壱
「その情報は本当なのね?」
シンと静まり返ったホテルの一室。バスローブを羽織った、若く見積もっても四十代ほどの女が、興奮を抑えるように電話先の男に聞き返していた。
「ああ本当だ。あの事件の犯人は……」
「もしそれが本当だとしたら、これを記事にすれば」
女は口角を上げる。
「ああ、警察も気づいていないことだ」
「だけどまさかそんなことがあったなんてね。犯人は自分のことしか考えていなかったのかしら?」
女がそうたずねると、電話先の男は少しためらいながら、
「ああ、あんな事件が起きたというのに、捕まらなかったんだからな。まさに死人に口なしだ」
と言った。
「それじゃぁ、今度その旅館に行くわ。真相を直接本人に確かめてみる」
「そうかい。あ、情報料はいつものとこに送ってくれ」
そう言われ、女は了解したと告げるや、電話を切った。
そして、すこし間を置いて、
「やっと、やっと特ダネを手に入れたわ」
と、つぶやいた。
女は、バスローブから下着、ワイシャツ、スーツへと着替え、部屋を後にする。
ロビーの受付でチェックアウトを済ませると、駐車場に停めていた赤の軽に乗ると、そのまま中央自動車道の八王子から、圏央道で埼玉の鶴ケ丘、関越自動車道で群馬の藤岡JCTを通って行き、上信越道を通って長野へと向かった。
長野に着いたのは、ちょうど夜中の四時になるころだった。
その時、強い雨が降り出し、速度制限を促すの電子掲示板が女の目に入った。
高速から一般道に入ると、女は近くの道が空いた路端に停め、シガーライターでタバコに火を点け一服する。
そして、携帯を取り出すと、
「もしもし編集長? 済みません朝方なのに――。はい、いい情報を手に入れましたのでその確認をしに今長野まで来ているんですよ」
女はゆっくりとそう言う。
「分かっています。もし知らずに匿っていたとしても十分スクープとしては事足りると思いますよ」
女は携帯に耳を傾けたまま、車を発信させた。
数キロほど走り、十字路に入ろうとした時だった。
そこから曲がろうとした時、ドンッと車のボンネットになにかが跳ねる音がし、女は急ブレーキを踏んだ。
周りに不快感を与えるブレーキの音が響き渡る。
「しまっ?」
女は誰か轢いたんじゃないかと、青褪めた表情を浮かべながら、窓越しにサイドミラーを見る。
――あれ?
そこには、アスファルトの、濃い鼠色しか広がっておらず、赫々とした血の色はどこにも見当たらない。
女は車から降り、周囲を見渡したが、人も動物の気配も姿も見つからない。ましてや物体すらなかった。
気のせいか。と女は頭を振るうと、車に戻り、目的の旅館へと向かった。
……うしろに、額から血を流した少女に気付かず――。
福嗣町中央に位置する稲妻神社で、ちいさな夏祭りが開かれていた。
雲ひとつない月夜の下、祭囃しが鳴り響き、子どもたちや、子供連れの大人たちで賑わっている。
会場の中央に位置するちいさなテントのところに、葉月は立っており、夜店で買い物をした際にもらった福引券で、ガラガラと回すタイプの福引きをしていた時である。
葉月は、景品一覧に目をやる。特にほしいものがあったわけではないが、せっかくもらったのだから使わないともったいないと思い、こうして参加していた。
――どうせならお菓子がいいなぁ。
そう思いながらハンドルを持ち、ちいさく息を吐くと、ゆっくりハンドルを回した。
コロンと、排出口から出てきた小さな玉は金色。
「大当たりィィいいいいいいいっ! 長野県温泉旅館一泊二日の旅ご招待ぃいいいいいっ!」
富くじ屋の男が、ハンドベルを激しく鳴らす。
「ふぇっ?」
葉月は唖然とした表情で、なにがなんなのか分かっていない。
葉月の運の良さはいいのか悪いのか、いい方向ではあるが、まさか一番いいものが来るとは思ってもいなかった。
以前実家であるここ稲妻神社の御神籤でも、ほとんど大吉しか取った記憶しかないことは明記しているが、当然大吉がいいとは思ったことがなく、たいてい出てくる御神籤の結果が大吉なのである。
「ほい、お嬢ちゃん」
男が招待券の入った白い封筒を葉月に手渡す。
「は、はぁ……」
葉月は、これって運がいいのかな? と思いながら、母屋へと消えていった。
居間に入ると、すでに拓蔵たちが夜店で買っておいた焼きそばやたこ焼きなどで杯を交わしていた。
「お帰りなさい、葉月」
いつもと違い、浴衣姿の瑠璃にそう言われ、葉月は返事を返す。
「あ、そうだ」
福引きのことを思い出し、葉月は瑠璃に封筒を渡した。
「福引で当たった」
「温泉旅行のチケットですか」
瑠璃は封筒の中身を取り出し、確認するや――。
『耶麻神幻奏館』
旅館先を読むや、
「大聖さんとこの旅館か」
「ええ。たしか娘さんがその旅館で女将の修行をしていたはずですね」
「知ってるの?」
「昔、チョロっとな」
拓蔵はそう言いながら、お酒を一口飲む。
「しっかし、運が悪いのう」
瑠璃にチケットを見せてもらっていた拓蔵が、残念だと言わんばかりの表情を浮かべる。
「どうかしたの?」
葉月が首をかしげる。
「これ、来週の週末なんですよ」
「それが、どうかした?」
「いや、その日は大事な用事があってな」
「瑠璃さんも?」
葉月にそう聞かれ、瑠璃はうなずく。
「お父さんも、その日は仕事でな」
「お、お母さんも……ね」
両親も大事な用事があり、
「これ、誰かにやろうかなぁ」
と、葉月は考えていたことをつぶやく。
実を言うと、葉月自身も来週の週末は、浜路や美耶と一緒に遊ぶ約束をしていた。
「ただいまぁ」
玄関から皐月の声が聞こえ、しばらくすると居間の障子戸が開いた。
「お帰りお姉ちゃん。そうだ来週の週末ってなにか用事とかある?」
帰って早々そう聞かれ、皐月は首をかしげる。
「なにかあったの?」
皐月は瑠璃の方を見ながらたずねた。
「神社で祭がやっているのは知ってますね?」
「はい。中学の時の同級生とか、結構見ましたけど」
「実はその時、葉月が福引きで温泉旅行のチケットを当ててきたんですよ」
皐月は葉月を見やる。
「当てる気だった?」
そう聞かれ、葉月は首を振る。
「無意識に当ててしまったということか」
「それでどうなんですか? できればあなたや忠治くんに行かせようとは思ったのですが」
「忠治さんは多分ダメだと思う。警察だから長期の休みは取れないのは目に見えてるし」
「そもそも、恋人と認めたとはいえ、花も恥じらう少女が男とふたりきりで旅行なんぞ――」
拓蔵がそう言った時だった。
「皐月、信乃と、この前来た希望の予定はどうなんじゃ?」
「信乃とノンノ? どうだろう? 週末は特に部活があるってわけでもないし」
皐月は首をかしげる。
「実はな、その旅館の前社長とは知り合いだったんでな、すこしばかり顔が利くんじゃよ」
そう言うやいなや、拓蔵はスッと立ち上がるや、廊下へと出た。
「とりあえず、信乃たちに聞いてみよう。これでダメだったら、チケットは他の人に譲るってことにする?」
皐月にそう聞かれ、葉月はちいさくうなずいた。
ジャケットから携帯を取り出し、メールに来週暇かどうかの確認メールを、信乃と希望にグループ送信した。
送って直ぐ、二人からメールが届く。
『これといって用事はないけど、通行費は出るんでしょうね?』
という信乃のメールを見て、
「言われてみればそうだ。ここから長野ってどれくらいかかるんだっけ?」
「新幹線なら、大体自由席で三五七〇円ですね」
「ということは、往復と人数分をかけると……、大体二一四二〇円かぁ」
そんな大金持ってないしなぁと、皐月はちいさくためいきを吐いた時だった。
「ほい。それじゃぁそっちのほうでよろしく頼みます」
拓蔵がどこかに電話しているのが瑠璃の耳に入る。
「皐月、あちらさんが新幹線のチケットを送ってくれるそうじゃ。往復三人分でな」
居間に戻ってきた拓蔵がそう言うや、皐月は驚いた表情で、
「い、いくらなんでもそれはないでしょ? 爺様、なにかした?」
とたずねた。
「これでも顔が利くと言ったじゃろ?」
拓蔵はカカカと、胸を張るように笑った。
そんな拓蔵を瑠璃は、ちいさくあきれた表情で見ると、健介に向かって、申し訳ないと云った顔で見やった。
健介はなんのことかと首をかしげたが、自分がF1レーサーだった頃に稼いだ賞金を、拓蔵が今の今まで、本当に必要な時以外には手付かずだったことを思い出すと、了解したと答えるようにうなずいて見せた。
お久しぶりです。不定期ですが続けることにしました。




