"How does it feel?"
わたしは彼女をレフティと呼ぶことにした。そう思っているだけで、声に出すことはできないが、彼女はレフティだ。
気がついたらオールドハイトにいたという彼女は、これまで何をしていたのか、自分が何者だったのか、アンプに繋ぐプラグみたいに抜け落ちていると言った。
「つまりは名無し(アノニム)というわけだ、わたしは。左腕がこんな風になっている以外は──いや、顔も結構な醜さだが──普通の人間、のはずだ」
レフティは慣れた手付きで男たちの財布を漁ると、ドル札だけ適当に抜き出して捨てた。
「君はここらの人か? なら、どこでも構わないからカフェに案内してくれないか。このとおり、金ならある」
金が勿体無いということもあり、中央区、セント・マリア・カテドラルの側にあるダイナー『レッドドラッカー』まで歩いてきた。
ここのウエイトレスに知り合いがいる。窓の側に座っている黒人のフィンさんに軽く手を振ってから、わたしとレフティはボックス席についた。
「オリィ、何? しばらく見ないと思ったら、フランケンシュタインのカレシでもできたの」
コーヒーポットを手に、いつもの毒舌を吐きに来たウエイトレスに──名はニッキー──わたしは首を振った。ほんとなら、彼女に軽口でも叩いてしかるべきなのに、それもできなくなったことに悲しくなった。
わたしはギターケースを置いてから、ナプキンにアンケート記入用のペンで答えた。
『喉を怪我して喋れなくなった。コーヒー二つ。あとカレシじゃない』
彼女はナプキンを寝不足気味の隈だらけの目でじろじろ見てから言った。
「あっそ、お気の毒。ならチップは当分結構、友達だしね。でもコーヒー代は据え置きだから」
サムズアップで答えると、レフティはナプキンを拾い上げてわたしと交互に見ていた。
「……そうか、君は喋れないのか。さっきから妙に静かだと思ったが。面倒かもしれないが、質問に答えてほしい。YESなら右手、NOなら左手を上げてくれ。複雑な質問はナプキンに書いてくれればいい」
レフティの質問は妙だった。ここはどこだ、という定番?な質問から、今は何年の何月だ、という映画みたいな質問まで色々だった。
彼女は継ぎ目の部分をなぞりながら、ふうむと唸っている。コーヒーにも手を付けずにだ。
わたしは久々にコーヒーを口に入れて、喉の痛みを感じていた。もう動かない喉を焼く。リストカットにも似た自傷行為で、わたしは生きていることを感じ取っていた。
「やはりわからない。だが、違和感だけがある」
違和感? わたしは首をひねった。
「ああ。私もそういう他ない。何がどう違和感なのか、うまく言えないが」
青い瞳の輝きだけが彼女なのだろう、と思った。わたしもそうだった。ギターを引いて、歌を歌う。それだけがわたしだった。
自分を失う。記憶はその人のあり方だ。わたしより、遥かに不安で辛いはずだ。だがレフティはそんな感情を微塵にも感じさせなかった。強い人だ。わたしはそう思った。
「どーでもいいんだけどさ。コーヒーだけで粘り続けんのだけはやめてよ。シフト上がるとき、店閉めなくちゃいけないんだから」
ウェイトレスはぶっきらぼうにそう言った。もう既に夜11時。フィンは小説を閉じ、会計を済ませていた。わたしたちももう出なくては。
しかし、どこに?
「……わたしはこのとおり何もわからない。野宿しようとしてた人間だぞ」
とはいえ、わたしのアパートはもう追い出されてしまっているかもしれない。
レフティとわたしは、通りに出たところで途方に暮れてしまっていた。だが、どこの世界にも救いはあった。レフティは、どうやらそう信じているようだった。
「世界共通で、教会というものは我らを助けたもうものだ。とにかく、一晩屋根を借りよう」
薄暗い大聖堂、オールドハイト・セントマリア・カテドラル。人の気配は無く、ただただ厳かなステンドグラスが月の光を得て輝いているばかりだ。
「冷えるぞ。マントの中に入るといい」
身を寄せ合って、ベンチに座る。レフティは見た目より暖かかった。心も体も。それがまた自分の惨めさを増幅させた。彼女のような人間に甘えているわたし。おかしなギターを手に入れたのはいいが、明日からどうしよう。なにせ、すべてを失ってしまったのだから。
「君はおかしな人だ」
どうして?
「……普通は、この継ぎだらけの顔を見たら、恐ろしい、化物だ、と逃げ出すものだ。ましてや左腕が機械で銃になる女だ。オールドハイトの人間が特別慣れているというわけでもないだろうに」
そんなことない。
首を振るのが精一杯だった。レフティ、あなたはこんな温かい人間なのに。そう言葉にできたら、どれだけ彼女は救われるだろう?
わたしはもはやそんな言葉すら紡ぐことができないのだ。音楽は人の心を震わせる。それは、言葉を、想いを、まるでプレゼントボックスに詰め込んで渡すように、相手に届けることができるからだ。
声を失ったわたしが、そんなことできるだろうか。
『できるさ、レディ。君にはギターがあるじゃないか』
暗黒の世界に、銀色の男が浮かんでいた。アイバニーズの白いギター。長い指でコードを押さえて、ユニコーンがいななくようなサウンド。
これは夢か、幻か?
『なんだっていいさ。……しかし君には使命がある。このギターを持つものの使命がね。この街は、どうやら私にとっても君にとっても住みやすいようだ』
『どういうこと?』
『魂は物質だ。震わせればその分削れる。私はそれを吸って生きている。コウモリの一種は花の蜜を吸うのだよ。知っていたかね?』
『魂を丸かじりにはしないってことね』
『私はそういう肉食なのは好まない。自然派の悪魔なのさ。ま、どちらにせよ腹は減るのでね。背に腹はなんとやら、と人間の世界では言う。最悪、君の魂を削ってなんとかするさ』
『なんですって』
ディストーションを効かせたギター・サウンドが、まるで私の唇に指を押し当てるように響いた。
悪魔は口元を歪ませて笑った。
『君は世界一のプレイヤーになれる。ならば多くの人の魂を震わせるだろう? そのために私のギターもある。レディ、何も恐れることはない。練習するといい、毎日ね……』
まどろむ夢の奥に、銀色の悪魔が馬の嘶きと共に消えていく。ギターの音が遠ざかって、やがて消えた。
朝日がステンドグラスを通して輝いている。静かに、厳かに。
私はなんだか浅い眠りのまま起きて、いつのまにか白いギターの弦を弾いていた。アンプに繋がねば音は出ない。だが、指使いは練習できる。スライド。グリッサンド。
『指で確実に弦を押さえ、楽譜通りにスライドさせる。開始地点も目標地点も作らないならグリッサンド。指の力の使い方は、練習して身につく。当たり前のことだが、おろそかにしてはいけない。だから、毎日やりなさい』
パパはそう言っていた。当たり前のことだから、おろそかにしてはいけない。その約束は守っている。
「……オリィ。身を低くしていてくれ」
突然、レフティが言った。いつのまにか、彼女は起きていたのだった。
「頭を上げるな。ベンチの下に。私が声をかけるまで、隠れていろ」
二階から足音。布がこすれる音。鉄の部品が当たる音。奇妙な雰囲気だった。やがてレフティは立ち上がると、大きな声で叫んだ。
「誰か私の名前を知る者はいるか!」
誰も答えない。
「結構だ。お前たちが誰だか知らないが、私も自分のことを知らない。私は脱走者か? お前たちの仲間だったのか? なぜ逃げ出した? 私の目的は?」
誰も答えない。ただ、何人かの異様な──緑色のロング・トレンチコートに身を包み、同じ色のガスマスクを顔につけた人々が、四方八方から、銃らしきものを突き出しているのがわかる。
「──そうか。ますます結構。君らは私を始末する。それで利を得るわけか?」
レフティはそう吐き捨てて──走った。左手で頭を防ぎながら、マズルフラッシュの中を、爆ぜる床板の中を走った!
左腕を射出し、二階の柱を握ると、勢いよくウインチが作動し、レフティの体を軽々と運ぶ。そのまま、ガスマスクの一人、その顎に蹴りを入れる。左手をはなし、その背中に着地。おまけにストンピングしながら、左手を肘から逆方向に折る。
断面部から伸びたのは、穴ボコだらけのバレル。銃口から拡散するようにスラグ弾がぶち込まれ、ガスマスクが二人死亡!
彼らが落としたライフルを拾い上げると、その直後下から掃射が開始される。古い聖堂だ、手すりは石と木で出来ている。遮蔽から銃だけ出して撃ちまくる。薬莢が耳障りな音を立ててダンス。
CLICK!
弾切れ。ライフルを投げ捨て、再び左手を戻し射出。今度はガスマスク、その首に向けて直接掌を飛ばすと、手すりを支店にウインチを起動させ、強引に首を吊りに行く!
むちゃくちゃにナイフをふるい、ワイヤーを切ろうとするガスマスクであったが、強靭らしく抵抗も虚しく首を折られ死亡!
首のへし折れる鈍い音と、ワイヤーと手すりがこすれる音が不気味によく響く!
思わずわたしは目を背けた。殺している。殺される。恐怖から、私はギターを抱きかかえ、ネックを強く握った。
激しいドラムソロのように、ライフルの銃声が叩き込まれる。
レフティが、殺される。
たった一日過ごしただけの彼女だ。だが、彼女はわたしを助けてくれた。お礼だって満足に言えていない。
いやだ。そんなのはいやだ。
いくら声が出なくなったとしても、ありがとうさえ言えずにお別れするのは嫌だ。
パパのように幸せを届けられるミュージシャンになるために、勇気を出さなくてはいけない。それは今なのだ。
わたしはいつの間にか、ベンチの下から這い出て弦を弾いた。出るはずのない音が──まるで当たり前のようにそこにあったアンプから、歪んだ、重厚なサウンドが大聖堂を揺らす。
石畳の床を、柱を、青白い電流が迸り、ガスマスク達の体を這い──耳から侵入していく──彼らの体がバチバチと大きな音を立て灼ける!
直後、レフティが顔を出し、様子を伺っているのが見えた。わたしは反射的に首を振った。
演奏が止められないのだ。
激しく馬が嘶くようなこの曲が終わらせられない。まるで自分ではない誰かが操っているかのように。
「オリィ! ……もういい! 終わったんだ!」
レフティがネックごとわたしの手を止めるまで、わたしは演奏を続けていた。アンプは消え失せて、教会の中には死体だけが転がっていた。
身体が火照るように熱い。
なにより恐ろしかったのは、異常に気分が高揚して──『元気になった』のだ。まるで、車にガソリンを入れたように、身体にエネルギーが流し込まれたのがわかる。
悪魔が言った。魂を震わせて、削り取ると。それが、ほんの一部だなんて彼は言っていない。
わたしは悪魔から、魂をまるごと削り取るほどのギター・テクニックを与えられたのだ──。




