弐・イポカシ
「あれ?」
昼休み。図書室のカウンターで、希望は自分の筆箱の中を見やる。
「どうかしたの? 風花さん」
「いや、消しゴムがなくなってて」
希望は筆箱の中身をひっくり返す。「やっぱり、なくなってる」
そう言いながら、自分の肩に乗っているコロロを見やった。
「コロロロロロ」
と、コロロは首を横に振る。
「仕方ない。後で売店に行って買おう」
希望は同じ図書委員である、二年生の阿部を見やる。
「ここはワタシに任せていいから、風花さんは売店に行って」
「いいんですか?」
「人も少ないし、すぐに戻ってきてくれるならね」
そう言われ、希望は少し考えて、
「ありがとうございます」
といい、図書室を後にした。
校舎の一階。昇降口近くにちいさな売店がある。
「お姉さん、消しゴムひとつください」
希望がそう言うと、奥から声が聞こえ、女性が姿を現す。
「はい。百円」
女性にそう言われ、希望は財布から百円を取り出し、渡した。
「コロロロ」
「どうかしたの? コロロ」
コロロは売店の女性を見やる。
胸ポケットにはネームプレートが着けられており、『最上』と書かれている。
最上は、胸まである長い白髪で、雪のように透き通った肌をしており、さらにはスタイルが良く、年上のきれいなお姉さんという印象があり、男子の憧れの的であった。
「最上さん、ノートある?」
「はいはい。……君ぃ、この前もノート買わなかった?」
「いやぁ、最上さんのところで買うと勉強がはかどってねぇ」
と、一人の男子生徒が照れながら云う。
「どうかしたの? 風花さん」
最上にそう言われ、希望はハッとする。
「あ、すみません」
「コロロロ」
コロロに声をかけられ、希望は「それじゃぁ、急いでるので」
と、最上に頭を下げ、図書室へと足早に急いだ。
「死亡推定時刻は?」
暗く冷たい山小屋の中で、阿弥陀が湖西にたずねる。
「ざっと見繕って、だいたい三日前後じゃろうな」
二人の足元に横たわった女性の遺体があり、ブルーシートが被されている。
遺体はいたってシンプルに、胸をひと突き刺されている。
周りには血しぶきが飛んでおり、扉のところで血が途切れていた。
「殺されたのはここで間違いはないでしょうな」
そう言いながらも、阿弥陀はどうも腑に落ちないところがあった。
「この季節にしては、遺体の腐食が可笑しいと思っておるんじゃろ?」
湖西に言われ、阿弥陀はうなずく。「いくら小屋の中でも、三日も経てば腐食が目立つでな」
「通気がいいわけでもなさそうですし、窓が開いていたわけでもないですな」
あまり人がこない場所のせいか、小屋の所有者が山小屋の掃除にやってきたのが、遺体発見となった。
「所有者のアリバイは?」
こういう小屋での殺人は、大体が所有者に疑いがかかる。
「三日前となると、飲み会に出とったみたいじゃよ」
湖西は表情を暗くする。
「ご存じの方で?」
「存じるもなにも、その飲み会……、わしと拓蔵が参加しとったんじゃが」
つまり、所有者のアリバイ証言者は、身近な人間なのである。しかも二人。
「所有者の名前は今際人志六七歳。竹細工を生業としている。この山の竹林はやつの所有地じゃよ」
「山は?」
と、阿弥陀はたずねる。「山は町のじゃからな……。大宮、遺体の身元わかったか?」
「財布がありませんね。あと携帯も」
「犯人が持っていったんでしょうな。ほかに目ぼしいものは?」
そう言われた大宮は、それこそ服の奥まで手を入れて調べる。
「あれ?」
ちょうど、遺体の胸のところまで手を入れた時、大宮は違和感を感じた。
「どうした?」
「えっと……、ちょっと待ってください」
大宮は立ち上がり、ズボンのポケットから携帯を取り出すや、皐月に電話をかけた。
「あ、もしもし皐月ちゃん? いま大丈夫?」
「えっ? あ、忠治さん? こんな時間にどうしたんですか?」
時刻は昼の十二時を少し過ぎた頃。この時間だと、高校は四時限目を終えているか、昼食中であると大宮は考え、皐月に電話をかけた。
「ちょっと皐月ちゃんに訊きたいんだけど、ブラジャーのワイヤーって、簡単に取れるものなのかい?」
そう聞かれ、「ワイヤーが入っているところを切れば取れると思いますけど」
と答えてから、「って、なんでそんなこと聞くんですか?」
「ちょっと事件があってね。今し方遺体を調べていたんだ。それからカップ数がどうも合わない」
「まぁ、トップとアンダーの差異でカップ数が……、いやだからなんでそんな」
皐月は慌てた口調でそこまで言ってから、
「あれ? 普通は胸のサイズに合うやつを買うものですけど、どう違うんですか?」
「1カップくらい大きいんだよ」
「まぁ、見栄を張ってパッド入れてるんじゃないんですか?」
「いや、そういうのはなかったよ。ただ、遺体の胸あたりを調べた時にね」
その言葉に、皐月はムッとした表情を浮かべる。
いくら遺体を調べるためとはいえ、意中の男性が、他の女性の身体を、しかも胸を触ったと聞いて、気分がいいものではない。
「なんでカップが違うって思ったんですか?」
皐月はすこし、怒った口調でたずねる。さすがに大宮も失言したと気づき、謝ってから、
「手がすんなり入ったんだよ。サイズが合っていれば、ワイヤーで入らないだろ?」
「それじゃぁ、カップ数が合っていないってことじゃないんですか?」
「もうひとつ……、妙なところもあった。ないんだよ」
「――ない? ないってなにがですか?」
大宮が皐月と電話をしている中、阿弥陀と湖西も遺体を調べていた。
「えっと、これはどういうことですかね?」
遺体の状態を見ようと、遺体の上着を脱がし、上半身を裸にさせた時だった。
「胸が片方しかなかったんだよ」
大宮は遺体を一瞥する。
女性のふくよかな乳房が左片方にしかなく、右には似つかわしくないほどに胸が平らになっていた。
そしてその胸元は、気味が悪いほどに赤黒く染まっていた。
「大宮さん、なんだって?」
皐月の横に座っていた信乃が、大宮との電話を終えてからそうたずねた。
「遺体の胸が片方ないって」
「つまり遺体は乳がんだったってこと?」
「なんでそう思うの?」
「片方がないってことは、乳房を切除してるってことでしょ。乳がんじゃなかったら切除なんてしないでしょうし、もしくは整形手術に失敗したとか」
「実際に遺体を見てるわけじゃないからわからないけど……。今日か明日あたり、神社に訪ねに来るだろうなぁ」
皐月はそう言うと、【遺体の状況と出来れば写真を】と、大宮にメールを送る。
「すぐに返事が来るわけじゃないだろうけど」
と思っていたが、皐月の携帯からけたたましくメールの着信音が鳴り響いた。
「はやっ?」
「えっと……、うわ、なにこれ」
添付された写真を見るや、皐月と信乃は絶句する。
「いや、可笑しいってコレ。なんで青黒く変色してんの?」
「手術失敗したとか?」
「というより、腐ってない?」
信乃がそう言った時、皐月の携帯が鳴る。
相手は、大宮であった。「もしもし、忠治さん?」
「上着の内ポケットの中に働いているキャバクラの名刺が入ってた。まぁ、本名はまだわからないけど、彼女が殺された日あたりのことがわかるかもしれない」
「それはよかったですけど、キャバクラ嬢がそんなホイホイ山小屋に行きますかね?」
「うーん。そう言われると困るけど、死亡推定時刻は三日前ということになっているんだ。その当時のことが聞ければ」
「わかりました。それじゃぁなにかわかったら」
皐月はそう言うと、携帯を切った。
「あのさ、今更なんだけど、もうすこし自分たちで頑張って欲しいよね?」
信乃がそう言うと、皐月は少し考えてからうなずいてみせた。
「まぁ、皐月の場合は大宮さんに会える口実になるからいいんだろうけどね」
「そうかな? でも気になるよね。片方の胸だけが腐ってるって」
「腐ってるかどうかもまだわからないんでしょ? だけど確かに腐っているところが片方だけというのは気になるわね。胸から腐ったとしても、死後三日もすればもう片方が腐りだしていても可笑しくないはず」
二人がそう話をしていると、校舎の窓から「黒川」という、大きな声が聞こえ(皐月の場合は少し大きな音量で聞こえ)、皐月がそちらに振り返ると、茲場が窓から中庭を覗きこむ形で皐月たちを見下ろしていた。
「なに? 茲場くん」
「ちょっとさぁ、風花知らね?」
「風花さん? さぁ、知らないけど」
そう言いながら、皐月は顔を俯かせる。
「茲場、なにか用事?」
代わりに信乃が会話を変わる。
「んっ? ああ、風花って図書委員だろ? それでちょっと読みたい本があってさ、取り扱ってないか聞こうと思ったんだよ」
「ていうか、図書委員なら直接図書室に行けばいいんじゃない?」
そう言われ、茲場は「そうか」と納得した表情で、皐月と信乃に礼を言うや、姿を消した。
「まぁ、わたしたちが会っても、話してくれるかどうか」
「……うん」
その言葉に、皐月はちいさくうなずく。未だにあの事件を思い出せないでいた。
そんな中、信乃は皐月の方を見ながらも、校舎の方を見ていた。
――二人の間になにかあったのかは知らないけど、そろそろ話してくれてもいいんじゃないの?
信乃は視線の先にいる希望を睨む。
その視線に気付いていた希望は、ちいさく俯きながら、逃げるようにその場から消えていった。
皐月たちと茲場の会話を聞いていた希望は、急いで図書室へと早足で向かっていた。
「コロロロ」
肩に乗っているコロロが、心配そうな表情で希望を見つめる。
「わかってる。みんなが見える皐月ちゃんがあんな酷いことをするなんて思ってないよ。でも、信じられないんだよ。どうしてあんな酷いことをしてるのに忘れてるのが」
希望は小さな頃に遭った事故を思い出す。
あの男が来なければ、自分は死んでいた。
助けを呼びに行ったはずの皐月は家族と帰っていった。
――裏切られたんだ。
そう考えても可笑しくはない。それでも、希望は幼いころ、一緒に遊んだ皐月のことを信じたかった。




