伍・パラムリリ
深夜十一時を少し回った頃だった。
希望は布団の中で、部屋の天井を見ていた。
妙に眠れないのだ。寝ようと思っても、むりやり目を抉じ開けられているような感覚。
「コロロロ」
眠れない主が心配になってきたコロロが声をかける。
「うん、可笑しいよね。全然眠くならない」
希望は、瞼を落としてはみたものの、まったくと言っていいほどに睡魔が襲ってこない。この時間くらいになれば、嫌でも眠くなってくるし、夜更かしの癖があるというわけでもなかった。
――暖かいものでも飲んだら眠くなるかな。
そう考えると、希望はパジャマの上にカーディガンを羽織り、一階の台所へと向かった。
階段を降りていると「そうでしたか? やはり……」
と、居間から嘉仁の声が聞こえ、希望はそちらを一瞥する。
障子襖に四つの影が写っており、ひとつは小父の嘉仁だとすぐにわかったが、あとの三人は誰だろうかと思いながら、希望は居間を素通りし、台所へと入っていく。
ちいさな鍋に水をため、それをコンロの上に乗せて火を点ける。
そしてお湯を沸かしているあいだ、ティーカップにコーヒーフィルターを乗せていると、
「希望、眠れないのか?」
希望が台所にいるのに気付いた嘉仁に声をかけられ、希望は居間に顔を覗かせた。
「こんばんわ」
嘉仁と対面するように、留袖の女性――『逆さ菊』の時雨が座っており、希望に向かって会釈をする。
「こんばんわ」
希望は訝しげな目で時雨と、その付き添いの二人を見やる。
「希望さんだったかしら? あなたにちょっと話があったの」
時雨にそう言われ、希望は彼女を見やるが、「あ、すみません。ちょっと火を消してきます」
と言って、台所に戻る。話が長くなると思ったのだ。
コンロの火を消し、もう一度居間に戻ると、希望は時雨の近くに座った。
「話って、なんでしょうか?」
「あなた、黒川皐月を知っていますね」
そう訊かれ、希望は素直にうなずく。
「あなたは彼女に殺されようとしていた」
その言葉に、希望は青褪める。「どうしてそんなこと」
「わたしたちが知らないことなんてないわ。それにあの後に起きたこともね」
時雨はゆっくりと希望を見やる。
「無理にとは言わないわ。今すぐ執行人を辞退しなさい」
「どうしてですか? あの力があれば、わたしの村のみんなを殺した妖怪を殺すことができるのに」
「ええ。その力があればあなたの大切な人たちを殺した妖怪を滅することが出来るでしょう。ですが執行人にとって公私混同はご法度。それにあなたはまだ執行人としては未熟すぎる」
時雨は哀れむような眼で希望を見ている。
「わたしはあいつを殺さないと気が済まない。あいつだけじゃない……。皐月ちゃんがどうしてあのことを忘れているのか」
「希望さん。本当に彼女が、あなたを見殺しにしたと思ってる?」
そう言われ、希望は戸惑う。皐月が見殺しにしたとは、今でも信じられないでいる。だけど、それを証明することができない。
当の皐月がそのことを覚えていないのだ。
「どうして皐月ちゃんはあのことを忘れてるんですか?」
「そのことを我々は調べているのです」
黒服の一人がそう云う。「調べている? あなたたちはいったい」
「私たちは人ならぬものを罰するものであることは、あなたや皐月さん、信乃さんと同じものです。ですが、私たちは天皇直属の一族なのです」
「天皇直属の方々がどうしてこんな場所に?」
「崇徳上皇というのはご存知でしょうか?」
時雨にそう言われ、希望は首をかしげる。あまり歴史に詳しくない(興味が皆無だというと、そこまでだが)。
「崇徳上皇というのは平安時代にいた天皇の一族で、保元の乱の後、負けた崇徳上皇は捕らえられ、讃岐に流刑されます。そのことで崇徳上皇は天皇家を怨むようになった」
「その崇徳上皇が、わたしと何の関係があるんですか?」
希望はそう言いながら、頬杖をつく。
「その崇徳天皇の怨霊が、妙な動きをしてるという話を聞きましてね」
時雨はゆっくりと、希望の肩に乗っているコロロに視線を向け、「あなたは、知ってるのよね? あの子たちを殺したのが誰なのか、皐月さんがどうして、希望と遊んでいたという記憶を失っているのか」
それを聞くや、「コロロ……? 本当なの……?」
希望は怪訝な表情で、コロロを見る。
「あなたは助けを求めたんでしょ? だけど、気付いてもらえなかった。いや、皐月さんは気付いてはいたけど、それがあなただということには気付けなかった」
「コロロロロ」
コロロは顔を俯かせる。
「希望さん、あなたには執行人である以上、その力を私利私欲に使って欲しくはないのです。いいえ、むしろ使ってはいけない」
時雨はそう云うが、「あなたに、なんの権限があってそんなことが言えるんですか?」
希望は、睨むように時雨を見る。「わたしはみんなを失って、腹の虫が収まらないんですよ。それに、この力は……」
希望の言葉を途切らせるかのように、時雨は希望の頬を叩いた。
「好い加減にしなさい。あなたは皐月さんや信乃さんとは違う」
「どう違うんですか? あの二人だって、妖怪を殺したいと思って執行人をしてるんじゃないんですか?」
「その考えがある以上、あなたは執行人とは認められない。それにその権限があるのは、あなたに力を与えた――」
「お嬢、それ以上は」
黒服の一人が、時雨を制する。「くっ……」
時雨は黒服を一瞥すると、視線をふたたび希望へと向ける。
「あなたは自分の力の恐ろしさを知らない。だからそういうことが言えるんです。あなたの力はあの二人を凌駕しますし、わたしたちですら恐ろしいんですよ」
時雨は哀れむでも、蔑むでもない微妙な眼で希望を見た。
「なんなんですか? あなたは……人じゃないんですか?」
その言葉に、時雨は嘉仁を見遣った。嘉仁は、諦めた表情で視線を逸らす。
「人ではないですか……。それに感づいたのはあの家系とあなたたちくらいですよ」
時雨がゆっくりと立ち上がるや、居間の中に粉雪が舞った。
その粉雪が時雨の周りを飛び交っていく。
そして、その粉雪が止むや、そこに立っていたのは、白い着物をを着た時雨であった。胸元はあらわになっており、袖が短くなっている。
「……っ?」
希望は目の前にいる時雨を訝しく見る。先ほどとは違う禍々しい妖気が、彼女の頬をかすめる。
「あなたは……何者なんですか?」
「私の名は時雨。天皇直属の制止部隊『逆さ菊』が一人」
「――制止部隊?」
「妖怪が犯した犯罪を罰するのがあなたのような執行人とすれば、それを未然に防ぎ規制するのが私たちの仕事です」
時雨はそう言うや、下の留袖へと戻っていく。
「ウバシ……」
希望が口走ろうとした時、時雨はちいさく息を吹いた。
「えっ?」
驚いた口調を発するやいなや、その身体は壁へと吹き飛ばされていき、背中から激突する。
「あ、あがぁっ……」
ズルズルと凭れるように崩れていく。
「雪刀で殺そうとしたんでしょうが、あなたのような未熟者に殺されるほど弱くはないんですよ」
時雨は、ゆっくりと右手人差し指を口元へと持っていくや、彼女の周りの空気が冷たくなっていく。
「お嬢、彼女を甚振るのはその辺にしたほうがよろしいかと……。殺すことは容易いでしょうが」
と、黒服の一人が静止にかかった。
「――そうね。あの子のような力があるわけでもなし、神に認めてもらっているわけでもなし」
時雨が動作を止めると、周りの冷たい空気は穏やかになっていく。
「……っ!」
希望は恐怖に満ちた表情で時雨を睨んだが、痛みが全身に走り、いつしか気を失っていった。
「あなたは他の二人とは違う。それはまだあなたが本当の意味での執行人ではないから、人を疑うことは正しいことです。ですがその疑念を、貴女自身が理解できていない以上、本当の意味で妖怪を裁くことなんてできないんですよ」
時雨はそう言うや、胸元の裾を正すや、「行きましょう」
と、黒服の二人に言った。
「すまないな。せっかく来てくれたのに」
嘉仁が時雨に声をかける。時雨は振り向かないまま、「希望が持っている安徳天皇の力は、朧を失ったさいに力を取り戻したわたしたちですら恐ろしい。だけど、その力が制御できなければば、ただただ暴発するのみ」
「セーフティーがない銃は、威力を間違えれば……ということか」
その問いには答えず、時雨たち三人はその場から姿を消した。
――それを保護するのも、わたしたちの仕事ではないだろうかね。
嘉仁はそう考えながら、気を失っている希望を見た。
「コロロロロ」
希望に声をかけるように、コロロが叫んでいた。
「大丈夫だ。朝になった起きるだろう」
嘉仁はタオルケットを取り出すと、希望に被せた。
「希望、その力はお前にしか使えない。だからこそお前は彼女に助けてもらえたんだ」
「コロロロ」
コロロが首をかしげるような仕草で嘉仁を見上げた。その視線に気づいた嘉仁は、「いや、なんでもない」
と言って、自分の部屋へと上がっていった。
その後、希望が目を覚ましたのは、日が登ろうとしている翌朝五時であった。




