3部族の砦
国境の守備隊を文字通り泥沼へと置き去りにしたキィールたちは、そこからさらに、北へ向けて鎧竜の群れを猛スピードで走らせ続けた。
純粋な瞬発の速さだけで言えば、軍馬の方が勝っていただろう。
だが、ヴァイス族が育て上げた鎧竜たちの真の恐ろしさは、その並外れた『持久力』にあった。
彼らは巨大な肉体に無尽蔵の体力を秘めており、滝のような豪雨のなかを丸一日中、激しい泥を蹴立てて走り続けても、一切の衰えを見せなかったのだ。
強行軍の間、挟んだ休憩はわずかに「二、三度」のみ。馬であれば途中で何頭も潰れていただろう過酷な泥の道を、鎧竜たちは短い休息だけで完璧に回復し、地響きのようなタフな足音を響かせて中原から北方へと一気に駆け抜けた。
そして翌日。
国境を突破したキィールたちが丸一日走り続け、やっとの思いでたどり着いたその場所――。
どんよりとしていた北部の空は、リンの予言した通り、まるで嘘のように青く冷たく晴れ渡っていた。
鎧竜たちの激しい鼻息とともに、泥ままみれになった神聖イオン帝国の約1000人救援軍は、ついに目的地の北方アスト族の砦の全貌を、前方の丘の上から捉えた。
キィールたちは鎧竜を丘の影に潜め、眼下に広がる戦場の全貌をじっと見据えた。
漆黒の兜の奥で、キィールの目が緊迫に細められる。
丘の下には、仮面族の村の前を塞ぐようにして、急ごしらえの頑丈な『二部族の砦』が聳え立っていた。
元々、仮面族の村の前方には、東西に分かれて二つの部族の村が存在していたはずだった。だが、バルルや傭兵王率いるデモノ軍の圧倒的な大軍勢が迫るのに対し、北部の部族たちは驚くべき決断を下していた。
彼らは自らの東西の村をあえて完全に『放棄』し、真ん中の要所へと全電力を合流させて一つの強固な砦を築き上げていたのだ。
さらに、砦の周りには敵の侵入や騎馬の突撃を拒絶するための深い『堀』をぐるりと回し、徹底抗戦の構えをとっていた。
しかし、その防衛の砦は今、黒黒とした無数のデモノ軍の兵たちによって完全に『包囲』され、生殺しの状態に陥っていた。
砦の堀の向こう側、デモノ軍の陣営には、急襲によって捕らえられてしまったのであろう、砦に逃げ込み遅れた他の部族の女子供、そして兵士たちの姿がズラリと並べられているのが見えた。
「――クハハ! おい、砦の中の仮面族ども、よ~く聞きやがれ!」
静まり返った晴天の戦場に、自称『傭兵王』の下劣な怒号が響き渡った。
「デモノ盟主の慈悲により、貴様ら仮面族を殺しはしねえ! 今すぐその砦の門を開け、武器を捨てて無抵抗で降伏しろ! もし少しでも拒むなら……この堀の前に並べた女子供どもを、今から目の前で10 人ずつ、順番に首を撥ねていくからなぁっ!!」
人質を盾にした、反吐が出るほど卑劣な処刑宣告。
砦の奥からは、族長ゾルーダをはじめとするアスト族たちの、血を吐くような絶望と怒りの気配が丘の上まで伝わってくるようだった。
「……卑劣な奴らめ」
漆黒の兜の奥で、キィールは怒りに黒い瞳を烈火のごとく燃え上がらせた。
隣に立つサジィールも、そしてヴァイス族のゾイルも、手綱を握る手に凄まじい殺気をみなぎらせ、いつでも地を蹴り出せるようにしている。
堀の向こう側から響き渡る、自称『傭兵王』の下劣な笑い声と処刑宣告。
砦の強固な丸太の壁の裏では、包囲された北部三部族の長たちが、張り詰めた沈黙の中で互いの顔を見つめ合っていた。
「……どうします?」
村を捨てて合流した、リグド族の族長とバロウ族の族長が、血を吐くような無念さを顔ににじませ、同時にそう声を絞り出した。堀の前に並べられているのは、他でもない彼らの部族の最愛の妻や、幼い子供たちなのだ。
アスト族の族長ゾルーダは、深く刻まれた顔の皺をさらに険しく寄せ、堀の向こうの敵軍をじっと睨み数えた。その薄緑色の素顔には、激しい怒りとともに、冷徹なまでの戦士としての覚悟が宿っていた。
「……リグド、バロウ。人質に取られた者たちには、本当にお前たちに申し訳ない、取り返しのつかない可哀想なことをした。……だが、ここで奴らの言葉を信じて降伏する訳には行かぬだろう?」
ゾルーダは低く、重々しい声で語り掛けた。
「奴らの狙いは、我がアスト族の生捕りと、この地に眠るパーラ石の掠奪だ。デモノの命令がある以上、我らアスト族は生かされるやもしれん。だが……そちたちリグドとバロウの者どもは、今更降伏したところで、待っているのは容容赦なき皆殺しか、さもなくば凄惨な奴隷の道だ。奴らは最初から、我ら全員を使い潰すつもりなのだからな」
ゾルーダの言葉は、残酷なまでに戦場の真実を突いていた。
もしここで門を開ければ、人質が助かる保証などどこにもないどころか、砦の中の全員がただ無抵抗に蹂躙される未来しか残されていない。
「……分かっております、ゾルーダ殿」
リグドの族長も、バロウの族長も、溢れそうになる涙をグッと堪え、拳を血がにじむほど強く握りしめながら、ゾルーダの決断に深く、深く頷いた。
「我がリグドの戦士たちに、命乞いをする者など一人もおりません。奴らの卑劣な脅しに屈し、誇りをドブに捨てるくらいなら……最期までこの砦を枕に討ち死にするまでです!」
「バロウの者たちも同じだ! 門は絶対に開けん! 攻め寄せてくる悪党どもを、一人でも多く道連れにして地獄へ送ってやる!」
人質となった家族たちの命の灯火を背負い、全滅を覚悟して徹底抗戦の雄叫びをあげる北部の戦士たち。
まさに、砦の内部が悲壮な決意と決死の闘志で満ち、傭兵王が
「よし、引きずり出せ! まずは最初の10人だ!」
と冷酷に手を掲げた、その絶体絶命の瞬間だった。
ズズズズズズズウンッ!!!
と。晴れ渡った北部の青空に、地響きのような、地獄の底から這い上がってくるかのような凄まじい「竜の咆哮」が鳴り響いた。
「な、なんだ!? どこからだ!?」
驚愕して振り返るバルル、傭兵王、そしてデモノ軍の兵たちの視線の先――前方の丘の上から、天を突くような水飛沫と泥を撥ね飛ばしながら、凄まじい質量を持った影が、まるで黒い雪崩のように戦場へと一斉に雪崩れ込んできた。
先頭を爆走するのは、『漆黒の兜と鎧』を纏った若き皇帝キィール!
「神聖イオン帝国の民、そして北部の戦友たちよ、安心せよ! 約束通り救いに来たぞ!!」
漆黒の兜の奥から響き渡る、キィールの地鳴りのような圧倒的な皇帝の怒号。
その左右を固めるのは、内に覚醒マスターナイトの牙を隠し持つサジィールとゾイル、そして案内役のラトラス率いるヴァイス族の鎧竜部隊だった。二日間の大嵐の泥沼を不眠不休で突き抜けてきた巨獣たちが、今、人質を人質とも思わぬ悪党どもの包囲網へ向けて、背後から木っ端微塵に踏み潰さんと牙を剥いて突撃を開始した。
「ば、バカなっ!? 何故ディーラの軍勢がもうここにいる!? それにあの漆黒の騎士は!?」
バルルが薄笑いを一瞬で消し去り、驚愕に顔を引きつらせる。
絶望の底から一転、嵐を味方につけた神聖イオン帝国の、歴史を変える大逆転の強襲劇が、いまここに華々しく開幕したのだった。




