伍・有為
「はい。わかりました」
皐月を稲妻神社へと送っている最中、大宮の携帯には吉塚からの連絡が入っていた。
「吉塚さん……なんて?」
「元夫の、滝沢一成に今回の事件について色々と聞きたいらしいんだが、戸籍はもう北海道の方にあるし、本人は捜査に協力できないって」
「今回の事件に関しては関係ないんじゃ? 青松晶子が亡くなったのは結婚式の後なんですし」
助手席に座る皐月は、横目で大宮を見やる。
「いや、別件なら聞き出せるかもしれない。ほら、栗山という警官が行方不明になったことだ」
「そうか、たしか結婚式に主席していたんでしたね。その後に行方がわからなくなっている。滝沢がその行方を知っている可能性もある」
「ああ。しかも殺されているんだ」
「――ふぇ?」
いきなり衝撃的なことを言われ、皐月は素っ頓狂な声をあげてしまう。
「さっき入った連絡はそっちが本題だ。殺された栗山警官はすくなくとも死後一週間経過している」
「有休が切れるあたりですね。死因は?」
「絞殺。ただひとつ気になることがあったようだ。――その痕が鱗のようだったらしい」
「鱗って……ヘビ?」
「それはまだわからないけど、皐月ちゃんを神社に送ってから、そのまま警視庁に行くよ」
「わかりました。あの、なにかわかったら」
「ああ、偶然にしては一致しているからね。自殺した青松晶子のお腹にあった鱗の痕と、栗山警官の首元にあった鱗の痕。でもいったい誰が? 犯人が別にいたとしても、特になることなんてないのに」
――たしかに青松晶子が栗山を殺した犯人だったとしても、自殺しては特にはならない。逆に青松晶子が殺されて特をするのは? ……元夫の滝沢一成?
滝沢は青松から脅しを受けていた。その脅しとDVがあって離婚したのだ。
そしてそれから逃げるように北海道へと戸籍を移している。
――でも、それだと栗山警官が殺された理由にはならない。そもそも被害届を出しているのは青松晶子で、夫じゃない……あれ?
皐月はふと違和感を感じていた。
被害届を出したのは加害者である青松晶子だ。
そしてそれを受理したのは栗山警官。
被害届が出された半年前に夫婦は別居している。
その半年前がどうも気になっていた。
「皐月ちゃん、着いたよ」
そう声をかけられ、皐月はハッとする。
「あ、すみません」
皐月は車から降りる。
「それじゃぁ、また明日」
「あ、はい。そうだ、明日の約束、忘れないでくださいね」
「わかってる。明日は一日休みだから、好きなところにでも連れて行ってあげるよ」
皐月は手を振りながら、大宮の車が走り去っていくのを見守りながら、稲妻神社の境内へと入っていった。
「おかえりなさい。ほら、もうごはんできてますよ」
皐月が母屋に入ると、最初に聞こえてきたのは瑠璃の声だった。
「瑠璃さん、今日は病院には行かなかったんですね」
「行ったところで、すぐに治るものではないですよ。それに、今は安静にさせておかないと、あの無鉄砲は何をしてかすやら」
瑠璃はそう言いながら、小さく笑みを浮かべる。
「それに、あの小娘が性懲りもなく拓蔵に会いに行ってるからね。本妻の余裕ってところかしら? 瑠璃は」
毘羯羅がからかうように、瑠璃に視線を送る。
「小娘? 浜路ちゃん以外に知り合いっているんですかね?」
皐月がそう瑠璃にたずねると、瑠璃は困ったような笑みを浮かべるだけで、何も答えなかった。
「ええ。小娘といえば小娘よ。私たちからしてみればね」
毘羯羅もそれ以上は言わなかった。
「すみません。遅れてしまいました」
警視庁刑事部に戻った大宮は、吉塚に捜査会議が始まっていると聞き、会議室のドアを開けた。
「大宮、黒川先輩の様子はどうだった?」
「ええ、いつもと変わりませんでしたよ」
「まぁ、あの人はタダでは死なないでしょうな」
「よし、全員揃ったな。それでは現在わかっていることを知らせる」
そう言うや、佐々木はうしろの大きなホワイトボードに貼られた栗山警官の写真を指示棒で指し示した。
「今回発見された栗山警官の遺体だが、死因は絞殺。体の膠着状態からして死後一週間は立っているのではないかと推測され、首元には鱗のような痕が発見されている」
「栗山警官の行方がわからなくなった日とある程度一致しますね」
「だが、何処で殺されたのかが、まだわからん」
「浅葱橋の上流ではないでしょうか?」
「それも考えられるが、人通りが多い場所だ。それよりも違う場所で殺されたものだと推測できる」
「死体をそのまま一週間、誰も気づかないというのは可笑しいですからね」
「それと、栗山警官の体が妙に青かったらしい」
「――青い?」
佐々木は次に、死体の写真を貼りだした。栗山警官の遺体は、まるで青黒く膨張している。
「首を絞めて殺害された後、どこか水のある場所に保管されていたのかもしれん」
「だから膨張しているというわけですね」
「それから一週間前というのも曖昧でな。もしかすると冷水に入れて、死亡した時間を偽っている可能性もある」
「やはり、滝沢一成に聞く以外、事件解決の方法は今のところないですな」
「ええ。それから先日自殺した――今となっては殺されたと考えたほうがいいかもしれないが、青松晶子が栗山を殺したという可能性も出てきている」
「ですが、彼女はたしか傷を負わされているんですよ? 犯人が別にいたとしても、いったい誰が?」
「滝沢一成には決定的なアリバイがある。なにせ彼は結婚式をあげる一ヶ月前から今日に至るまで、ずっと北海道にいるからな」
「その間に北海道から出ているという可能性は?」
「ないとは言い難いが、決定的なアリバイがあるんだよ。仮に北海道から東京まで新幹線と船の経由で行ってみろ? 大体何時間かかる?」
「えっと、たしか――無理ですね。大体六時間は移動に費やしてしまう。それを往復としたら、まるまる半日以上は費やすことになる」
「滝沢は毎日仕事に出ている。たまの休みもあっただろうが、ほとんどは今の奥さんと何処かへ出かけていて、目撃証言も多い」
「それがわかっているからこそ、滝沢は今回の事件に協力的ではないということでしょうな」
「自分のアリバイは完璧。しかも北海道からなら青函トンネルがあるにしても、時間はその倍以上はかかる。船でなら可能でしょうけど。そちらは話になりませんからね」
船着き場がある茨木の大洗から北海道の苫小牧までは十八時間以上はかかる。
「飛行機という可能性は? そちらのほうが一番早いですし」
「いや、北海道警察に捜査要請をして、青松晶子が死んだ日の前後の、札幌空港の利用者を調べてもらったんだがな、滝沢一成という名前は一致しなかったよ」
「偽名を使ったという可能性は?」
「重々考えられるな。それならアリバイはないが、アリバイはあるんだよ」
「アリバイがないのにアリバイがあるって……」
大宮は、ふと青松晶子が出した被害届について思い出した。
「本当に彼女は被害を受けていたんじゃ」
「どういう意味?」
「妙だと思いませんか? 今回の事件、殺された栗山警官が青松晶子の被害届を疎かにしていたことがすべての始まりだったんじゃないかと」
「それを訴えるために青松晶子は警視庁に来たんですものね」
「ですが、被害届が出された半年前にはすでに夫婦は別居しており、その後に離婚。もし被害届を出していたとしたら別居する前でしょうし、本来被害を受けていた滝沢一成が被害届を出しているのなら話はわかりますが、被害届は青松晶子が出している」
「それじゃぁ、青松晶子本人が本当に被害を受けていたということ?」
「それなら、彼女の腕にあった青アザも納得がいくな――つまり」
「ええ。もし僕の考えがあっているとしたら、滝沢一成の骨折は偽造だったんじゃないかと。それにただの骨折なら二、三ヶ月も経てば完治しているはずです」
「結婚式に行ったという関係者の証言では、松葉杖を突いていたとあったな。そもそもそれが勘違いだったというわけか」
「急ぎ北海道に立て。大宮と阿弥陀警部の二人は明日の一番でだ」
そう言われ、大宮はキョトンとする。そして少し間があいて。
「えっ? 明日ですか?」
「そうだ。――どうした? なにか約束事でもあるのか?」
「い、いえ……。まぁ、彼女だったら理解してくれるでしょうけど」
「もしかして、皐月ちゃんとデートでしたか? まぁ、恋人がこんな仕事ですからね。急なキャンセルくらい、彼女も理解しているでしょう。埋め合わせは大変でしょうけど」
阿弥陀は大宮をからかうように言った。
「……っ」
大宮は頭を抱えるしかなかった。
「北海道にですか?」
その日の晩、捜査会議が終わった大宮は、いの一番に皐月に連絡をしていた。
「うん。明日一番に出ないといけなくなってね。だからごめん」
大宮は頭を深々と下げた。目の前に相手がいないのに頭を下げてしまうのは、日本人の性だろうか。
「――分かってます。忠治さんの仕事が理解できないんじゃ、恋人として失格ですからね。おみやげ期待してますよ」
それを言うと、皐月は携帯を切った。
――うわぁ、怒ってる。皐月ちゃん完全に怒ってるよ。
大宮は、理解はしてくれてはいたが、少しだけ嫉妬に満ちた皐月の声に震えるしかなかった。
今更いうほどのことではないが、相手が警察だと、こういうイレギュラーは多々ある。たとえ翌日が休みだったとしてもだ。
それはもちろん皐月自身理解しているのだが、急なキャンセルで上辺では納得していても、内心苛立っているのは言うまでもない。
「これは仕事なんだ」
と、大宮は自分に言い聞かせながら、自宅マンションへと準備のために戻っていった。
……案の定、皐月は携帯の通話を切った後、携帯を布団の上に投げ落とし、ムットした表情で、途中だった宿題をするため、机に座った。




