ホルマリン漬けの転校生
外で大合唱している蝉と同じくらい賑やかなホームルーム直前の教室に、担任の先生がシャツの襟元を扇ぎながら入ってきて着席を促す。
出欠席を取り終わってもみんなは小さな声で喋り合っていた。
みんなが落ち着かないのには理由がある。今日は、転校生が来ると噂されているのだ。遠くから見た友達の話ではめちゃくちゃ可愛いと言うのだから、クラス中の男子の期待はとても高まっている。
僕もそうだった。彼女のアレに気づくまでは。
「あー、もう既に知っていると思うが、今日は転校生を紹介する。堀間、入ってこい」
教室に入ってきた彼女の第一印象は白いだった。
ちょっと癖のある真っ白なショートヘアに全然日に焼けてない肌、それに銀色の瞳と色素の薄い唇、この夏の日差しに当たったら消えてしまいそうな淡雪のような姿をしている。
だが、そんな見惚れる様な彼女に僕ら男子生徒は、鼻の下を伸ばすのではなく、みんな顔をしかめていた。
彼女は、とても薬品臭かったのだ。
「……堀間リンです。よろしくお願いします」
黒板に名前を書き、無機質的な声で事務的な自己紹介を終えると、彼女は頭を下げる。
名前からしてもたぶん彼女は理科準備室にあるホルマリンから生まれたのだろう。
担任の先生が拍手すると、みんなも拍手をするが、数分前のあの期待と興奮の熱気は冷めきっていた。
みんな口に出しては言わないものの、彼女の臭いはそれほど強烈だったのだ。
「あー、堀間の家は親がホルマリン漬けの組織標本を作る仕事をしていてな。それでちょっと薬品の臭いがするかもしれんが、俺はお前たちがそんなことを気にせずに堀間と仲良くなってくれると信じているからな。よし、それじゃああそこに座ってくれ」
無責任な先生が指したのは一番後ろのドア側の席。
確かに窓際だと、今時珍しくクーラーの無いこの教室の唯一の清涼である潮風が全部ホルマリンになってしまうから、それはありがたい気配りだ。風が廊下側に抜けるからそこも合理的だろう。
でも、彼女の座る席が、僕の隣の席だというのはどうしようもない。
自分の隣を転校生の女の子が通った時、普通はいい匂いがしたりして甘酸っぱい何かがあるものだが、刺激臭しかしないと恋の始まりも何もあったものじゃない。
「えーと、俺、金田って言うんだ。よろしく」
隣の席の礼儀として声をかけてみるが、彼女は小さく会釈しただけで返事もせずに座ってしまった。そして隣に来ると否応もなく臭ってくるホルマリン。
これからの授業は全部ホルマリンになるのだと思うと気が滅入る。
しかし僕は、そんな彼女の事がなんだか妙に気になった。
……可愛いことは可愛いし。
⊃・⊃・⊃
学校が終わり、家に帰って夕飯を食べていると、母さんがニヤニヤしながらこっちを見ている。
「僕の顔になんか付いてる?」
「別に。好きな子でもできたのかなーって」
危うく咳き込みそうになったけど、気合で抑え込む。
なぜ母親というものはこうも鋭いのだろう。
いや、そもそも別に好きなわけじゃ……。
「そ、そういえば、父さんは次いつ帰ってくるの?」
あまりにも露骨に話題をそらしたが、母さんはそのまま乗ってくれた。
「大きな仕事が片付いたから来月には帰るってこの前電話してきたわ」
僕の父さんは海外で物流関係の仕事をしている。詳しくは教えてくれないけど、結構儲かっているらしく、我が家はそれなりに裕福だ。
「そうそう、不審な黒い車が最近この辺りの海沿いをうろついているそうよ。あんたは大丈夫だろうけど、気をつけてね」
「うん」
そう言われて、この前そんなプリントを学校からもらったような事を思い出す。でも確かカバンにしまったままで、まだ見せていない。今から出すと怒られるので黙って捨てようと考える僕であった。
「子供が女の子だとこういうとき心配よね~。あ、好きな子には積極的に行きなさいよ。あんた奥手なんだから」
「蒸し返し方が雑だね! だからそんなんじゃないから!」
急いで食事を終え、僕は部屋に逃げ込む。
それなりに広い自室に戻ると、僕はいつものようにパソコンを立ち上げ、いつものようにゲームを始める。
最近ハマっているのはFPSで、何人かでチームを組んで相手チームを銃で倒すゲームだ。
ゲームに熱中していると、学校の授業と違って、時間なんて一瞬で過ぎてしまう。現に、時計を見ればもう日付も変わっている。
今回の戦績はあまり良くなかったので、やや不機嫌にベッドに潜り込むと、ふと、堀間さんの白い髪と顔が頭の中に浮かんできた。
「……不思議な子だったな。ホルマリン臭かったし。でも、結構綺麗だったような……」
って、何を考えているんだ僕は!
これじゃあまるで、彼女のことを……。
……そんなんじゃないんだー!




