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白刃ノ緋目譚 ~継火の縁~  作者: Nero
【プロローグ】
1/4

犬神の焔

雪が降る夜、村が燃え、妖が跋扈する――

そのとき、焔の中に現れたのは「白い神」と恐れられる一人の女。

刀一本で妖を斬り伏せる姿は、あまりに静かで、あまりに異質だった。


だが、彼女はただの無慈悲な刃ではない。

一人の命を救う、その小さな選択が、やがて彼女自身の運命をも変えていく。


この中に、いくつもの伏線が仕込まれています。

――すべてが繋がるとき、あなたはきっともう一度この冒頭に戻るでしょう。

雪が降っていた。

夜の空から舞い落ちる白は、静寂を装いながら、

地を焼く炎の朱と交じり合い、どこか異様な色を見せていた。

その色は、この世に本来あるべきではない闇を滲ませていた。

銀色の雪は、妖の気配を纏いながら、村を包み込んでいく。

山間の村が、妖の襲撃を受けていた。

瓦が砕け、柱が爆ぜ、叫びが掠れ、血の臭いが雪へと滲む。

それでもなお、誰かの命が断たれようとしていた。

木造の家々は、次々と炎に包まれ、その熱が雪を溶かしていく。

村人たちの悲鳴は、妖の笑い声に消されていった。

誰も逃げられないと知っているかのように、月は隠れる。

そのときだった。

焔の中を、白き影が踏み入った。

足音はなく、気配さえない。

ただそこに、在るべきではないものが現れた。

白銀の長い髪を風に泳がせ、

漆黒の衣をまとった一人の女が現れる。

その腰には、鍔のない一本の刀。

動きやすさと殺意だけを纏った戦装束。

その姿は、あまりにも静かで、あまりにも異質だった。

血を求めて暴れる妖の中で、彼女だけが静止した時間の中にいるかのよう。

傷ひとつない白い肌は、この場にそぐわない清浄さを放っていた。

すでに決着したかのような、静謐さを湛えた赤い瞳。

人のそれとは異なる、獣の耳がわずかに震え、

燃え落ちる家々の間に潜む妖の気配を捕らえる。

その耳は、炎のはじける音の下に潜む、異形の足音を聞き分けていた。

微かな風の揺らぎから、敵の位置を把握する。

彼女の全身が、ひとつの感覚器官のように研ぎ澄まされていた。

女は、一言も発しない。

ただ、静かに足を踏み出し、そして――

雪面に足跡すら残さず、一瞬で姿を消した。

----------

刃が風を切る音すら残さずに、妖を断つ。

踏み込んだ足の勢いに乗せ、白焔はくえんの体は一閃。

横薙ぎに振るわれた刀は、妖の首筋を正確に捉え、

肉を断ち、骨を裂き、音もなく沈めた。

刃が通った断面からは、血ではなく黒い煙が立ち上る。

それは妖の本質が崩れゆく証だった。

「……遅い」

倒れ伏す妖の体から、淡く黒い煙が立ちのぼる。

それは苦悶の声をあげることもできず、

ただ、地に染みこむように崩れていった。

妖の目には、最期まで理解の色が浮かばない。

何が起きたのか、彼らの思考が追いつく前に、命が尽きていた。

直後、背後から地を這う気配。

蛇のようにくねる長躯の影が地面を割って跳ねた。

鱗に覆われた体は、炎の中でさえ硬質な光を放っている。

毒を塗り込めた牙が、白焔の背中を狙う。

白焔は振り返らずに身を沈め、すれ違いざまに刃を一閃。

胴体が空を裂くように舞い、雪に落ちる。

二つに分かれた妖の断面からは、まだ動こうとする意思が見える。

しかし、すでに命は刃に奪われていた。

「見え透いてる」

白焔の言葉に呼応するように、無数の目を持つ蛇の胴体が動きを止める。

周囲の雪の白さに、妖の死体が沈んでいく。

切断面から黒い煙が漏れ出し、空へと溶けていった。

三体目。

天井の梁の上、四足の妖が跳びかかってくる。

その獣のような咆哮を、白焔はただの雑音と見なした。

雪の結晶が、その声に震えながら崩れ落ちる。

鋭い爪が月光を反射し、白焔の頭上に迫った。

刀を納めるような構えから抜き打ちで一撃。

瞬間、妖の右腕と顎が同時に切断され、地へ叩きつけられる。

ほとんど視認できない速さの抜刀。

周囲の妖たちでさえ、いつ刀が鞘から抜かれたのか分からない。

振り切った刀に血は付いていない。

まるで刃風だけで肉を切り裂いたかのように。

「吠えるだけで、脆い」

妖の頭部は、雪の上で呻き声を上げる。

かつては人を恐怖させた顎は、今や雪に埋もれて動かない。

恨みの籠もった目だけが、白焔の姿を追っている。

四体目。

霧のように身を溶かし、背後から忍び寄る影。

白焔の耳が小さく震えたその瞬間、

彼女は右足を半歩だけ引いた。

妖の気配は、澄んだ水に落ちた墨のように拡散する。

形を変えながらも、確実に襲いかかろうとする意思だけは変わらない。

「気取ってるつもりか」

柄を握る手に妖力が走り、風とともに真後ろを斬り裂く。

霧の塊が瞬時に分断され、黒煙が空に散った。

妖の意識はまだ生きているのか、断ち切られた霧が再び集まろうとする。

しかし、白焔の刀に宿る力が、その試みを妨げていた。

肉体だけでなく、魂の座すらも両断する一撃。

最早、誰の目にも見えない霧は、ただ雪と同化するように消えていった。

五体目。

屋根の上、巨体の妖が瓦を砕きながら降下する。

石のように硬く、鎧のような皮膚を持つその姿は、山のようだった。

足を踏み出すだけで、地面が揺れる。

尋常ではない重量と圧力で、白焔を潰そうとしていた。

白焔は微かに顔をしかめた。

「……鬱陶しい」

高く振り上げた刃が、重力とともに振り下ろされる。

一直線に振るわれた斬撃は、妖の頭頂から胸元までを深く裂き、

それきり、何の音もなく崩れた。

分厚い皮膚も、強靭な筋肉も、硬い骨も、

白焔の刀の前では紙のように脆かった。

斬撃の軌道には、鋭利な刃が通った痕だけが残る。

巨体の妖は、静かに倒れ込み、やがて黒い灰となっていった。

六体目は、柱の陰から現れた腕が異様に長い影。

鞭のように腕が振るわれ、白焔に絡みつこうとする。

伸びきった指が蛇のように蠢き、獲物を締め上げようとしていた。

その腕は、通常の三倍ほどの長さがあり、

関節という関節が全て逆向きに曲がっている。

白焔は一歩踏み込むと、

刃を小さく縦に走らせ、関節を切断。

精密に狙われた一撃は、妖の力の源である関節を正確に断ち切った。

切断された腕はまだ動いているが、もはや主の命令は届かない。

地面を這うように蠢くそれを、白焔は無視した。

やがてそれも、黒い煙となって消え去るだろう。

「動きすぎだ」

七体目は、屋敷の裏手から躍り出た獣脚の妖。

両手を地につける四足走行の姿から一気に突進してきた。

獣のような下半身と、人のような上半身。

その曖昧な姿は、人の恐怖心をかき立てるよう意図して作られたかのよう。

爪が地面を引き裂き、雪を巻き上げながら、白焔目掛けて襲いかかる。

白焔は無言で回り込み、足元へ低く斬り込む。

音を立てる間もなく、妖の足はその場で砕け、仰向けに転がった。

かつて誇っていた速さは、今や無力な足掻きに変わる。

地面に転がり、立ち上がろうともがく姿は、哀れですらあった。

そこへ、静かに突き刺すような一突き。

胸の中心から背中まで貫かれ、妖の体は力を失う。

「終いだ」

挿絵(By みてみん)

----------

もう一体。

さらにもう一体。

姿を見せる前に斬られた妖の影たちは、

ひとつ残らず、白銀の刃に沈められていった。

古の恐れを呼び覚ます姿、幾重もの爪を持つ腕、

牙のような舌、翼を持つ曲がりくねった背、

その全てが、一刀のもとに消えていく。

静寂。

炎はまだ消えていなかった。

けれど、命を奪う気配だけは、確かに止んでいた。

燃え盛る家々の壁は、次々と崩れ落ちている。

しかし、妖の放つあの異様な気配は、もう感じられない。

ただ焼け落ちる木の音と、降り続ける雪の音だけが、

この瞬間を満たしていた。

舞いのように鮮やかに血を払う動作。

それにより刀身には血の一滴もついていない。

それでも白焔は、作法どおりの動きを淡々と行う。

それが、彼女の師から教わった作法だったからだ。

白焔はその場に立ち尽くしたまま、

わずかに首を巡らせ、村の奥へと視線を向けた。

彼女の動きは、あまりに自然で、まるで舞を見るよう。

風になびく白髪と、真紅に光る瞳。

それは美しくもあり、恐ろしくもあった。

斬ったものの裏に、まだ気配が残っていないか。

息を潜める妖がいるのではないか。

白焔の耳は、微かな風の変化さえ捉える。

彼女の感覚は、通常の人間の比ではない。

血の臭いと、炎の熱と、妖の気配を、完璧に区別していた。

それを確かめるように、静かに歩き出す。

靴音ひとつ立てず、地面に重みを残さないかのような足取り。

まるで彼女自身が、この世に存在していないかのように。

焼け落ちた家々の間を抜け、焦げた土壁の影へ。

一歩、また一歩と進むごとに、

血と煤の臭いが足元にまとわりつく。

赤く染まった雪が、彼女の道程に点々と残されている。

その場で命を落とした村人たちの最期の痕跡。

そのときだった。

耳が震えた。

白焔の二つの耳は、同時に小さく動いた。

この中に、まだ命の鼓動が残っている。

しかもそれは、妖でも人でもない、小さな命。

――微かな、泣き声。

火の勢いが弱まった家の奥から、

風に乗るように、か細い声が届いた。

それは儚げで、今にも消えそうな声だった。

しかし、確かに命の証であり、助けを求める声。

白焔は立ち止まり、音の方へと視線を定める。

まるで獣が獲物を捕らえるような正確さで、音源を特定する。

瓦礫の山を軽やかに越え、朽ちかけた梁の下へ身を滑り込ませた。

炎の熱と崩れかけた建材の中を、ためらいなく進んでいく。

白焔の服が、煤で薄く黒く染まっていった。

----------

ゆりかごの中で、赤子が泣いていた。

小さな手足をばたつかせ、両親の不在を嘆くように。

衣類は焦げ、顔には煤が付いているが、奇跡的に無傷だった。

この家の主たちが、最期の力を振り絞って守り抜いたのだろう。

わずかに残る布の色から、良家の子であることが窺える。

白焔はそれを見下ろす。

赤い瞳が、わずかに揺らぐ。

何かを思い出したような、一瞬の表情の乱れ。

すぐに消えたその光は、感情なのか、それとも別の何かなのか。

わずかに眉を寄せると、ゆっくりと刀に手をかけた。

雑念のない、純粋な動作。

刃の輝きが、白焔の顔を淡く照らす。

「……この者は、生きられぬ」

呟きは、自分自身に向けたものだった。

感情のない、ただ事実を述べる声。

しかし、その奥には何か別のものが隠れているようにも聞こえた。

「一人では、生き延びる術を持たぬ」

漆黒の鞘の中で、刃が微かに鳴る。

白焔の指先に、わずかな力が加わっていく。

刀身が少しだけ覗き、月光を反射した。

「ならば――この場で、終わらせてやるべきか」

言葉に感情はなかった。

ただ、淡々と運命の是非を問うように。

それは冷酷さではなく、むしろ慈悲に近いものだった。

一撃で苦しみから解放する、最後の救いとして。

だが、

赤子がゆりかごの中から小さな手を伸ばしたとき――

その無邪気な仕草に、白焔の思考が途切れた。

分別のない、ただの偶然の動き。

しかし、それは白焔の内側に、何かを呼び覚ました。

白焔の手から、わずかに力が抜けた。

刀を鞘に戻す音が、静かに響く。

彼女の決意が、ほんの一瞬で変わるのに、それだけで十分だった。

刀を静かに戻すと、白焔は赤子を抱き上げた。

小さな命の重みが、彼女の腕に伝わる。

体温が腕に伝わってくる。

柔らかく、壊れやすい命だった。

あまりに儚く、あまりに無防備で、

それでいて、強い生命の鼓動を感じさせる存在。

白焔は破れた布の端を拾い、赤子の体を丁寧に包んだ。

指先に残る感触は、自分自身のものとは思えないほど優しい。

かつて刃を握った同じ手が、今は幼子を優しく包んでいる。

その対比が、白焔自身の中にさえ奇妙に映っていた。

そして、一度だけ空を見上げた。

満月が、雲間から顔を覗かせていた。

まるで、彼女の選択を見守るかのように。

雪は、変わらず静かに降り続いていた。

それは世界が続いていること、命が繋がれることの証のようだった。

----------

白焔は歩き出す。

赤子を片腕に抱え、もう片方の手は刀の柄に添えたまま。

防御の姿勢と、保護の姿勢を同時に取る不思議な形。

それは彼女が何者なのかを、如実に表していた。

残された妖の気配はもうない。

けれど、まだ微かに人の匂いが残っていた。

焼け焦げた木の香りの下、生きている人の匂いがある。

白焔の鼻は、それを見逃さない。

恐怖で震える人々の体臭は、妖の臭いよりも分かりやすい。

焦げた木の裏、小さな物置小屋の陰。

そこに、数人の村人が息を潜めていた。

男女合わせて五人。

皆、煤で汚れ、焼け焦げた衣服を身につけている。

その目には、生きていることの安堵と、

これから何が待ち受けるのかという恐怖が混じっていた。

白焔は何のためらいもなく、まっすぐその場へ向かう。

足音はなく、気配すら感じさせずに、目の前に現れる。

まるで幽霊のように、ある瞬間から、そこに存在していた。

片腕には赤子、もう片方の手は今も刀の柄に。

村人たちは息を呑んだ。

その白髪、その耳――まるで神か、あるいは何か。

伝承の中でしか聞いたことのない姿。

人ではない。しかし、人の形をしている。

それが敵か味方か、判断もつかないまま、ただ震えるしかない。

白焔は、一人の若い男の前に立つと、

黙って赤子を差し出した。

その行為には、多くの意味が含まれていた。

生き延びろという命令と、この子を守れという願い。

言葉にはできない、複雑な思いが込められていた。

村人の目が、恐怖と戸惑いと祈りで濡れる。

手を伸ばすべきか、逃げるべきか、

その判断を鈍らせるほどの緊張が、場を支配していた。

白焔は、静かに言葉を落とす。

低く、しかし確かな響きを持つ声。

まるで遠くから聞こえる風のような声。

「……一人では、生きられぬ。

だが、それでも生かすというのなら――おまえたちが繋げ」

その言葉には、彼女自身の人生が重なり合っていた。

一人では生きられない。それは赤子だけでなく、

すべての命に共通する真実。

けれど、それでも生きるというのなら――繋げ。

命と命を、心と心を、繋いでいけ。

男の手に、赤子が渡される。

震える指が、慎重に布で包まれた小さな命を受け取る。

男の目には涙が浮かんでいたが、どこか覚悟も生まれていた。

守ると決めた、その瞬間の静かな決意。

白焔はそれを見届けると、背を向けた。

言葉はもう必要なかった。

彼女がなすべきことは、既に済んでいる。

だから今、この場を去るのだ。

誰も追おうとしなかった。

誰も、何も言えなかった。

ただ、白い神の背中に向けられた疑問と感謝の視線だけが残る。

しかし白焔は、それらの思いを受け止めることもなく、

淡々と歩みを進めていく。

白焔は振り返らずに歩き出す。

雪の帳に、その姿が溶けていく。

月明かりの中、白髪が銀に輝き、やがて雪の中に消えていった。

ただ風だけが、彼女の存在を覚えているかのよう。

まるで幻だったのかと疑うほどに、痕跡を残さずに。

----------

この夜、村は救われた。

だが、その名を知る者はいない。

ただ、後に人々は語るようになる。

"あの夜、白い神が現れた"と。

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