉だけ開け閉めをする。それからまた彼の元に戻って手頃な椅子を引っ張り出して腰掛けた。
「ここからはオフレコだ。アレク、また使ったんだろ」
「使った」
「何故使った」
「逃げるためだ。お前ももうわかってるだろ」
ユリウスは横目でもう一度彼女を見た。
「彼女を連れ出したのか」
「いいや、こいつは依頼人だ。持って来たのは上にいる」
「ダークエルフなんだろう?何故真っ先に俺に相談しなかった」
「お前に相談したらせっかくの金づるがいなくなっちまうだろうが。25万Gだぞ」
「だからといって、そんな危険を冒すなんて…どうかしてるぞ!」
彼はため息をついて膝の上にずり落ちていた上着に袖を通した。机の上に置いていたハットも被り、ユリウスに言った。
「お前は何か勘違いしているようだからもう一度、いや何度でも言ってやるぜ」
親指で自分の胸を指して宣う。
「俺は賞金稼ぎだ。賞金が出るんだったら俺は何処へでも行く、なんだってやる、なんでも使う。それが賞金稼ぎだ。俺は、賞金が出るからそこに行った。目的を達成するために荒らした。逃げ切るために使った。何一つもおかしなことはねえ」
「その考えが、もう毒されているのだとなぜ気付かない?!」
ユリウスが声を荒げて立ち上がる。椅子が大きな音を立てて床に伏した。アレクにも彼女にも、その言葉が本気で彼を心配しているものだとわかる。だがアレクはそれを容易く振り払う。
「んなもんとっくにわかってるさ。だが、お前よ、俺の借金肩代わりして、その後は?個人のために、しかも追放した一族の肩を持って、国に何のメリットがある。俺の借金がなくなりゃ、また前みたいになれるとでも?」
「………、」
彼女はあのシャボン玉を思い出した。銀髪の少女と、金髪の少年と楽しそうにしている風景、その一人が彼なのだとしたら、アレクへの謎も深まるばかりである。
ユリウスは一度大きく深呼吸して、自分を落ち着かせた後、彼女に軽く頭を下げた。
「驚かせてすまなかった。君を連行することはないから安心してくれたまえ、ここにいれば、下手を打たない限り商人に見つかることはないし、その前に、この男がケリをつけてくれるだろう」
「はぁ?」
「アレクサンダー=エドガー、依頼だ。奴隷商人の捕縛及び連行をせよ」
アレクは立ち上がってユリウスと目線を合わせる。その目は睨みつけているようにも見える。
「いくらだ」
「一人につき1万G。商人のキャラバンは20人、合計20万G。怪我の程度は問わぬ、致命的でなければいい。ただし、一人死亡もしくは逃亡する毎に1万マイナスとする」
「ただの奪取よりは楽そうだな。乗った。手段は何でもいいな」
「森に隠れる程度でなら」
「十分。期限は?」
「一週間」
「報酬は手渡し?ギルド通し?」
「連行して来たらその場で渡す」
「お前を現場に呼ぶかもしれねえからその時ももってこい。契約は?」
「履行された。では私は失礼する」
荒々しく扉を閉めてユリウスは出て行った。それを見計らって、上からマリーがおりて来た。彼女がマリーに駆け寄って優しく抱き締める。
「お姉ちゃん、今の…誰?」
「それは…」
「依頼人だ。あー、お前、何つったっけ…」
「私? 私はエルモ。自己紹介してなかったね」
「んなことたぁ今はいい。俺はこれから買い出しに行く。その材料で飯作って食ってろ。あのタンスさえ動かさなきゃなに使ってもいい」
「わ、わかった」
アレクは指差しで道具の場所をエルモに伝えると、足早に家から出て行った。それを見送って、二人は顔を見合わせる。
「今のが助けてくれた人?」
「そうだよ。お姉ちゃんご飯作るね」
「うん。なんか、怖い人だね。取り憑かれてるみたい」
「うーん、見た目はそう見えるかもしれないけど、でも、優しくて、眩しい人だよ」
夢で見た、あの景色。口ではあんな風に言っていても、その心の清らかさを、彼女はもうすでに知っている。
彼は純粋な人だ。あのように口を悪く言うのも、また別の人のためなのかもしれない。そう考えると、エルモも俄然、やる気が湧いてくる。
(私も出来ることをやってあげよう。お金だけじゃなくて、心から、寄り添えるように)
ずり落ちていた袖をもう一度上げる。
「よし、ご飯にしよっか、手伝ってくれる?」
「うん!」