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アイアンナックル/リマスター  作者: 高柳 総一郎
冷たい悪魔と燃えるようにギグして
53/57

Glücklicher Soldat

 パトカーの耳障りなサイレンを背に、私達は地下鉄サブウェイの駅に逃げ込んだ。

 まるで頭を殴られたような感覚だった。自分で確かに弾いたはずなのに、ライヴを見に行ったような、ステージの上の誰かの演奏を聞いたような。

 とにかく他人事のように感じられたそれは、たしかに現実だった。メトロノームのように、等間隔で息を吸っているのが分かる。苦しい。吸っているのに、吸っていない。空気が入っていくはずなのに、はいっていかない。苦しい。苦しい。

「落ち着け」

 地上の様子を見てきたレフティが、買ってきたサンドイッチの袋を使って、わたしにあてがった。

「何も恐ろしいことはないよ」

 彼女は穏やかに言った。

「彼らには気の毒だった。わたしは死なない。死なないためなら殺せる。だからみな殺した」

 レフティは立ち上がった。私の呼吸はゆっくりと落ち着き始めていた。

「君が病むことは何もない。罪咎を受けることは何も。だからここで……」

 私は彼女のマントの裾を掴む。いかないで、レフティ。私にはあなたが必要なの。涙目のまま、私はそんなことを目で訴えていた。一人でいたら、この恐ろしい妄想に負けてしまいそうだった。

 風と共に、光を載せた地下鉄車両がホームに滑り込む。レフティは私の手を引き、車両に引っ張り込んだ。

「わたしは──そう、わたしは。生きるために殺してきた人間なんだ、多分な。死なないことが誇りだったんだ。泥水をすすっても、生きていればそれで良かった。今ここに来て、私にはそれが正しいことだったのか──いや、そうするだけの理由があったのか、わからない」

 わたしは首を振った。周りの乗客は、奇妙な私達をそのままにしてくれた。それがありがたかった。



 レフティがぶんどった金で、滞納していた家賃をどうにか払うことができた。当然、彼女は行き場がない。私は同居を申し出、彼女はそれを受け入れた。彼女にとって、私の軋んだ古いソファーでも高級ベッドだったらしい。

 彼女は優しかった。喋れなくなったことで就職が絶望的になった私の代わりに、どこからか清掃員の仕事を見つけて来て、自分からやりはじめたのだ。

「家賃分は働かせてもらわないと、気持ちが収まらないからな」

 彼女は眼帯代わりの黒布でなく、白い包帯を左目元に巻き、義腕にもそうした。

「見た目は普通の女さ」

 レフティはそう小さく笑って、青い清掃服を着込んで出かけていった。私も時たま仕事終わりのレフティと一緒に大通り沿いに立ち、ソロ・ギターを披露した。

 あの悪魔の言うとおり、わたしのテクニックは異常なものになっていた。わたしが簡単なコードを爪弾くだけで、沢山の人々が投げ銭をしてくれる。ハンバーガーどころか、血のしたたるステーキを食べられるほどの金が手に入った。

 時たま、ショバ代だのなんだのと、ちょっかいをかける連中もいたが、そういう輩はレフティが一人でのしてくれた。

 わたしは喋れなくても平気だった。レフティは記憶がなくても幸せだった。一週間が経ち、二週間が経った。



 わたしはいつものように練習を続けていた。スライド。グリッサンド。基本の反復。パパの教えだけは、なにがあっても守っている。

 悪魔のギターについても、いくつかわかったことがある。アンプがキモなのだ。ギター・プレイが白熱すると現れるそれは、プレイを続ける限りどんどんとその力を増す。なら、市販のアンプを使えばどうか? 目論見はうまくいった。あれ以来人死にが出たことはない。せいぜい気持ちが入りすぎて気絶した女性がいたくらいだ。

 ただ、当事者だからこそわかる。今度あの悪魔のアンプを出して、全力でプレイを行えば、相手を殺しかねない。

「まだ起きていたのか」

 シャワーを浴びて、そっけのないキャミソールにカーゴパンツという出で立ちのレフティが、湯気を伴って現れる。

 わたしはギターの練習をやめ、頷いた。

「根を詰めすぎるのは良くないぞ」

『わかってる』

 レフティはわたしの唇の動きで、なにを言っているのかわかるのだ、という。なぜできるのか、彼女にはわからないとも。

『優しいんだね、レフティ』

「優しい? 私がか? ……実感が湧かない言葉だ。前までの私は、そういう人間では無かったのかもな」

 レフティは温かいココアを淹れるのがうまかった。もっとも、粉末ココアを淹れるのに上手い下手があるのかは疑問だが、彼女が淹れるそれは普段よりなお美味しい気がした。

『それでもあなたは優しいよ、レフティ。あなたの名前、タトゥーにしてもいいくらい』

「どこに入れるんだ、そんなもの」

『うちふともも』

「水着と永遠におさらばする気か」

『見せるために入れてんだよ』

 私達はそう言い合って笑った。

『レフティは歌わないの?』

「歌? 歌か。よくわからないな。叶うなら君の……いや、すまない。不用意な発言だった」

 レフティ、そんなことは気にしなくていい。私はそう言おうとしたが、彼女の顔はそれ以上に深刻だった。

 歌。歌。歌──。唇が言葉を形作る。何かが彼女の中でうずまく。彼女は頭を振ってその何かを振り払う。うっとおしい蜘蛛の巣を払うように。

『どうしたの、レフティ』

「なんでもない。……なんでもないんだ。君の好きな歌は? 多分私の知らない曲だろうが、興味がある」

 私はYouTubeで、その曲を検索して流した。私たちはソファで並んで座り、その曲を聴いた。懐かしいカントリー・ミュージック。パパが好きだった曲。私の故郷の曲。

『ウェストバージニアはとてもいいところだよ、レフティ。モスマン頼みの観光地しかなくて、すごく田舎だけど。みんな優しくて、ファミリーみたいなんだ』

「ファミリー、か。私にも、そういうものがあったのだろうな」

 私たちは微睡み落ちるまで、好きな歌を聴いた。懐かしい歌を。私の人生を描いてきた歌を。レフティがどう思ったのかは、わからない。彼女は優しい人だ。故郷を──過去を知りたいと願っているのなら、私とずっと一緒のままでいいわけがない。

 願ったのは私だ。彼女を必要だと、ここに、この生活に縛ったのは私だ。

 ファミリー。都合のいい言葉だ。ママは死んだ。パパも。唯一の拠り所だった歌もなくして、私は結局なにかすがるものを欲していたに過ぎない。

 レフティはいつか記憶を取り戻してしまうかもしれない。あの時見たような──生きるためなら誰でも殺せる、レフティではない誰かになってしまうかもしれない。浅い眠りの中で、この街に漂う霧のような靄がかった不安が、私を苛んだ。



 わたしは記憶を持たなかった。

 レフティという名前も、家も居場所も彼女がくれたが、わたしが持っているものはこの鋼鉄の左腕だけだった。

 だからおそらく、このスマートフォンも、そこから得られる情報も、文化も、音楽も──以前のわたしが知っていたかどうかわからない。

 ビル清掃の仕事も、誰かと接する必要もなかったので、気が楽だった。家に帰れば、オリィが待っていて、ギターを弾いて待っている。穏やかで、血の匂いも、鉄や硝煙の香りもしない。

 時々、オールドハイトの中で、サイレンと怒声、なにより銃声と共にそれらが漂ってくると、わたしの中で蓋をされている何かが騒ぎ出すこともあった。それを、わたしは見ないように、感じないようにしていた。

 もうそんなものは必要ない。

 わたしは少なくとも人殺しなのだろう。それはもうわかっている。だがそれをわざわざ繰り返す必要もない。ひっそりと、オリィとともに暮らす。時が経ち、金がそれなりに手に入れば、彼女の故郷──ウェストバージニアに移ってもいい。

 その日わたしは、たまたま違う道を通って、イーストサイドのアパートに向かっていた。清掃の仕事は遅番で、夜の街──消えかけのランプに照らされた、心もとない道を歩いていた。

「こんばんわ」

 緑色のロング・コート。嫌なものを見た。いやが応にも、何週間前かに殺したガスマスク連中のことを思い出す。男はガスマスクをつけてはいなかった。痩せた金髪の男だった。右耳にはピアスが数個。目には隈が入った、どうも疲れた顔の男だった。

「お久しぶりですね。──いや、こうして会うのは初めてでしたね」

「すまないが、人違いじゃないか。失礼する」

「ミリィ・ハーネ少佐。ネオナチ第四帝国元SS特任部隊出身。南米基地で総統閣下付きも経験された。通称、狼の牙。──まさしく第四帝国の最終兵器だ」

「──なんの映画の話だ? 妄想なら家に帰ってしろ」

 通り過ぎようとした矢先、同じコートを着た連中がわたしを取り囲む。二人。三人。あの教会で出会った連中と同じ、黒いガスマスクを身につけて。

「自分は、少佐と仕事をしていました。失礼ながら、どうやら記憶を失われているようですね」

 なんの話だ。そう言い放とうとした矢先、わたしの脳裏に電流が奔る。フラッシュバック。総統閣下(マイン・ヒューラー)。鋼鉄の右腕の女。炎に飲まれたわたし。目覚めたわたし。戦いの果てに得たもの──愛した男。

「……誰だ、お前は。わたしは──お前など知らない。わたしは──」

「あなたはどう足掻いてもミリィ・ハーネです、少佐。そして、あなたにはこのオールドハイトを再び実験場とするために、安全を確保する義務がある。他ならぬ、第四帝国のために」

 わたしは左腕を使おうとした。使うことができた。男の顔をぶち抜いて、オリィの元に走ることができたはずだ。

 だが、脳裏の中の男と─『愛した男』と、目の前のその顔は完全に同じだった。とても引き金など引けなかった。過去のわたしが、今のわたしの手を引っ張り、そうさせなかったのだ。

「そうか、そういうことか──。わたしはお前たちの元から何らかの理由で離脱した。お前たちは、わたしを放っておくことができないということか?」

「肯定です(ヤー)、少佐。戦術人形タクティク・プッペとの戦いの中で、記憶が目覚めることを期待していたのですが、効率が悪そうでしたので、こうして自分が。尤も、貴女の居場所を突き止めるのは中々に骨が折れましたが──」

「誰だが知らないが、わたしに関わるな。わたしには新しい生活がある。……君とわたしには色々因縁があったようだが、今は違う。兵を引け。わたしに腕を使わせるな」

 彼は小さく笑いながら、手を広げて言った。

「貴女は取り囲んでいる人形共とはわけが違う。はっきり言って、帝国は貴女を当てにしているのです」

「結構だ。他を当たるんだな、『ミッターマイヤー』」

 わたしは、口をついて出たその名前に面食らいながらも、その場を去ることにした。不思議なことに、彼やその部下達は追いかけてこなかった。

 わからない。わからないことが多すぎる。

 だが一つだけ確かなこともある。

 わたしは今の生活が好きだ。オリィのギターや、好きな歌を聴くことが好きだ。

 わけのわからないSFファンの与太話に、付き合ってなどいられない──。

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