漆
「うん。いい曲だ」
ヘッドホンを耳にかけながら、寝転がって音楽を聞いている鳥山は、寄り添っているアキの髪の毛を優しく撫でる。
「曲の収録で疲れているんだろ? シャワーを浴びてきたらどうだ?」
「まだこうしてる。今日は朝までたけしさんと一緒にいるって決めてるから」
アキはゆっくりと唇を、鳥山の頬に当てる。
「まったく困ったお姫さまだ」
お返しと言わんばかりに、鳥山もアキの頬に唇を当てた。
「迷惑かな?」
アキは心配そうな目で、鳥山を見ながらたずねた。
「君は、君の意思でわたしといるんだ。迷惑じゃないよ」
鳥山はゆっくりと身体を起こす。
「夕食は済ませたのかい?」
「はい。ここに来る前にすこし」
「飲み物くらいは欲しいだろ。ジュースくらいしかないけど」
「だったら、あの可愛いシャンパン飲んでみたいな」
アキがからかうような表情で、鳥山に言った。
鳥山はすこし考えてから、アキの額に、軽くデコピンをする。
「あいたっ!」
「君はまだ中学生だろ? いくらアルコールが弱いシャンパンとはいえ、未成年の飲酒は駄目だ」
アキは頬を膨らませ、
「ケチッ!」
と言った。
「ケチで結構。私は警察の人間だ」
――その警察の人が、中学生と付き合っている事のほうが問題な気がするけど。
アキはそう思ったが、それを選んだのは自分も同じこと。
「たけしさん、ひとつ聞いていい?」
「なんだ?」
「もしさ、わたしがテレビとかに出れるくらいのアイドルじゃなくても、付き合ってた?」
アキは真剣な表情で鳥山を見つめる。
「付き合っていたさ。わたしは君が好きで付き合っているんだ。アイドルとしての三橋章ではなく、一人の少女である三橋アキにね」
鳥山はそう言うと、アキの肩を抱きしめ、唇を重ねた。
「んっ……」
アキは、吐息をあげ、鳥山に身を委ねる。
そして、それこそ自然な流れのように、鳥山はアキをペッドへと倒した。
「それから何回もヤッて、汗をかいたわたしはシャワーを浴びていましたから、三〇分くらいたけしさんを見ていません」
アキがそう説明すると、聞いていた皐月たちは目を点にしていた。
「いや、我々はあなたが気付かない隙があったんじゃないかと聞いたんですけど」
阿弥陀が焦った表情で言う。
「ていうか、そんなところまでヤッてたの?」
燈愛も驚いた表情を浮かべている。
「わたしは、彼が好きだったから。デビューする前からずっとわたしを見ていてくれていたから――だから、そういう関係になっていたのも、自然な流れだったんだと思います」
「自然な流れか……」
皐月は、大宮を一瞥する。大宮も皐月を一瞥していた。
「じゃが、あいつには奥さんがいたはずじゃよ?」
「わたしと出会う頃にはすでに終わっていたそうです」
拓蔵はそれを聞くと、頭をかく。
「でも、お互い了解の上でヤっていたわけだから、文句は言えないね」
希望の言葉に、皐月と信乃もうなずく。
「三人はアキさんのヤッたことに賛成なんですか?」
「間違ってるって言ったら間違ってるんだろうけど、でも……」
皐月は顔を俯かせる。
そんな皐月にあきれたのか、
「アキさんはまだいいわよ。自分の気持ちをしっかり持っているんだから。この子なんて、そこの刑事さんと出会ってから二年は経っているのに、未だに恋人としてのキスにもあたふたするくらい初心で奥手なんだから」
信乃が皐月の肩を叩き、大宮を見やる。
「し、信乃ぉっ! 今はそういう話はいいでしょ?」
皐月は顔を赤くしながら、信乃を睨む。
「燈愛といったかな?」
拓蔵は燈愛を見る。
「あんたがスタジオで見たという桑島希子とマスコミ記者の男。もしかしなくても繋がっておるかもしれんぞ」
「たしかにそう考えるのが自然だろうね。だって芸能事務所とマスコミなんていい関係ができるとは思えないし、何よりそのマスコミ記者の人って、アキさんの熱愛報道で金をせしめようとしていたんでしょ?」
皐月がアキにそうたずねる。アキはちいさくうなずいた。
「事務所の社長が、今回の報道についてそれ以上書かないようにと田山さんに言ったそうですが、詳しいことまでは聞いていないんです」
それを聞くと、皐月はすこし考え、
「もしかして、アキさんがシャワーを浴びていた間、鳥山さんは桑島って人と会っていたんじゃ?」
「多分そうだろうね。シャワーを浴びていたのはせいぜい十分くらいだ。窓側は道路だったし、電気を点けていたとしたら、二人が中にいることも分かる」
「忠治さんたちが現場に来た時は部屋は暗かったんですよね? アキさんが部屋を出たのだって、東京タワーが再点灯する時間だったわけだから、部屋の電気は消えていた」
「どういうこと?」
皐月の言葉に、信乃は聞き返す。
「部屋が明るかったら、外のライトが消えてもそんなに気にはならないでしょ?」
「皐月さぁ、部屋の豆球って点ける?」
その問いかけに、皐月は首を振った。
「阿弥陀警部、その会社についても調べたほうがいいな」
拓蔵がそう言った時だった。
「燈愛、こんなところにいたのか。そろそろ時間だ、会場に行くぞ」
店に河本が姿を見せる。
「らしいから私は失礼しますね。皐月さん、葉月ちゃんによろしくね」
「分かりました。それじゃぁまた後ほど」
燈愛は河本と一緒に店を後にした。
店の中を覗き見ていた田山がそれに気付き、すこし店を離れる。
「それじゃぁ、私たちも失礼しようか」
皐月はそう言うと、自分たちが座っていたテーブルに戻り、領収書を取ると、カウンターまで行きそれを払うや、店を出て行く。
彼女を追いかけるように、信乃と希望も店を出て行った。
「アキさんや、片手落ちという言葉は知っておるかな?」
拓蔵がそうたずねると、アキはちいさくうなずく。
「恋愛するのは個人の自由じゃ。それを止めようとは思わん。じゃがな自分の立場を、相手の立場も考えろ」
「……っ!」
「あやつは……あんたを守ろうとしたんじゃ……。後はあの子らに任せておけばいい」
拓蔵の言葉に、アキは首をかしげた。
「へへへ……、まさかそんなことまでしていたなんてな。これをネタにして強請れば、結構な金になるぜ。それにあそこの社長はアイドルを悪用してるらしいしな」
田山が喫茶店の外の茂みで身体を縮こまれながら、隠し撮っていた写真を見ていく。
「それにしてもまさか鮎川燈愛まで来るとはな。そういえば今日近くでライブとかあるらしいが……」
「そう。だから早く終わらしたかったんだよね。一応迷惑かけちゃったわけだから」
うしろから声が聞こえ、田山はそちらへと目をやった。
そこには、田山を睨むような目を浮かべた、皐月、信乃、希望の姿があった。
「な、なんだよ? お前ら」
「お兄さん、ちょっとひとつ聞いていいかな? さっき三橋章の事務所の社長がアイドルを悪用してるって?」
信乃が口角を上げる。
「き、君たちには関係ない話だ」
「ノンノ……。今日ってさ、気温何度だったっけ?」
皐月は、希望を見やる。
「確か二七度くらい」
「信乃、世界最大気温っていくつか知ってる?」
「えっと、ちょっと待ってね。世界最大気温」
信乃はスマホを取り出し、音声検索で調べる。
「出た。五六.七度」
信乃がそれを言った時、田山は、身体が可笑しいと感じた。
「な、なんだこの暑さ……」
田山の身体から大量の汗が吹き出していく。
希望が、彼の周りだけ、徐々に気温を上げているのである。
「お兄さんにいくつか聞きたいんだけど、どうして彼女が鳥山さんと付き合っていることを知ったの?」
「こ、答えるわけねぇだろ? 大事な商売道具なんだ」
「人を悲しませてるのに、なにが商売道具よ」
皐月が、田山を威嚇する。
「芸能人の熱愛報道なんてのは格好の餌だ。みんな欲してるんだよ。お前らだってテレビのワイドショーくらい見るだろ? 毎日のように報道される芸能人の話題だ。しかも今回は中学生アイドルと中年男の恋愛。しかも相手は刑事部長と来たもんだ。これ以上にないネタだぜ?」
想像以上の気温による熱中で頭がおかしくなった田山は、余計なことを言ってしまった
「ノンノ……」
皐月は低い声でそう言った。
「でも皐月ちゃん、これ以上やったらこの人……干からびて死んじゃうよ?」
希望は止めるように言うが、
「殺してもいいよ。だってこいつが余計なことしなかったら、アキさんは鳥山さんを亡くさなかったかもしれないんだから」
皐月の表情は般若のように歪んでいた。
その双眸に光はなく、どこを見ているのか定かではない。
「……っ!」
希望は険しい表情を浮かべるや、皐月の頬を力強く引っ叩いた。
「『全ての者は神の下で歩き回っている』」
希望は皐月を睨むように言った。
呆然とした表情で、皐月は希望を見る。
「ロシアのことわざで、どんなことでも起こりうる。誰に何があっても不思議ではないって意味だよ。この人じゃなくても、違う誰かが二人の熱愛を面白半分に書いていたかもしれないよ?」
希望は田山ではなく、落ちたカメラに視線を向ける。
その目は、寂しそうだった。
「――もう意味は無いだろうけど、あなたはやり過ぎ」
希望は、ちいさく息を吐いた。
「くそっ、いったいなんなんだよ」
田山がカメラを手にした時、
「あっちぃいいいいいいいいいいいっ!」
手は大きく火傷を負った。
「あちぃ、なんでだ? なんでカメラがこんなに暑いんだ?」
「もうそのカメラダメんじゃない?」
希望はからかうように言った。
「くそっ! お前ら覚えておけっ!」
田山は逃げるように、その場を後にした。
「皐月、あんたの気持ちがわからないわけじゃないけど、殺したいなんてやすやすと口にしないで」
信乃が険しい表情で皐月を見つめる。
皐月は顔を振るい、気持ちを落ち着かせていく。
「ごめん二人とも」
「皐月ちゃん」
大宮が声をかけると、
「いくら優しい忠治さんだって、今のは失望しましたよね? だって私……本気であの男を殺したいって思ったんですから」
皐月は震えた表情で、大宮を見る。
「皐月……」
信乃が声をかけようとした時だった。
「はぁ、もうあんたはそうやっていつもいつも……」
信乃は皐月の背中を押す。その拍子で、皐月は大宮の胸に飛び込む形になった。
「いい? あんたがあの男を殺していったい誰が得するの? 死んだ人は帰ってこないことくらいバカでも分かるわよ。一番大切なのは、その人の分まで生きることでしょ?」
「信乃……?」
「ウジウジ考えてる暇があったら、あんたは目の前にいる大切な人をちゃんと捕まえておきなさい。もしちょっとでも手を放したら」
「――放したら?」
「他の誰かに奪われるわよ」
信乃は、ちいさく笑みを浮かべた。
――目の前の……。
皐月は、大宮の顔を見上げる。大宮は驚いた表情で皐月を見ていた。
「信乃、ノンノ……ごめんね」
「ほら、謝る暇があったら早く家に帰るわよ。せっかく葉月ちゃんのコネでライブがただで見れるんだから。それじゃぁ、大宮さん阿弥陀警部、後のことはよろしくお願いします」
信乃は、皐月と希望を連れて行くように去っていった。
「ふぅ、彼女はシッカリしていますな」
阿弥陀がそう言うと、
「皐月は感情が高ぶると危ないところがある。信乃のようなストッパーがいてくれてほんと助かるわ」
拓蔵はそう言うと、顔を俯かせた。
「それじゃぁ、こちらは彼が言っていたことを調べますかね」
「うむ、そっちは警察に任せて、わしは瑠璃さんと久しぶりにデートでもするかの?」
カカカと笑いながら、拓蔵はその場を後にした。




