超野獣的反射神経
「それで? どうすんのさ。ここ屋上はなさそうだよ。隣のアパートとは隣接してる。両方ともね。おのおばあさん、おっかないんでしょ」
ぶっ壊す、それ自体は簡単だ。床に拳を叩きつけて、できた穴からするりと抜ける。壁でもいいが、そこから紐なしバンジーはいただけない。隣のアパートの部屋へ抜けていくのは、今よくてもあの婆様が良い顔をしないだろう。
「……じゃ、アパート壊すのはヤメだ。堂々と玄関から出てくとしよう。P.T.みたいに」
「ゴキブリまみれになるよりかはマシかも。頼んだよノーマン」
「ところでアタシは『処刑人』は微妙だと思ってる」
思ったことを思ったときに言う。葉巻の紫煙の吸い方と同じだ。鉄腕の言葉に、クリスはひどく気分を害したようだった。
「なんでそういうこと言うかな? エル・ドゥーチェとか最高じゃない」
「別に単体として見る分には構わねえ。ただ、このあと2が構えてるのがイヤだ」
「見なきゃいいじゃん」
「見ないさ」
階段に足をかけようとしたその時だった。一階で窓が割れる音。鉄腕はクリスの目を塞ぐように手を差し出すと、人差し指を唇に当てた。
わずかに圧縮空気が漏れる音。破裂音。階下から漏れる閃光。フラッシュバン。しかし一体誰が?
「クリス、気が変わった。何か変だ。すぐに降りないほうがいい」
「まさか特殊部隊が突入してきたんじゃないだろうね」
「参ったな、いつからOutlastになったんだ」
彼女があたりを見回すと、衣装用のキャビネットは山ほどあった。中身は詰まっているかもしれないが、クリスなら入れるはずだ。
「クリス、十分待ってアタシが戻らなかったら」
鉄腕は彼女を、赤いワンピースと瀟洒なドレスの間に押し込めながら言った。
「逃げろって? 一人で飛び降りるのは嫌だよ」
クリスがその言葉に込めた感情は多かった。皮肉。孤独。本音。クールに見える彼女も、まだまだ子供に違いなかった。鉄腕は笑って言った。
「なら心中だな。一緒に死んでくれ」
「考えとくよ。……頑張ってね」
同時刻。
ノースロード12番街5、アパートメント周辺。川沿いのアパートメントへ続く通路を塞ぐように、トレーラーが滑り込む。コンテナが静かに翼を広げるように開くと、黒づくめのボディアーマーを着込んだ兵士達──肩には、SOHKSのロゴ入りのワッペンを付けている──がアサルトライフルP90を携え、周囲を確認する。
「お役目ご苦労様」
少年のような高い声だった。ハンチング帽を目深に被った、毛先のくるりと回った背の低い青年。彼が押しているのは、車椅子であった。当然誰か座っている。
ひどい有様だ、と言っても良かった。白衣を着た骨と皮だけのミイラと断じても、誰も異議は唱えぬだろう。俯いた遺体のようなそれは、辛うじて腰まで届くくらいの灰色の髪を、ほつれかけのロープのような三つ編みにしていて、スカートに足元は黒いヒールであったことから、辛うじて女であることがわかる。
「なに? ヒカルちゃん」
青年はおもむろに耳を『彼女』へ近づけると、なにやらさかんに頷いた。彼は死体と話ができるシャーマンではない。そう言ったからかいは死を招く。SOHKSの実行部隊(フィールドワーク担当)『シートン』には、組織の幹部であり、頭脳であるBIG5に対する最大限の敬意と理解がいつでも求められるのだ。
「……邪魔者がいる? 困ったな。任務に支障が出る」
「排除いたしますか、ジョウ」
ジョウと呼ばれた青年は、糸目を隊員に向けると、なんとも感情の読みづらい表情で微笑んだ。
「知ってのとおりだけど、大騒ぎはともかくターゲット死亡は避けたい。GRUによるオールドハイトへの攻勢はもう始まってる。これ以上制御不能のイレギュラーを増やすことも、現地でのやつらの戦力増強も避けたい。……この街にはそろそろタガというものがなくてはね」
「では」
「最悪、ヒカルちゃんにも頑張ってもらうことになる。君たちは無理せずにターゲットの無力化に努力すること。ただ、殺す気でかからないと殺されるかもよ。相手は精神的に不安定なシリアルキラーだ。手加減ができるとも思えない」
「了解」
隊員達に動揺の色はない。SOHKSによるフィールドワークは、ともすれば科学的解明が困難な、不可解な超常現象に立ち向かうこともある。通常の人間が習得しうる戦技ならば、理解できる。彼らが恐怖するのは、全く解明ができない理解不能な事態だけだ。
「では当初の打ち合わせどおり、十五分以内にターゲットを制圧すること。HQ(本部)への定期報告は五分ごと。定期報告が途絶えた時点で、ヒカルちゃんと僕が突入する。生きて帰ってね、報告が面倒になるから」
レイラは泣いていた。涙が止まらなかった。何が正しいのか、自分そのものが間違っているのか、答えは出なかった。安息の地である三階のベッドは遠い。あのよくわからぬ訪問者を追い出せばたどり着けるが、それにはあの女を殺さねばなるまい。
前回業者が来たときは、病院送りで済んだ。レイラの修めた戦技『ゼロ・レンジ・コンバット』は、肩甲骨の可動域を増やし、回転させ、繰り出す攻撃の射戦を自在に操ることにその極意がある。さらに言えば、そこに『体を鍛える』という思想は入らない。
骨を折ることは簡単だが、それで人を殺すとなればそれこそ多少骨が折れる。追っ払うのが無理な時殺す。この間出くわした強盗は、買い物を済ませて多少ハイになっていたのがまずかった。二人くらい殺してしまった。
別にそれ自体はいいのだが、自分の支配領域であるこのアパートで人死にをだすのは避けたかった。保管している衣服に血が飛ぶことなど考えられない。
彼女は一階のゴミだらけのキッチンで、電子レンジの中をじっと見つめながら、そんなことを考えていた。
電子レンジが、中のインスタント・トマトボロネーゼを調理していることを空気を震わせながら知らせている。戦うなら食えるときに食わねばならぬ。彼女はカランビットナイフを左手に握り込むと、右手のフォークでパスタの完成を待っていた。その時である。
窓ガラスが突如割られ、何かが転がってきたのだ。とっさに机を倒して陰に隠れる。閃光。爆音。先程の女が使ったものより強い。布ずれやガラスを踏みしめる音が響く。レイラは机の影から飛び出すと、持っていたフォークを投擲。ボディ・アーマーの間、首を直撃し即死! それに気づいた別の隊員が、P90のトリガーを引いた! レイラは肩甲骨を回転させ、骨を軋ませた。まるで波がたゆたうように、体をゆらし斜線から逃れる。当たらない。隊員との距離はわずか2メートルであるにも関わらずだ。
「撃て!」
他の隊員も気づいたのかレイラに銃口を向け、トリガーを引く。マズルフラッシュが起こらない。崩折れている隊員を盾のように立たせると、銃弾をやり過ごす。貫通もない。強化ゴム弾と当たりをつけると、死体を押し出し弾かれたように飛び出してゆく。手を、肩甲骨を回転させてゆく度に、力と、自らに対する自信と、高揚感と自己肯定感が満ちてゆく。そう、今の彼女は『正しい』のだ。正しいければ、何をしても咎められぬことはない。
カランビットナイフを握り込み、隊員を討ち果たす度に高揚感は増してゆく。あっという間に三人の首へ丁寧に刃を突き入れ、手で抑えてから刃を抜き、次の標的へ。血は可能な限り飛ばさない。残された隊員二人は、P90から手を離すと、一人はサブアームのブローニング・ハイパワーを抜いた。もう一人はコンバットナイフを抜き、構える。
まずはナイフ使いだ。短く息を切りながら鋭い突きを繰り出してきたが、あくびが出るような動きだった。カランビットで相手のナイフを刈り取ると、そのままウェイブの力を伝えながら相手の体ごと回転させ引き寄せ、やはり首を掻き切る。バラクラバの目元に血が飛び、ひるんだところに、奪い取ったコンバットナイフを投げつけ刺殺!
膝から崩れ落ちた隊員を見て、ようやく彼女は電子レンジがその調理を終えたことに気づいた。最初に死んだ隊員の首に突き刺さっているフォークを、ぶつりと引き抜き、太ももに挟んで雑に血を拭う。ボロネーゼのトマトソースに構いもせず、乱暴にフォークでそれを口に運んだ。床は血染めになったが仕方がない。ここはキッチンだから、大事にしている服は保管してない。だから構わない。ダイニング・テーブルに一人腰掛け、マナーなどかけらも気に留めずに口へと運ぶ。戦わねばならない。自分がこうしていることが正しいと証明するために。
しかし、この特殊部隊のような連中はどういうことなのだろう。レイラはわずかに眉を持ち上げたが、引き続きパスタを口へと運び続けた。
五分経った。
連絡はなく、応答もまたなかった。数メートル先のトレーラーの中、バイタルチェック用の端末を確認しながら、ジョウは嘆息した。科学的秘密結社SOHKSは、あまねく世界を科学により完全支配するため活動する組織だ。すべての科学技術はSOHKSが管理せねばならないし、彼らが知らぬ技術があってはならない。目的のためには力がいる。当然の帰結だ。今回のミッションは、来たるべき彼らとは袂を分かつ組織──GRU特務研究部局との決戦のため、レイラという女をSOHKSへリクルートするのが目的だった。
しかしこのオールドハイトという土地に住む、超常ともいえる能力を持つアウトロー達は一様に扱いにくい。単純なスカウトではなく、無力化の後洗脳や改造など、強行手段に出ることもある。今回のケースがそれだった。
「シートンの無駄遣いや」
車椅子のミイラが、突然弱々しい声を発した。ジョウは別段驚きもせず、彼女の目の前にひざまずくと、尋ねた。
「……やっぱり、自分でやる?」
ミイラはやはり弱々しく頷いた。ジョウはハンチング帽を取ると、ため息をひとつついた。こうなると、この女は頑固だ。絶対に譲らない。
「わかった。ヒカルちゃん──いや、黒 北光老師。BIG5もここまでくると、ずいぶんと現場主義だよね」
ジョウは上着を脱ぎ、ズボンも下着も脱ぎ捨て、生まれたままの姿になると、ヒカルと呼ばれたミイラの頬に手を当て、優しく口づけた。
すると、ジョウの手が、唇が、まるで泥に指を突っ込むようにずぶずぶと埋もれてゆくではないか。彼が身を預けると、服を透過し、身体ごと埋もれていく。そのたびに、ヒカルの体に肉が付き、肌の色が戻る。やがてジョウの姿が完全に無くなると、ミイラはそこから消え去り、一人の女が立ち上がってそこに出現した。
「しゃあないやろ、ウチはお前と二人で一人やからな」
訛りの強い女だった。勝ち気そうな釣り目。名前どおりの黒髪は美しく蘇り、長い三つ編みは工芸品のよう。白衣の下は縦ストライプの灰色のノースリーブ、赤いチューブスカートから伸びる足も、とても先程までミイラだったようには思えない。ただ、胸は控えめであった。
彼女は座っていた車椅子の収納ポケットを漁ると、腰の位置に、まるでポーチのような大きさのバックルがついたベルトを巻いた。赤と緑の大きなランプが付き、バックルの上部には巨大なトグルスイッチが飛び出している。これが彼女の──SOHKS・BIG5の一人にして、超バイオ再生工学の第一人者──黒老師の切り札だった。
「ま、ええわ。リクルートがでけへんなら、イレギュラーを消してしまうまでや」
そう呟くと、彼女はトグルスイッチを倒す。緑のランプが灯り、彼女は両拳を握り、力を込めながらつぶやいた。
「……変身」
ノースロード12番街5を、眩い閃光が包んだ。




