参
「拓蔵、こちらの野菜炒め美味しいですね。野菜の甘みを最大限に引き出していますし、なにより塩加減がいい」
と、瑠璃は舌鼓を打つ。
「そうじゃろ? おまいさんたちも、たまにはこういうところで食べたほうがいいぞ」
鳴狗寺の住職であり、信乃と浜路の祖父である鳴狗実義が、頬杖をついて、目の前の瑠璃と拓蔵を見ていた。
「そうじゃな、まぁでも、瑠璃さんには負けるがなぁ」
拓蔵がそう言うや、瑠璃は箸を止め、拓蔵を一瞥する。
その表情は満更でもない感じである。
「惚気けるな。それになぁ、ここは結構元気が出ると噂でな」
実義があきれた表情で言った。
「たしかに値段に比べて量も多いですし、近くで建築現場がありましたから、かなり利用客がいますね」
瑠璃はそう言いながら、店内を見渡した。
昼時ということもあり、その建築現場で働いている大工たちが昼食を取りに来ている。
「女将さん、こっち中生くれんかね?」
拓蔵が、手をあげて注文する。
「あ、はい。少々お待ちください。中生ひとつ」
草屋が、厨房に向かって叫んだ。
「拓蔵、あまり飲んではダメですよ」
あきれた表情を浮かべながら、瑠璃は実義を見る。
「あはは、大丈夫。こいつの酒豪は計算のうちじゃ」
実義はそう言うと、
「酒のツマミはないかな……」
と、壁に貼られたメニューを目で追った。
「女将さん、砂肝のネギゴマ炒めとアサリのオリーブオイル酒蒸し」
「承知しました。砂肝のネギゴマ炒めとアサリのオリーブオイル酒蒸し」
「了解。ほら、生野、チンタラやってんじゃねぇ」
「すみません。女将さん、鳥のつくねにできました」
生野はカウンターにその料理が乗った皿を乗せる。
それを、草屋は注文した客が座っているテーブルへと運んでいった。
「しっかし、見たところ従業員は三人くらいか?」
「そのようですね。大工を除けば客は私たちくらいしかいませんし、効率を考えれば、後二人くらいはほしいところでしょうか」
「ここは元々砂川っていう料理人が始めた小料理屋でな、地元の人間くらいしかこんのじゃよ」
「なるほど、あまり客が来ないから、少人数でもなんとかできていたということですか。――あ、このアサリ美味しいですよ」
瑠璃は先ほど注文した、アサリのオリーブオイル酒蒸しに箸を運んでいた。
「酒は火で飛ばしておるからな、瑠璃さんでも大丈夫じゃろうよ」
「あら? 拓蔵の酒の付き合いもしてますから、それなりには強いですよ」
瑠璃は、自信たっぷりに言った。
「それは自慢できることじゃないじゃろ?」
拓蔵はそう呟くように、ためいきを吐いた。
「ありがとうございました」
拓蔵たちが店を後にした頃には、店の中もだいぶ落ち着いていた頃だった。
「お疲れさん」
「あ、砂川さんもお疲れ様です」
草屋は店の隅にあるウォーターサーバーから、水をコップに注ぎ込む。
「これでしばらく、夕方くらいまでは休憩ですね」
「ああ、あいつらのことだ、また来るだろうよ。待っていろ、すこしばかりまかないもんを作ってやる」
そう言って、砂川は厨房へと戻っていった。
草屋はカウンター席に座り、深呼吸をした。
客が増えることはいいことだが、もう少し従業員がいてほしいと思っていた。
しかし最終的に決めるのは、店長である砂川だ。
「女将さん、ちょっといいですか?」
「あら、生野くん。どうしたの?」
生野は懐から一枚の紙切れを取り出した。
「これ、ちょっと可笑しくないですか?」
それに書かれていたのは、材料費の見積もりだった。
「野菜とかそんなにかかりませんよね」
「野菜は気温だったり収穫の量で値段が決まったりするの」
「そうですか。でもオレだってこういう仕事をしてますからね。それくらいはすぐに気付きますよ。調べたら三〇円くらい上乗せされてるんですよ」
生野は草屋の顔を覗きこむ。
「これ、どういうことですかね? それに他の材料費も、いつも買っているところのに比べたら多いし、それだけじゃない。光熱費を払っているのはあなたでしたね。これって――水増しっていうでしたっけね?」
「――だけど、わたしがやったという証拠はある?」
「いえ、ありませんけど、ここで働いてるのは、あの爺さんとオレ、そしてあんただけだ。それに経費に関わってるのは、女将さんと爺さんくらいだ。もちろんオレはやってないがね」
生野は困った表情を浮かべる。
草屋はそれを見て、ワナワナと肩を震わせ、
「――なにがしたいの?」
と、生野を睨んだ。
「いえ、これがバレたらクビになるだろうなって」
生野は草屋の唇を強引に奪う。
店内に鈍い音がこだまする。
「な、なにをするの?」
「どうせ、あんただって借金を作った夫に失望してるんだろ? だったら新しい男くらい作れよ。そんでそいつから貢いでもらえばいいじゃないか」
生野は詰め寄るように草屋に近付く。
草屋の背中がカウンターに乗りかかる。
「砂川さん。助け――」
生野は先ほどの紙を草屋に見せる。
「いいのか? これを見せたら、あんたここで働けねぇし、店の経費を水増しして、自分の金にしていたことが世間に晒されるんだ」
草屋は、生野の顔を直視できなかった。
ここで助けを求めれば、借金が返せないと思ったのだ。
「――わかったわ。」
「お、いいね。あぁ、こういうのに憧れていたんだよ」
生野はゆっくりと草屋の肩を抱き、唇を、彼女の首元へと持っていった。
「港で男性の死体ですか?」
小料理屋からの帰り、実義と別れた拓蔵と瑠璃は、偶然出会した阿弥陀と大宮に話を聞いていた。
「ええ、被害者の名前は角川という金貸しですね。死因は頭を鈍器で殴られての出血多量。発見された倉庫はあまり人が使っていない場所だったみたいで、発見が遅れたようです」
「金貸しか……、怨恨の可能性は?」
「それはまだすこし、まぁ怨恨の線は否定できませんが、というよりそちらの線で考えたほうがいいですな」
阿弥陀の言葉に、瑠璃は怪訝な表情を浮かべる。
「金貸しは恨まれる職業でもありますし、実際角川は怨みを買われていたようですよ。まぁ、ここ数日はその怨みを持っている人物にアリバイを取っていたといったほうがいいですな」
「それで、忠治くんは寝不足になっていたというわけですか」
瑠璃は、あきれた目で大宮を見る。
「面目ないです」
「じゃが、どうして皐月が通っておる福嗣高校に寄ったんじゃ?」
拓蔵が何気なくたずねると、大宮は突然慌てるように、
「いや、ちょっと近くを通っただけですよ」
と、あからさまに妖しい口調になる。
「まぁ、別に二人が付き合ってること自体にはとやかく言いませんけどね」
瑠璃はちいさく微笑む。
そして、大宮を自分のところに呼び寄せ、
「それで、実際はどうなんですか?」
と、耳打ちをした。
「――なにがですか?」
「あら? 皐月をデートに誘おうと思って、学校に寄ったのではないのですか?」
瑠璃は、自分の考えが間違っていたのかと思い、首をかしげた。
「いや、瑠璃さんの考えているとおりですよ。――ほら、以前約束をしていたけど、急な出張でキャンセルになってしまいましたから、その埋め合わせをしようと」
そう言いながら、大宮は長財布の、札入れを見せる。
そこには映画のペアチケットが入っていた。
「まぁ、事件を解決しない以上は誘うにも誘えなくなってしましたけどね」
「だから、徹夜覚悟で捜査をしていたわけですか」
瑠璃は大宮の頭を小突いた。
「それであなたが倒れたら、デートどころか、あの子を悲しませますよ」
「――すみません」
瑠璃の言うことがもっともだと思い、大宮は素直に謝った。




