第15話 グラント様の周りをうろちょろしている平民のネズミのことを何かご存じ?(令嬢視点)
奥の席からやってきた兵が、恭しくエスコートの手を差し出してくる。
それを見てリーリアは、
「ふぅん……?」
と目を細め、その兵士を上から下までじっくりと眺めた。
短く整えられた艶やかな金髪と、仕立ての良い制服に身を包んだ長身。
ゆったりと落ち着いた声。
目鼻立ちの整った顔に、柔和に微笑む茶色の瞳。
何より他の兵士にはない清潔感と清涼感がある。
リーリアはお気に入りの金色の扇子で口元を隠してうなずいた。
「そうね。あなたに案内させてあげてもよくってよ」
差し出された手のひらに手を置いてそう言うと、相手は本当に嬉しそうに笑った。
その様子に、リーリアは少しだけ目を丸くする。
他の隊員のように、貴族令嬢の相手などとんでもないという態度を取らない変わり者。
部屋中の隊員から尊敬のまなざしを受けながら、彼はリーリアをエスコートして部屋を出る。
「あなた、名前はなんというの」
「レイン・ハンターと申します」
かすれたような声は男性にしては少しだけ高めだけれど、どちらかといえば女性的に整った顔を見れば不自然でもない。
宮廷詩人でよくいる感じの美形だわ……と、リーリアは討伐隊としてはめずらしいタイプのレインを、斜め後ろからじっくりと眺めた。
「わたくしはリーリア・カーグラントよ。ハンター家というのは存じ上げないけれど、どちらの派閥の家門かしら」
「私は平民です」
振り返って微笑まれ、リーリアはまたも目を丸くした。
「まあ! それにしてはエスコートが完璧だわ」
「わずかながらもお役に立てる術を得られましたのは、貴き皆様から賜りましたご温情と導きのおかげでございます」
リーリアからの褒め言葉をはにかみながら受け取るレインを見て、リーリアはこの平民兵を好ましく思った。
「わたくしはカーグラント侯爵家の嫡女として社交界では一目置かれる立場よ。あなたがもしも平民でなければ、わたくしの婿候補に入れてちょうだいとお父様に願うところだったわ。自信を持ちなさい」
「身に余る光栄でございます」
嬉しそうに頭を下げるレインに満足し、リーリアはふふんとうなずいた。
そして昼休憩を取るため廊下に出た第四小隊以外の隊員や事務員たちの注目が、自分をエスコートするレインに集まっているのを見て、リーリアはさらに満足のため息をつく。
完璧に美しい大貴族の娘である自分が注目されるのは当然のこと。
その自分をエスコートするレインに視線が向くのもまた当たり前のことながら、その視線を向ける者たち……中でも女性の隊員や事務員たちの視線に、羨望と憧憬が含まれていることに気がついたからだ。
(まあ、この容姿と貴族令嬢をそつなくエスコートできるスキルがある若手なら、平民であっても彼を自分の恋人や夫としたくなっても当然ね)
けれど皆が憧れる男を今独占しているのはこの自分だ。
リーリアはとっても気分が良かった。
◇(レイン視点)
レインがエスコートしている令嬢は、リーリア・カーグラント侯爵令嬢らしい。
(この人が『バーバー・スミス』の親父さんが言っていたリーリアさんだじゅ⁉)
レインは内心で驚きつつも表情は崩さず、リーリアの手を取ってゆっくりと廊下を歩く。
まさか故郷で受けた貴族社会についての教育が、こんなにも役に立つ日がくるとは思わなかった。
といっても、貴族令嬢のエスコートの仕方を学んでいたのはダリオだ。レインはそれを隣で眺めていただけである。
運動が苦手なダリオのために何度も繰り返される授業を見て、運動神経の良いレインのほうが先に覚えてしまった。
先程の「わずかながらもお役に立てる術をなんちゃらかんちゃら」と、「身に余る光栄でうんちゃら」は、〝気位の高い対貴族用の呪文〟として、やはり故郷の先生から教わった。
貴族に褒められたら反射的に口から出るように訓練されている。
リーリアはなぜかレインのことを男と勘違いしているようだけれど、それを訂正する暇もなく反射的に口から出た。
しかしそのおかげでリーリアの鼻先が上機嫌に天井を向いたので、そのままそっとしておこうと思う。
貸与型魔導勉学金制度様様である。
「ところであなた、最近グラント様の周りをうろちょろしている平民のネズミのことを何かご存じ?」
今はグラントを見習って、対貴族用のマナーを勉強中だ。
教科書を思い出しながら、慎重に口を開く。正式な場ではないので、この場合は普通に敬語を使っていいはずだ。
「……平民のネズミですか?」
「ええ。グラント様って素敵でしょう? 水の精霊様のようなご容姿と、お優しい態度……わたくしの婿にあれほど完璧な方はいなくてよ。必ず婚約者として手に入れてみせるわ。けれど、でもね、」
うっとりとグラントのことを語っていたリーリアは、一転して険しく眉をひそめ、苦々しい顔をしてため息をついた。
「グラント様のその優しさを勘違いして、彼にまとわりついている平民の女兵士がいるのですって。噂では彼の行きつけのお店に押しかけたとか、家をねだったとかいうのよ。図々しいわ」
(身に覚えがあるじゅ……)
心臓がぎゅっと痛くなる。
家をねだった覚えはないけれど、ダリオに捨てられて住んでいた家を追い出された時に、その事情をくんで今住んでいる家を手配してくれたのはグラントだ。
そして行きつけの店に押しかけた覚えはしっかりあった。
「名前はご存じ、ですか……?」
「どうしてわたくしがネズミの名前など知らなくてはいけないの? ブラウンとか、スクィーキーとか、そういう名前なのではなくって?」
フンと鼻を鳴らして言ったリーリアの答えに、レインはひとまず安堵のため息をつく。
彼女が貴族らしく傲慢で本当に良かった。
そして猟師由来のありふれた苗字と、娘に「雨の日に生まれたから〝レイン〟」と脊髄反射で名付けた両親に感謝である。
「そのネズミが見つかったら、ど、どうなさるおつもりですか……?」
怯えて聞いたレインへ、リーリアは真っ赤に艶めくルージュを塗った唇をつり上げて言った。
「そうね……ネズミはネズミらしく、野生に帰ればいいのではないかしら。領海を維持するためだけに建てた灯台の守り役として、無人島で暮らすといいわ」
無人島。
人がいない。
孤独。
レインが〝ネズミ〟であるとリーリアに気づかれれば、今の家どころではない虚無地獄に放り込まれる可能性があるらしい。
(絶対バレるわけにはいかないじゅ! このままご令嬢には私のことを男だと思って帰ってもらわなきゃだめじゅ! じゃなきゃ孤独で死決定じゅ!)
死ぬわけにはいかないじゅ! と、レインはリーリアに引きつった笑みを向けた。




