第三章 第二話「罪」
寧生はもういない。
ネヲの正体は、寧生と同じ遺伝子を持ち、同じ顔と声を持ち、同じ記憶を持つ、一本の永久歯から生まれた世界初の人工生命体。
それが、輪廻の語る全てだった。
「難しくてほとんど分かってねえんだけど……俺が死んだってことは間違いないんだな?」
ネヲの問いに、輪廻が無言でうなづく。深くうつむいており表情は見えないが、肩が震えていた。
「そっ、か……」
「俺、死んじゃったんだなァ」
「だからスマホが指紋で開けなかったんだなァ」
「……指紋は、たとえ一卵性の双子でも一致しないからね」
輪廻が掠れた声で補足する。
ネヲは宙を見つめ考え込み、ぽつぽつと語りだす。
「こんなによく知ってる相手なのに、俺一回も寧生に会ったことねえんだ」
その面持ちは至って呑気で、とても自らの死に思いを巡らせているようには見えないのが、却って輪廻の胸を痛めた。
「なんか……変な感じだな。なんて思えばいいのかすら分かんねえや」
暗闇の中で何かが光る。
「こんなによく知ってるのに、アイツはもういない。誰も二度と会えない……」
涙だった。
道端の花でも眺めるような何気ない表情で、ネヲはそのまま泣いていた。
あの日目覚め、寧生という人を知り、寧生の死を知り、自分を知り、そして今、『ネヲ』という自己認識が生まれた。
だけど、ネヲが生まれるということは寧生が死ぬということを意味する。彼はそれを絶対に変えられない事実として直観的に悟っていた。
「ネヲ……!」
輪廻は謝ろうとして、はっと息を飲み込む。
自分は何に謝ろうとしている?今謝れば、まるでネヲを生み出したことが罪であると定義するみたいじゃないか。そんなことがあってはならない。
何より、私たちは自ら望んで真相へ走り出したのだ。こういう日はいつか必ず訪れた。自分の中の漠然とした罪悪感を薄めるためだけに謝ることを口癖にしてはならない。
輪廻は唇を噛んだ。
沈黙が訪れる。
「……?」
輪廻は奇妙な違和感を覚えた。
部屋の外がいやに静かすぎる。
嫌な予感がする。
振り返り、部屋のドアを開ける。
瞬間、輪廻の顔が憎悪に引き攣る。
「なんで……」
「……なんであなたがここにいるの……!!」
ドアの前には、異様に背の高い痩せた男が立っていた。右手にはスタンガンを握りしめており、その足元では、さきほど輪廻の前に立ちはだかった職員や警備員たちが折り重なるように倒れていた。
男の無造作に伸びた前髪の隙間から、不吉で冷たく鋭い眼差しが輪廻を見下ろす。
「……報道されただろ、今日……喜代永寧生の目撃情報が」
男は低く掠れた声で続ける。
「ずっと待っていた……研究所の警備が手薄になる時を」
「輪廻から離れろ!!」
ネヲが輪廻と男の間に駆けつけ、男を鋭く睨みつける。ネヲは、誰よりもこの男を知っていた。
「答えろ、アミダ・ラボ主幹研究員。何故……ーー何故こいつは生きている!!」
男はネヲを指して吼えた。
「俺が殺したはずのこいつは……喜代永寧生は以前からアミダ・ラボに出入りしていた。……お前ら科学者が喜代永寧生の生存に関与していることは分かっている!!答えろ!!」
「俺は喜代永寧生じゃねえ!!」
ネヲが怒鳴り返す。
「……何を言ってる」
「待って、ネヲ……!!」
個体再構成計画は国家機密である。特に、こんな危険な男に知られてはならない。輪廻がネヲを制止しようとする。
「待たねえよ。俺が俺の話すんのに誰の許可もいらねえだろ」
「俺はネヲ。寧生の細胞から作られた別人だ」
「……ふざけてるのか」
男の顔が歪む。
「お前がふざけんなよ。勝手に寧生のこと殺してんじゃねえよ」
「……恒徹真、だっけ?確かにお前がいなけりゃ俺は生まれてねえよ。でも、寧生を殺したお前を俺は一生許さねえ」
ネヲは続ける。
「俺は自分のこと話したぞ。お前も話せよ。……なんで寧生を殺したのか」
「……黙れ。お前が喜代永寧生でないと言うなら、なおのことお前には関係ない」
「関係ある。だって俺はあいつだったんだから」
「……黙れ!!」
徹真が叩きつけるように叫ぶ。
しかしネヲは退かない。
「黙れねえよ!!だって俺は、お前がどんな奴なのかも……寧生が周りにとってどんな奴だったのかも知らねえ……」
「なあ徹真、教えてくれよ……寧生はお前が殺したいと思うような奴だったのか?悪い奴だったのか?……そこを知らないと、俺は未来を生きれねえんだよ」
徹真は言葉を失う。
殺人鬼と被害者として対峙するはずだったのに、いつの間にか対等な人間同士として扱われているこの状況が、彼にとって奇妙で仕方がない。
なぜこの少年は自分を殺した男に対して怯えずにいられる?
徹真は自分の中の違和感を整理する。初めに相対した時、少年は自分を睨んだ。
それは喜代永寧生を殺した時には決して見られなかった鋭い眼差しだった。
自分は喜代永寧生ではない、というのが殺人鬼から逃れるための妄言だとすると、こちらにまったく怯える様子もなく話を聞かせろと踏み込んでくるその態度と辻褄が合わない。
ふと少年の背後にある大型の機械、そして机の上に散乱した個体再構成計画の資料が目に入り、徹真は悟る。
「そうか、お前は……初めから全部、本当のことしか言ってないんだな」
徹真は諦めたように遠くを見つめながら、いよいよ口を開き、真相を語り始めた。
喜代永寧生の父と叔父ーー恒真実と恒徹真の話を。




