第28話 ダリオはそうじゃないじゅ
「予約って言葉は故郷にもあったじゅ。それを忘れて店員さんに怒鳴るなんて恥ずかしいじゅ」
こちらを無言で睨み上げてくるダリオへ、レインは努めて穏やかに語りかける。
「よく見たら顔色も悪いじゅ。目の下にくまも浮いてるじゅ、疲れてるんだじゅ? 今日はもう帰ったほうがいいじゅ」
「――うっさい、じゅ」
ダリオの肩に置いた手を、パシンと叩かれた。
レインの手を振り払ったダリオの手は、骨っぽくて乾き、指先がささくれて荒れている。
「じゅ?」
ダリオが白目を真っ赤に染めてレインを睨み、もう一度「うるさいじゅ!」と怒鳴って続けた。
「俺には休みがないじゅ! 今日が半年ぶりの休日じゅ! 自由になる金も全然ないじゅ! 子供の小遣いみたいな額をコツコツ貯めてやっとここに来れたじゅ! 初めてじゅ、楽しみにしてたじゅ! 今日店に入れなかったらまた半年後だじゅ!」
その頃にはコーヒー代も借金返済に消えてるじゅ! と、ダリオは叫んで、伸びっぱなしで脂っぽい前髪をガリガリと掻き回す。
背を丸めてうなるダリオの様子に、別れた頃の自信満々の艶や余裕は全くなくて、レインは首を傾げた。
「都会の女はどうしたじゅ? あの時デートするって言ってたじゅ、ここには来なかったじゅ?」
家を追い出された時のことを思い出しながらそう言うと、ダリオは青い目を見開いて首だけを動かし、こちらを見た。
「あの女、俺を騙したじゅ! あの女は実家のポーション屋で働く職人を確保したくて俺に近付いただけだったじゅ。私とあなたの仲だけど念のためって書かされた契約書も無茶苦茶だったじゅ……」
〝都会の女〟の実家は、レインも聞いたことがあるポーション屋だった。
王都でも品揃えの良さで評判の中規模な店で、よく働く職人を大勢抱えていると聞いている。
そのよく働く職人の実態が、目の前のダリオだった。
ダリオは目を見開いたまま、レインを家から追い出した後の境遇をぶつぶつと呟き始めた。
奴隷同然の環境でこき使われている。
厚生魔法省薬学研究局を途中で辞めて転職したから、貸与型魔導勉学金の返済ペナルティで借金が倍になった。
ポーションの原材料は店から買わなければならないし、失敗作は全額弁償しなければならない。
給料は完全歩合制で、職人寮は狭くて汚いのに寮費は高い。
生活必需品は寮に来る店指定の商人から買うことが契約書で決まっていて、毎回給料から差し引かれて払われる。
結婚するのに必要なことだから我慢してと言われたのに、気がついたら女は別の男と婚約していた。
レインに聞かせるためというよりも、並べ立てた己の身の上を俯瞰で聞いて、自分の哀れさを見返すための確認作業のような声だった。
「今日は本当に、久しぶりの自由なんだじゅ。金なんて全然ないじゅ。だけど王都にいてこの店のコーヒーも飲んだことないなんてって、他の職人に馬鹿にされたじゅ……!」
ダリオが口角だけをうっすらと上げて、レインを見つめたまま言った。
「コーヒー一杯飲むのもギリギリじゅ。なあ、お前は金があるじゅ? こんな高いカフェに貴族の連れと予約で来れるじゅ? なら俺を助けてくれじゅ! 俺たち、幼馴染みじゅ!」
その言葉を聞いた瞬間。
レインの心の中にあった〝幼馴染みのダリオ〟へ残っていた気持ちが、一瞬で蒸発した。
「確かに幼馴染みだじゅ」
レインの声は、自分でも驚くほど静かだった。
けれどダリオは、その静けさよりも言葉のほうに気を取られたようだ。
「そうだじゅ、絆があるじゅ! 一緒に勉強した友達でもあるじゅ!」
ダリオは身を乗り出して、レインへ笑顔を向けた。
「そういえば、お前は勉学金はどれくらい払い終わったじゅ? 肩のふさふさが増えてるじゅ、昇格したじゅ? 俺の代わりに少し払ってくれても罰は当たらないじゅ!」
「嫌だじゅ」
レインは一歩身を引いて、ダリオへ嫌悪感に満ちた表情を向けた。
「結婚するって約束しておいて、ダリオはあっさり〝都会の女〟に乗り換えて捨てたじゅ。私とダリオの絆はその程度じゅ」
ようやくレインの静かな声と表情に気がついたダリオが、はっとしたように目を瞬かせた。
「わ、悪かったじゅ! けど、俺も苦しかったんだじゅ……」
ダリオはそう言って目線を下げて、就職の時にレインへ王都についてくるように言うに至った心境を苦しそうに吐露し始めた。
だけどレインはそれを聞いて、心底「どうでもいいじゅ」と思った。
「どうでもいいって、そんなこと言うなじゅ……。俺だって悩んでたってわかったじゅ?」
思ったうえに、強めに声も出ていたらしい。
けれどレインは、むしろ黙っていたよりも良かったのではないかと思い直した。
「誰にだってコンプレックスはあるじゅ。私にもあるじゅ。私はそもそも孤独が怖いじゅ。疎外されることや仲間外れがドラゴンより恐ろしいじゅ。だから人に依存するんだじゅ。村ではダリオにばっかり頼って悪かったって思ってるじゅ」
そもそもレインは村ではめずらしい魔法使いで、ダリオの言ったように、自分の魔法は村の皆から期待されていた。
羨望、期待、嫉妬。
彼らがレインを見る目は、自分とは違うものを見る目だ。
村の誰かと同じ……たとえば〝村の女の子〟や〝村の若者〟というくくりには、魔法使いである限りは入れない。それはレインの両親ですら例外ではない。
レインと同じ輪の中にいるのは、村ではダリオ以外いなかったのだ。
ダリオが自分の恐怖心や劣等感を〝レインを壊すこと〟で解消しようとしたように、レインも自分の恐怖心を〝ダリオに依存すること〟で晴らそうとした。
そのせいでダリオがコンプレックスを拗らせてしまったのだとしたら、ダリオの感情の歪みがさらに自分へと向かってくるのもわからなくはない。
「けど、ダリオが私にしたことは許せないじゅ」
半笑いのような表情で口を開きかけたダリオを視線で制して、レインは続けた。
「結婚しようって言われて嬉しかったじゅ。一緒に王都に来てくれって言われて、一人じゃないってほっとしたじゅ。突然だったけど、同じ魔法使いで、同じ視線で同じ物を見られるダリオのためだったら、慣れない土地でも頑張ろうって思ったじゅ」
「だ、だじゅ⁉ だったら今からでも……」
「でも違和感もあったじゅ。だけどそのあたりの違和感とか問題とかは、けっこう前に解決済みじゅ。全部パンくずみたいに散っていったじゅ。今さらダリオの都合を聞かされても、だからなんだじゅ? 以外出てこないじゅ」
第四小隊が新しくなって、自分に部下ができた時。
その部下と一緒にランチをとったあの日に、レインは目が覚めたのだ。
「事情がどうであれ、ダリオは私を孤立させて、騙して、裏切って、捨てたじゅ。そのせいで私も恐怖心を拗らせて、だいぶ余裕がなくて必死だったじゅ」
仕事がしたくてしたくて。
なんとか、どうにか、人のいる職場にしがみつきたくて必死だった。
己の尻と会話するほど精神に余裕がなくて、必死だった。
「だけど結果的にそのせいで努力できたじゅ。他人を変えるんじゃなくて、自分を変える努力だじゅ」
レインはもう一度じっくりと、ダリオを見た。
村にいた時は天使みたいにキラキラしていると思っていた幼馴染み。
今は彼自身が「奴隷」と口にするほどやつれていて、すさんでいる。
「だけどそれをダリオのおかげだなんて微塵も思わないじゅ。恩人はウェストコット隊長だけじゅ。私のお手本じゅ。もし今、隊長が借金で首が回らないって言ったら喜んで全財産渡すじゅ。ドラゴンに焼かれそうになってたら、身を盾にして庇うじゅ」
でもそれは依存してるからじゃないじゅ。と、レインは続けた。
「隊長を信頼しているからじゅ。隊長にお金がないのはきっと、人のために自分のお金を出しちゃったからじゅ。ドラゴンに焼き殺されそうなのは、背後に民間人を庇ってるからってわかっているからじゅ」
彼を手本に見続けたから知っている。
そういう人だからこそ、レインは全部をグラントのために投げ出すことを躊躇わない。
そこに違和感など覚えない。
そして騙されたとて、恨まない。
「ダリオはそうじゃないじゅ。だから私がダリオのために何か手を貸すことはないじゅ。これ以上他人に迷惑をかける前に、帰るといいじゅ」
そう言うと、ダリオは顔を歪めてレインを睨みつけた。
さらに拳を握りしめ、何かを怒鳴ろうと大きく息を吸った瞬間――
バアアアアアアン! とダリオの後ろで馬車の扉が開いて、枯れ葉が暴風で飛ばされるようにダリオの体が真横に吹っ飛んでいった。
「話は聞かせていただいてよ! そしてお前たちの全てを理解してよ!」
高笑いとともに、馬車の中からリーリアが現れた。




