陸
「……なんで隠れる必要があるの?」
三橋章と落ち合うため、現場近くの喫茶店へとやってきた阿弥陀と大宮から見えないよう、皐月と信乃、希望の三人は、店の隅のテーブルに座り、二人を見張っていた。
「あのね? こっちはこっちで巻き込まれてるんだから。それに三橋章があの写真の女の子だって証拠がまだ出てないでしょ?」
「信乃はただ単に三橋章が見たいだけでしょ?」
皐月は、あきれた表情で言い返す。
「うん。あわよくばサインとか……って、そんなわけないでしょ?」
皐月たちが、隠れる気があるのかないのか、ワイワイと談笑をしているのを、当然阿弥陀たちが気付かないわけもなく、わざとそちらに振り返ろうとはしなかった。
「いいんですか? 彼女たちを放っといても」
大宮はチラリと、皐月たちを一瞥する。
「わたしたちが確認するのは、三橋章さんが被害者が殺される前に会っていたかどうか。もちろん死亡推定時刻の時に会っていたのか」
阿弥陀は、険しい表情を見せる。
「場合によっては、大問題になるわけですからね」
たしかに、殺されたのは刑事部長。しかも中学生アイドルと不倫をしていた。それだけでも大問題なのに、さらに云えばその犯人が彼女ならば、問題は更に深刻なものになっていく。
そうこう話をしているうちに、喫茶店の入り口が開き、鈴が鳴った。
店の中に入ってきたのは、中学生くらいのカジュアルな服を着た少女だった。帽子を深々と被っており、顔はマスクをしている。
少女は、店内を見渡す。
そして、阿弥陀たちを見つけるや、そちらへと歩み寄った。
「お待たせしました」
少女は、ゆっくりと頭を下げた。
「お待ちしていましたよ。とりあえずなにか飲みます? 大宮くんのおごりで」
阿弥陀はちいさく笑みを浮かべる。
「いえ、お話をするだけですから」
少女はそう言うと、阿弥陀たちと対面するように座った。
「とりあえず、帽子とマスクを取っていただかないとね」
阿弥陀にそう言われ、少女は、ゆっくりとそれらを脱いだ。
現れたのは、艶やかな白髪だった。そして印象的な赤い目には、モノ悲しそうな雰囲気がある。
「三橋章さん――で、間違いないですな?」
阿弥陀がそうたずねると、少女……章はちいさくうなずいた。
「わたくし、警視庁の阿弥陀といいます。こっちは同僚の大宮くん」
阿弥陀と大宮は懐から警察手帳を取り出し、章に見せる。
「――彼女たちも、わたしの話を?」
そうたずねるや、大宮は皐月たちを見た。
皐月たちも、唖然とした表情で、大宮たちを見ている。
「どうして彼女たちも一緒だと?」
「雰囲気が違いましたから。まるで私がここに来ることを最初っから知っていてここにいた」
章がそう発する。
阿弥陀は頭をかくと、
「三橋さん。殺された鳥山たけしさんとは会っていましたね?」
「はい」
「それは、いったい何時のことで?」
「鳥山さんと会っていたのは、収録が終わった夜の十九時から二二時半くらいまでのあいだです」
「それを立証してくれる人……はいませんな」
阿弥陀は苦笑いを浮かべる。
「鳥山さんとなにか口論は? 別れ話とかそんなのは」
「ありませんでした。でも……突然私を突き飛ばしたんです」
――突き飛ばした?
皐月が章に視線を向けようとした時、店の扉が開いた。
中に入ってきたのは、拓蔵だった。
「じ、爺様?」
皐月は目を点にする。
「なんじゃ? お前たちも来ておったのか?」
拓蔵が、皐月たちに視線を向ける。
「ちょ、ちょっと気になったから。ってなんで爺様も来てるの?」
「わしはちょっと本人に言おうと思ってな」
拓蔵は店の外に目をやる。そこには田山の姿があった。
ただならぬ拓蔵の目に、皐月は
「――本人?」
と、まったく関係のない事をたずねる。
それは誰なのかとたずねるよりも先に、拓蔵は、ズカズカと阿弥陀たちが座っているテーブルへと足を運んだ。
「おまいさんが、三橋章か?」
拓蔵にそう聞かれ、驚いた章はちいさくうなずく。
「神主、いったいなんの用事で?」
阿弥陀がそうたずねると、
「さっきワインを注文した店と警視庁に行って、気になることを確認してきた」
拓蔵がそう言うや、阿弥陀は頭を抱える。
「まったくあなたは、利用できれば国家すら利用しますよね?」
「気になること?」
「瑠璃さんから聞いたが、鳥山たけしが発見されたのは午前七時くらいらしいな」
そう聞かれ、大宮はうなずく。
「じゃったら、彼女は犯人じゃない」
「どうしてそう言えるんですか? 被害者を最後に見たのは彼女かもしれないんですよ?」
大宮がそうたずねるや、逆に大宮はゾッとした違和感を覚える。
それは、その場にいた大宮だけではなく、皐月たちにも伝わった。
「発見された遺体にはアルコールが残っていた。それに飲んでいたシャンパンのアルコール度数は軽く見積もって一〇パーセント。ボトル一本分は大体七五〇ミリリットルじゃからな。それを二時間かけて飲んだとしよう。アルコールが切れるのはせいぜい六時間くらいじゃろ?」
「ですが、彼女が犯人ではない証拠にはならない」
「カーペットに溢れていたシャンパンの染み。もしかして、爺様それが気になって調べてたんじゃないの?」
気になった皐月が、阿弥陀たちのところにやってきて、そう拓蔵にたずねる。
「おまいさん、突然被害者が血を吐き出したと勘違いしたんじゃないのか?」
そう聞かれ、章は震えた表情でうなずいた。
「そうか。まぁあいつがやりそうなこったな」
拓蔵は、もの悲しそうな表情で言った。
「やはり知人でしたか」
阿弥陀がそうたずねると、拓蔵はちいさくうなずく。
「わしも同じようなことを何度も余興の席でされたことがあるわ。カプセル錠剤の中に血糊を仕込んで、口から血を出したように見せたりな。部屋が暗かったのと、色が認識できんかったから、おまいさんはそれが血だと勘違いしてしまった」
「でも、鳥山さんは苦しんで倒れました。やっぱりあの時彼は死んだんだと」
「気が動転して、ほんとうに死んだのかどうか確認はしていないのじゃろ? それにな、さっきチラッと耳に入ったが、お前さんが部屋にいたと証言している時間に死んでいたとしたら、ボトル一本分のアルコールはすでに抜けておるよ」
「でも、彼女が本当にその時間のあいだにいたのかどうかも立証されていませんし、それにもしかしたら彼女の服にシャンパンの染みがある可能性だって」
大宮がそう言うと、
「そ、その日はオフロに入った後、ちょっと身体が火照っていて、裸のまま部屋にいたんです。たけしさんはその時に新品のシャンパンを開けていました」
章がそう言うと、
「裸って……、えっ? えっと?」
信乃と希望が驚いた表情を浮かべる。
さすがに皐月も顔を紅潮させ、章を見ていた。
「新品のシャンパンに毒を入れることはできんからな。それにグラスにも検出されんかったんじゃろ?」
「――ええ。でも注射器か何かで毒を盛り、それを被害者が飲んだあと捨てればいい」
「そういう考えかただってあるじゃろうが、場合によっては彼女も死んでおった」
「――そうか、そういう関係ならくちづけをしていても可笑しくないし、被害者が開ける前に毒が盛られていたとしたら、彼女だってただでは済まされていなかったはずだしね」
皐月がそう言うや、
「あんた、今サラッとすごい事言ったんだけど?」
信乃が、驚いた表情で言った。
「そうかな? 彼女が犯人だとしたら、現場に自分の下着なんて残さないはずだし、なによりここには来なかったと思ってたんだけど」
「それにな、お前さんが血だと思ったやつ。あれはロゼというシャンパンの一種でな、材料となるブドウの果皮から汁を出さないように搾汁して後、一定期間果汁に果皮をつけ込むことで淡いピンク色を付けたものなんじゃよ」
「それじゃぁ、たけしさんはあの時まだ生きていた?」
「おまいさんが驚いて部屋を出て行ったという時間からボトル一本飲んだとしても、発見される時間にはアルコールは抜けておるじゃろうよ。発見された時、アルコールが残っていたということは六時間前まで飲んでいたということになる」
拓蔵はゆっくりと章を見遣った。
「わ、わたしは……」
章は顔を俯かせる。
「安心せい。お前さんみたいなアイドルなんぞ、今も昔もフタを開ければごまんとおるし、わしの孫も、今絶賛十歳も年上の彼氏と交際中じゃ。しかもキスもろくに出来んくらいで、先行き不安でしかたがないがな」
拓蔵はクククと、人をからかうような笑みで、皐月と大宮を見遣った。
「じ、爺様っ!」
カッと、皐月は顔を紅潮させ、拓蔵に怒鳴る。
「おまいさんの態度を見てな、あんたが犯人じゃないというのはすぐに分かった」
「人を、見た目で判断してはいけないと思いますけどね」
阿弥陀が、ためいきを吐く。
「現役のアイドルが、ただでさえネタにされる恋愛をしていて、しかもその相手が死んでいる。それだけでも人に会える状態ではないのに、こうやって来てくれておるじゃないか?」
拓蔵はゆっくりと章の頭を撫でた。
章は、その時の拓蔵が、自分に優しく接してくれた鳥山たけしとダブって見えた。
あの時も、同じような状況だった。
自分は何もしていない。
何もやっていないのに、周りの人間たちは、身体を売って仕事を手に入れてきた。
マネージャーが頑張って仕事を取ってきたのに、自分のような底辺のアイドルに、番組やイベントの出演。歌手としての仕事も取ってきてくれた。
だけど、それがすべて泡のように、儚く弾ける。
小さい頃から、それこそ小学生にもならない頃からいた世界だ。
大人の汚い世界なんて、アイドルの汚い部分なんて、いやというほど見てきている。
だからこそ、自分の歌だけは嘘を吐きたくなかった。
だが、それだけで売れるほど世間は甘くない。
音楽プロデューサーに注文されたシチュエーションを、彼女なりに解釈し、それを素直な気持ちで詩に描く。
しかしそれらすべてが没にされる。
だから、嘘を書いた。相手が納得するような嘘を。
周りはいい曲だと謳っても、本人はいいとは思わない、薄っぺらい嘘の気持ちを歌にして書いた。
あの時、スタジオで燈愛に言われた言葉は、この事だったのだと、章は実感した。
――殺そうとしていたのは自分の心なんだ。
章は、気付かないうちに、大粒の涙を流していた。
「わたし……、わた……し……」
「うん。おまいさんは鳥山たけしが好きでたまらんかったんじゃろ? その心に嘘を吐いてはいかんよ」
拓蔵は、小さく笑みを浮かべた。
「爺様」
「うむ、分かっておるよ」
拓蔵は、ジッと章を見つめる。
「おまいさんがマンションを出た後、誰かに会ったか? もしくは誰かに見られたか?」
「……っ!」
章は首を振る。
が、章の曇った表情に、皐月は妙な違和感を覚える。
「大宮くん、鳥山が殺される二時間前、被害者はシャンパンを店で受け取っておったな」
「ええ。ですが店主の証言と一致しませんね」
「岡崎さんたちが聞いた証言は誰からなんですか?」
皐月がそうたずねると、
「岡崎の話だと、マンションの前を歩いていた桑島とかいう女性が……」
「桑島さん?」
章が声を上げる。
「知ってる人なんですか?」
と、信乃がたずねた時だった。
「知ってるもなにも、アキちゃんのマネージャーさんですよ」
声が聞こえ、全員がそちらに目をやる。
そこには、帽子を深々と被り、サングラスを掛けた女性が、皐月たちを見ていた。
「えっと、どちらさんですかね?」
阿弥陀がそうたずねる。
女性は、サングラスを下に軽く下げ、目を見せた。
「……燈愛……さん?」
皐月がそう言った時、女性――燈愛はちいさくうなずいた。
「え? なんでこんなところに?」
信乃が驚いた表情で燈愛を見やる。
「今夜のライブに向けての打ち合わせでね。時間ができたから稲妻神社に寄って葉月ちゃんを驚かそうかなって思ったんだけど」
「生憎、葉月は私たちと出かける時間まで暇だからって、どこかに出かけてますよ」
「毘羯羅って人からも言われたわ」
燈愛がそう言うと、信乃と希望は首をかしげる。
「なんで、毘羯羅が視えるんですか?」
「うーむ、以前川姫に取り憑かれていた後遺症で、人ならぬものも視えてるということか?」
「いや、多分毘羯羅とか力が強いのが視えるんだと思う。幽霊とかは視えないんですよね?」
皐月がそうたずねるや、燈愛はうなずく。
「まぁでも、スタジオで執念深くわたしたちを恨めしそうに視てるアイドルなんてのは視るけどね」
「それはまぁ、ある意味妖怪だからね。女優霊とかみたいに」
信乃は、苦笑いを浮かべた。
「でも、嘘の証言をしたのが章さんのマネージャーだったなんて」
「しかしなぜ彼女はそんな嘘を吐いたのか。それに死亡したと考えられている時間の二時間前にそこにいたのかもわからないしね」
「もしかして……、見張っていた? 章さんの行動を尾行していたって考えたら筋が通るかもしれないよ」
希望がそう言うが、
「じゃが、夜目遠目笠の中じゃったらしいからな」
「――つまり、店主は顔の認識はできなかったということですか?」
大宮がそうたずねる。
「章さん、あなたが部屋を出たのは午後十時半頃で間違いないんですよね?」
皐月がそうたずねる。
「はい。東京タワーの点灯が消えたのがそれくらいだったので」
章の言葉に、信乃は首をかしげた。
「それは可笑しいですよ。だって東京タワーの消灯時間は午前〇時のはずですから」
信乃がそう言うと、章は驚く。
「でも、あの時、たしかにタワーの電灯は消えました」
必死の表情で章は言った。
「大宮くん、東京タワーに問い合わせて、彼女が部屋を出る直前の時間、午後十時頃に消灯したかを確認してください」
「わかりました」
そう言うと、大宮は店を出て、携帯で東京タワーの事務所に連絡を入れた。
そして、二、三分ほどして戻ってきた。
「彼女の言っていることは正しいです。鳥山が殺された日の晩、二二時三〇分頃に再点灯をしていたようです」
「彼女が部屋を出たっていう時間にも重なりますね。それに発見された時間は午前七時ごろ。爺さまが言っていたアルコールが抜ける時間を考えると、殺されたのは最低でも午前を回ってる」
「東京タワーの電灯が定時的に消えるのは午前になってからのはずだから、どちらにしても、彼女が殺したわけではないってことになるわね」
信乃はそこまで言うと、
「もしかして拓蔵さん……。それを全部わかっていて、章さんが犯人じゃないってわかったの?」
と、拓蔵にたずねた。
「いや、店主から聞いた話を考えるとな。顔を隠していたのは、その部屋の主じゃないとバレないようにした。もしその部屋の主じゃったら、部屋で帽子を被るなんてことはせんじゃろ? あやつはあくまで刑事部長であって、芸能人でもなんでもないんじゃからな」
「言われてみればたしかにそうだね。まぁ芸能人でもやらないだろうけど」
皐月はすこし考えると、章を見やる。
「あの、間違っていたらすぐに反論して欲しいんですけど、もしかして熱愛報道となにか関係があるんじゃないんですか?」
皐月の問いかけに、
「……いいえ、そのこととは関係ありません」
章は躊躇した表情で言い返した。
が、皐月の言葉を思い出しハッとする。
「すぐに反論しなかったってことは、関係があるってことですよね?」
「関係はないって言ってるじゃないですか!」
章は、皐月に向かって叫ぶ。
「それにわたしはなにも見ていないんです」
皐月は片目を瞑り、拓蔵を見遣った。
「やはりな。妙な気がしたんじゃよ」
拓蔵はちいさくためいきを吐いた。
「どういうことですか?」
怪訝な表情を浮かべながら、章は拓蔵を見る。
「さっきからも話しておるが、お前さんが部屋を出た後、誰が鳥山の部屋をたずねたのか。あんたはそれを知っておるんじゃろ?」
拓蔵の、鋭い目付きに章は慄く。
「……っ! いったい何を? まるで見たような言い方を」
「見なくても見えることだってあるんですよ。だって夜目遠目笠の中。廊下は日中でも薄暗かったんです。それを外から監視することなんてできない。つまり鳥山さんを最後に見た可能性があるのは、あなたが驚いて部屋を出たのを見ていて、なおかつあなたに会っても怪しまれない人」
「わたしに会っても、怪しまれない人」
章はハッとする。
「桑島さん……。まさか鳥山さんを殺したのって」
肩を震わせながら、章は名前を発した。
拓蔵は静かに首を縦に振った。




