肆
「――あら?」
稲妻神社の鳥居の上で、のんびりと背中を伸ばしていた毘羯羅が、下を潜った人物を見やる。
「久しいわね、夜行」
「――毘羯羅か。こんなところで日向ぼっことは……、十二神将の仕事すっかり忘れておらんか?」
笠を被った虚無僧姿の夜行が、毘羯羅の方を見上げた。
「大丈夫。そもそも十二神将は大きな事件がない以上暇だからね。細かいことは部下の夜叉に頼んでるし」
「だからのんびりとしていられるというわけか」
夜行は、あきれた表情を浮かべたが、顔が笠で隠れているため、毘羯羅には視えない。
「そういうこと。で、今日はなんの用?」
「……いや、すこし葉月に用事があってな」
毘羯羅は首をかしげ、
「葉月? まだ学校から帰ってないわよ」
と伝えた。
「そうか。ならば少し待たせてもらおう」
夜行は鳥居下の階段に座る。
三十分ほどして、葉月が帰ってきた。
「あれ? 夜行さん」
「久しいな。葉月にたずねたいことがあって来たんだが」
そう聞かれ、葉月は首をかしげた。
「わたしに聞きたいことですか?」
「ああ。夏休みが始まって最初の土日。学校でキャンプがあるだろ?」
そう聞かれ、葉月はうなずく。
「その催しに、響が参加したいらしくてな」
「なにか不安でもあるんですか?」
「ああ。響の障害については知ってるだろ?」
響の障害は自閉症である。
夜行は、響が環境の変化にパニックを起こすのではないかと心配になって、同じクラスの葉月をたずねに来たのである。
「たぶん、大丈夫だと思いますよ。五年生の時にキャンプがありましたけど、特にグズったり、パニックを起こしたりはしませんでしたから」
「もともと響は環境の変化に納得すればグズらない性格だったからね。だからぬらりひょんに誘拐された時も、あまりグズらなかった」
「うぅむ、しかしなぁ。少々気になる噂があるんだが」
夜行は腕を組み、唸った。
「……噂?」
葉月と毘羯羅が首をかしげる。
「福嗣小学校の近辺で赤いスーツの男が現れるという噂だ。話によると、その男に遭遇した児童は、誘拐され、その晩のうちに遺体となって発見されるらしい」
「――妖怪?」
毘羯羅は、険しい表情でたずねる。
「いや、やってることは人間でもできるだろう。だが噂だけで、犯人を目撃したという話は聞かぬな。まぁ、もしかしたら遅くなっても帰ってこない子どもに対する躾という解釈かもしれないと、父兄の中ではそうなっておる」
夜行は、納得の行かない表情を浮かべている。
「まるで口裂け女みたいね」
毘羯羅は、葉月を見やる。
「暦さんはそんな酷いことしないよ」
葉月は、ムッとした表情で毘羯羅を睨んだ。
「昔、口裂け女の噂に便乗して、実際に噂されている格好で徘徊したっていう事件があったのよ。その赤いスーツの男も、もしかしたら、その噂や怪談に便乗してやってるだけの愉快犯じゃない?」
「それならばいいんだが」
夜行はそう言うと、徐ろに立ち上がった。
「濡女子に響の迎えを頼んでいてな。わしの方も買い物がある。これで失敬するよ」
「また、暇な時にでも寄りなさいな」
毘羯羅の言葉に、夜行はうなずいて答えた。
「砂川さん、ちょっといいですか?」
「なんだ生野」
「実は草屋のことで話があって」
生野は表情を曇らせる。
それを見て、砂川は首をかしげた。
「どうした? 女将のことでなにかあるのか?」
「彼女が店の利益を誤魔化しているんじゃないかと」
それを聞くや、
「なにを馬鹿げたことを。彼女がそんなことをするわけがなかろう。それに店の利益はわしもしっかり管理しておる」
砂川は生野の肩を叩く。
「それにだ。こんな小料理屋の利益を誤魔化したところで何になる。お上もバカではないし、すぐに気付くだろう」
砂川は、コック帽を被ると、厨房へと入っていった。
「くそっ!」
生野は近くにあった椅子を軽く蹴る。
「おいっ! 草屋はいるか?」
店の戸が開き、志水が店の中に入ってくる。
「女将さんなら出かけてますよ」
「そうか、ところで……うちの兄貴を知らねぇか?」
「いや、知りませんね」
生野がそう答えると、志水は生野の胸倉を掴んだ。
「嘘吐くなよ。兄貴を呼び出したのはあんたたちなんだろ」
「なにを言ってるんですか?」
生野は志水の手を払い除ける。
「おりゃぁなぁ、兄貴があの晩兄貴と一緒に呼び出された場所に行ったんだ。だがいつまで経っても帰ってこねぇ。心配になって見に行ったら、その時お前んとこの女将が逃げていくのを目撃したんだよ」
志水はそう言うと、
「その話、もう少し詳しく聞かせてもらいましょうか?」
うしろから中年男性の声が聞こえ、志水と生野はそちらに視線を向けた。
「誰だぁ、お前ら」
「あ、私たちはこういうものでしてね」
そう言って、中年の男――阿弥陀は、自分の懐から警察手帳を取り出し、身分証を二人に見せた。
同行している大宮も同様に見せる。
「け、警察?」
「さっき言っていた話ですけど、あなた、その人物を見てるんですよね?」
阿弥陀がそうたずねると、志水はうなずいてみせた。
「ああ間違いない。角川の兄貴を殺したのは、ここの女将だ」
「まぁ、殺された角川の死因なんですけどね、ハンマーのような鈍器で殺されたみたいなんですよ。それで近辺を探したんですけど、血のついたものはひとつも見つからなかったんですよね」
「そ、そうだ。あの女が逃げる前、なにかが海に落ちる音が聞こえたんだ」
志水は思い出したように言う。
「その時、女将はどこに行ったのかわかりますかね?」
大宮は、生野に視線を向ける。
「い、いや知りませんね」
生野はそっぽを向く。
「――すこし無駄足でしたかね?」
阿弥陀は申し訳ない表情で生野を見る。
「こっちは準備がありますから、帰ってくれますかね」
「そうですね、それじゃぁこちらはお暇しましょう」
阿弥陀はそう言うと、大宮の肩を叩いた。
大宮は生野と志水を見やるが、なにも云わず、阿弥陀とともに店を後にした。
「嘘吐いてますね。しかも両方とも」
店を出て百メートルほど離れた時、阿弥陀は言った。
「ええ。角川の部下である志水の供述ですが、角川が殺されたと思われる時間、あのあたりはゲリラ豪雨にあっていましたからね。その時、海に物が落ちた音が聞こえるのは可笑しいですし、なにより人影が見えるかどうか。――んっ?」
大宮は目の前の男性に目がいった。
季節は夏だというのに、赤い帽子に赤いロングスーツという季節外れな格好をしている。
男はゆっくりと大宮たちに近付く。
そして――。
「赤は好きか? 青は好きか? 白は好きか?」
と、大宮たちにたずねた。
「なにを言ってるんだ?」
大宮は困惑した表情で、目の前の赤い男を睨む。
「うーむ、そうですね。私はどちらかと言うと、どちらも好きではないですね」
阿弥陀は視線を大宮に向ける。
「それから、その隠し持ってるナイフ、どうにかした方がいいですよ?」
「――えっ?」
大宮が唖然とした声をあげた瞬間、男は隠し持っていたナイフを大宮に突き刺す。
が、阿弥陀が男の腕を蹴り上げ、ナイフは男の手からこぼれ落ちた。
「くっ!」
男は手をかばいながら、阿弥陀を睨んだ。
「大宮くんっ!」
「えっ! あ、はい」
大宮は足元のナイフを阿弥陀の方に蹴り流し、男を捕まえようとしたが、
「……ぐふぅっ?」
肘打ちを食らい、その場に蹲った。
「なにをやってるんですか」
阿弥陀はあきれた表情を浮かべながらも、男を逃さんと詰め寄る。
「……っ」
男はゆっくりと立ち上がり、阿弥陀を見やった。
「ここは引けぃ」
どこからか声が聞こえ、阿弥陀はそちらに視線を向けた一瞬だった。
ハッとした時には、先ほどの男の姿が消えていたのだ。
「な、なんだったんでしょうか?」
大宮はふらふらと立ち上がりながら、阿弥陀にたずねる。
「わかりませんけど……」
阿弥陀は少しばかり考えると、
「迷企羅にすこし調べてもらいますか」




