後
「僕、勇者になる。勇者になって、魔王を討伐するよ」
トーマにそう告げた途端。彼の瞳から色が消えて、体が崩れ落ちた。両手で体を受け止めると、線の細い身体が小刻みに揺れているのがわかる。泣いているかも、そう思ったが違和感を感じてトーマの顔を覗くと、真っ青な顔で口元を抑えていた。
ひゅっ、ひゅっと空気を吸い込む音に、彼が過呼吸を起こしていると気づいたのは、向かいに座る修道女だ。
「ゆっくり息をしましょう…!私のカウントに合わせて、息を吸い込んでください」
修道女はトーマの膝元に駆け寄り、木箱を叩いてカウントを取りはじめた。
「いち、に、さん、し、ご……では、ゆっくりと息を吐き出します」
息を吸うよりも、長く細く息を吐かせる。カウントが10を越えると、また息を吸うように指示を出す。僕は修道女のカウントに合わせて、トーマの背中を擦るしかできなかった。肉付きの悪い、細い身体。背中を擦る度に感じる背骨の隆起。
この頼りない背中に、何もかも背負わせてしまった。僕と出会ったときトーマは15歳。そして僕も先月15歳を迎えた。15歳で故郷を亡くし、顔見知り程度の子供を育てるってどんなに辛かったんだろう。仕事も町のみんなが嫌がるものばかり引き受けて、僕を育てるためだけにお金を使って。
トーマから奪ってしまった10年を僕は返したい。彼がやりたかったことを応援したい。ちょっと嫌だけど好い人と家族にだってなって欲しい。
修道女が何回かカウントを繰り返すと、トーマの呼吸は落ち着いていった。僕は背中を擦る手を止め、口を開く。
「僕ね、トーマには幸せになって欲しいんだ。僕が勇者になれば毎月給金がでるし、生活も保証される。それにね、僕達別に離ればなれになる訳じゃないんだよ」
定期的にこの町に帰ってくるつもりだし、なんだったらトーマも一緒に王都に行ってもいい。今以上の生活が出来るんだよ。そう諭すように伝えると、トーマは何回か咳き込んだあと、突然笑いだした。
「はっ、俺の幸せ?ルーカスにとって…今までお前と暮らしていた俺は、不幸せに見えていたのか」
「っ違う!トーマとの生活が楽しかったから!だから、もっと幸せになってほしくて、」
「もっとって何?俺の幸せって、俺の受け取りようじゃ駄目なわけ?」
「だ、駄目じゃないけど!でも!絶対今より幸せになると思うから!」
「なんだそれ……いいよもう。ただ、お前が死なないなら、何でもいい」
投げやりともとれるその言葉に少し腹が立った。言い返す前に、トーマは修道女と護衛騎士に深々と頭を下げていた。
「……ルーカスのこと、絶対守ってください。この子はまだ子どもなんです。それを忘れないでください」
「もちろん。神に誓います」
修道女と護衛騎士も是と返すとトーマは僕達を追い払うように手を振った。
「じゃーもう帰った帰った。もう俺は怒鳴りすぎて疲れたから寝るわ。お前も今日はお二人のところに世話になってきな。んで、今後の流れをちゃんと確認してこい」
「……わかった。わかったけど…聞いてきたこと説明するから、その時はちゃんと聞いてよね」
「仕事がなけりゃな」
そう言ってもトーマはいそいそと布団に潜り込む。もう僕達と会話する気もないようだ。仕方ないと修道女と護衛騎士と家を出る瞬間、トーマが何か呟いた気がするけど僕は振り返らなかった。
あの時、なんで振り返らなかったんだろう。
確か、あの時の言葉は「思い出した」だったような。
「思い出した」
ベッドに潜り込んだ途端、頭の中でも何かが弾けた。溢れてくるのは前世の記憶。前世で俺はこの世界を知っていた。この世界はゲームで、ルーカスが主人公のRPGだ。
そりゃ主人公の村は燃えるわ。
家族や村の皆が苦しみながら死んだのは、物語の進行上必要なことで、脚本の上で踊らされているパペットかよ。俺もパペットの内の一つで、この理性や感情も作られたNPCとして作られた物か。急に目の前の世界が色褪せてきた。ベッドの中で乾いた笑いが込み上げる。
「ははっ、無い無い尽くしな人生だったけど、本当に何もなかったわけだ」
無い無い尽くし、もう生きる意味もない。