肆・既
「栗山の詳細はまだわからないのか?」
刑事部へとやってきた灰羅が、吉塚に訊ねる。
「ええ。栗山が北海道に行ったというのはわかったんだけど、後のことがね」
一応、人間での姿の場合は、灰羅が上司なのだが、吉塚という名で権化となっている愛染明王は、十二神将の一人である波夷羅の上司にあたる。
「滝沢一成と青松晶子は元夫婦だったが、半年前から別居していたみたいです。しかも離婚届は滝沢一成が一人で出していた」
「そうなると、青松晶子は自分が離婚していたことを知らなかったということか?」
「そうなりますね。被害届が出され始めたのも半年前からとなっていますから、その時までDVを受けていたということになるんでしょうか」
「しかし実際のところ、滝沢の方が被害が大きいのだがな」
灰羅はそう言いながら、吉塚の机の上に置かれた書類を見やる。
「拓蔵センパイの容態はどうなんだ?」
「湖西主任から聞きましたが、全治一ヶ月とのことです」
「そうなると、こちらも早く解決しなければな」
そう言うや、灰羅は先日の青松晶子が刑事部で起こした事件の書類を手に取り、その場を後にした。
「あ、まだ整理してないんだけど」
吉塚がそう言おうとしたが、すでに灰羅の姿はなかった。
「さっきのって、灰羅警視ですよね? なにか用事だったんでしょうか?」
給湯室から出てきた大宮が、吉塚に訊ねる。
「ええ。青松晶子の書類を勝手に持って行っちゃったけどね。まぁ、まだ大きな証拠が出ているってわけではないんだけど」
「死因は刺殺で間違いはないんですよね?」
「ええ。解剖では刃渡り十三センチの……えっ?」
吉塚はそう言いながら、違和感を持つ。「大宮くん、ちょっと湖西主任呼んできて」
そう言われ、大宮は鑑識課へと走って行き、湖西主任を連れてきた。
「湖西主任。検死の結果、青松晶子の死因は、刃渡り十三センチのナイフで刺されての出血多量で間違いないんですよね?」
「ああ、腹部にな。ちょうど一般的な包丁で刺されたものと考えているんだが」
「ですが、青松晶子が刑事部に入ってきたときは血も何も出ていませんでした。だからてっきり、あの時うずくまったさいに持っていたサバイバルナイフで刺したものだと」
「出血多量になったからといって、即死するというわけでもない。致死量に達するまで何分かはあるはずだ」
「つまり、刑事部にやって来る前に、すでに彼女は傷を負っていたということですか?」
「死亡推定時刻は間違いなく拓蔵が襲われたあたりじゃからな。その前にナイフで腹部を刺したとしても、せいぜい致死量である1/3に達してはいなかっただろう」
「他に、その時ナイフで刺したと思われる部分は?」
「いや、なかったよ。ただシャツの腹部あたりが異常なくらい赤かったがな」
「そうなると、やはり刑事部に来る前には、すでに負っていたということですか」
吉塚はそう言いながら、大宮を見やった。
「大宮くん、今日の夕方辺り稲妻神社に行って、葉月ちゃんに霊視してきてもらって」 そう言われ、大宮は頷いてみせたが、「無駄じゃよ。葉月ちゃんの霊視能力は、写真に写っている死体が死ぬ直前に聞いた音を聞き取る能力じゃからな」
「つまり死ぬ直前ですから、吉塚さんたちが青松晶子をなだめていた時のってことになるんじゃ?」
驚いた表情で大宮は言った。答えるように湖西主任はうなずく。
「青松晶子の死因は間違いなく腹部を刺されての出血多量だ。しかしいつから刺されたのかがわからん」
「致死量に達する時間は?」
「それも場合によるだろうな。もしくは出血を止めていたという可能性もある」
「出血していた腹部を抑えていたということでしょうか?」
「それならいつから刺されたのかというのがわからんというのも納得がいくし、シャツが異常に赤くなっていたことにも繋がる」
湖西主任は大宮を一瞥する。
「ちょっと拓蔵に聞いてみるのもいいな。あいつこういうのは妙に頭が冴えておるし、皐月ちゃんを連れて、見舞いに行ってはどうじゃ?」
大宮も、今日の仕事が終われば行こうと思っていた。
「わかりました。それじゃぁ、後で皐月ちゃんに連絡して、いつ部活が終わるのか聞いてみます」
「いや、多分大丈夫じゃと思うよ。たしか期末テストが終わって部活もある程度は休みじゃろうし」
まるで知っているような口調で話す湖西主任を、大宮は首をかしげて見つめた。
「失礼します」
その日の夕方。大宮は皐月を連れて、警察病院の、拓蔵が入院している個室のドアを開いた。
「おう、皐月と大宮くんか」
案の定、拓蔵は何事もなかったかのように振舞っている。とてもじゃないが、胸を一突きされた患者の精神ではない。
「わしが現役ん時はこんなの日常茶飯事じゃったからな。まぁ神仏をネタに人をだまくらかしてたやつらを成敗してのことじゃけども」
カカカと拓蔵は笑う。実際現役時代のことを知らない二人は、拓蔵の話があることないことなのか理解できない。
拓蔵が警察を辞めるまで所属していた公安部は、過激な左翼(右翼)団体や、宗教団体の監視が主であり、神仏を崇めているとはいえ、必ずしもいい団体とはいえないのである。
拓蔵自身も、云ってしまえば宗教団体に身を投じているわけなのだが、あまりそれらに関心はない。
「ほれ、昔地下鉄にサリンを撒いた連中がおったじゃろ? それを仕出かしたやつらに殺されかけたこともあるんじゃぞ」
皐月は当時生まれていなかったため、その関係性があるニュースでしか知らないが、相当危険だったという認識は持っている。大宮もその事件が起きたのがまだ小さい頃だったため、皐月と同様、ニュースでしか知らない。
「よく生きてらっしゃいますね」
大宮が、他人事のように話している拓蔵に、若干あきれた表情でたずねる。
「あんな殺意むき出しに近づかれたら、馬鹿でも気付くわなぁ」
カカカと拓蔵は笑う。
「爺様、私たちが来たのは」
「分かっておる。青松晶子についてじゃろ? おそらく腹部に違和感があると思ってわしを訪ねに来たところか?」
見事なまでに当てられ、皐月と大宮はうなずいた。
「大宮くん、体内に棒や刃物が刺さった場合、出血はどうなると思う?」
「たしか、血管が抑えられている状態ですから、抜いた時とくらべて出血は少ないはずです」
「そう。血が出てはいるが、出血多量とまではいかない。もちろん抜けば出血多量になるがな」
「それじゃぁ、すぐには出血多量にはならないってこと?」
「そうなるな。そして妙なのは彼女がうずくまった時じゃ。可笑しいとは思わんか? 突然なんの変哲もなく、体を埋めておるんじゃからな」
「その時に、青松晶子はなにかしたってこと?」
「おそらく、サラシか何かで傷口を塞いでおったんじゃろうよ。それを切り、出血させた」
「でも、報告書にはそのようなものは書いてませんでした」
それを聞くや、拓蔵は少しばかり考えこむ。
「今回の事件、青松晶子は元夫に対する恨みから来ておるんじゃろうな」
「おそらくそうだと思います。勝手に離婚されているわけですし」
「だけど、その青松晶子だってDVの加害者なんでしょ? いくら病的だからって」
皐月はそう言いながら、頬をふくらませる。
「それを知っている栗山刑事が一週間くらい行方不明になっている。そちらの方も視野に入れたほうがいいでしょうね」
大宮の言葉に、拓蔵はうなずいてみせる。
「でも、普通だったら有休明けに気になるはずですよね?」
「窓際だったようだよ。僕と同じ巡査長なんだけど、確か四十くらいの男性警官だったはずだ」
「はずだって……、会ったことないんですか?」
「刑事部と生活安全部は取り扱う事件が全然違うからな。余程の合同でない以上、顔を合わせることはないじゃろうて」
三人がそう話していると、大宮の携帯が鳴り出した。
「もしもし……、灰羅警視どのっ?」
素っ頓狂な声で大宮は叫んだ。
「あぁ、今拓蔵さんのところに行っとるんだろ? ちょっと変わってくれんか?」
そう言われ、大宮は携帯を拓蔵に手渡した。
「もしもし、変わったぞ」
「青松晶子の周辺を調べたところ、『淫楽教』という宗教団体の一人だというのがわかりました。なにか心当たりはありますか?」
拓蔵は少しばかり考えてから「たしか天魔を崇めていた団体じゃったな。まぁやってることは詐欺まがいなことじゃったけど」
「天魔ですか。他人の楽しみを、自由に自らのものとすることができる仏教の神」
「日蓮の法華経では、強信者の前では天魔も味方すると言われているからな。まぁ、やつらは金儲けに仏を使っておったから、なんでも良かったんじゃろうよ」
「その団体を拓蔵さんが壊滅させたと」
「はぁっ? 何時の話じゃそれ? 確かわしが公安にはいってそんなに経っておらん時じゃったぞ? 大宮くん、青松晶子はそんなに年食っておらんかったよな?」
「いや、僕はその時他の件でいませんでしたから、詳しくは……。でも写真で見た限りでは三十代くらいでしたね」
大宮は青松晶子の写真を見ている。正確に言うと、青松晶子の年齢は二八歳だ。
「その事件があったのは?」
「たしか三十年くらい前の話じゃったかな? 遼子がたしか幼稚園に通ってるかくらいんときじゃったはずだ」
「それじゃぁ、青松晶子が生まれる前のことなんですね」
「その団員だった誰かが親というわけか?」
拓蔵はあきれた表情でため息を吐いた。
「しかし、人の恨みはどこから来ているのか、私たちでもわかりませんからね」
「言えてるな……」
「それから、青松晶子の腹部に帯か何かで締められた跡がありました」
「――帯? しかし彼女が着ていたのは洋服じゃったぞ?」
「ええ。薬師如来さまは妖怪の仕業ではないかと云っておりますが、心当たりは?」
「……帯の妖怪か――」
拓蔵は少し考えてから、「そうなると、彼女の行動も納得がいくな」
「爺様、なにかわかったの?」
「皐月、以前文車妖妃という妖怪が事件を起こしたじゃろ? 今回も似たようなものなんじゃよ」
そう言われたが、皐月は首をかしげる。
「青松晶子に取り憑いた……というより、協力した妖怪の名は『蛇帯』。」
「――蛇帯?」
「鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれている帯の妖怪でな、【人帯を敷いて眠ると蛇の夢を見る】という説明がされておるんじゃ。それに蛇というのは、女性の嫉妬心や邪心を表現されたものでな、邪心と蛇身という語呂合わせで描かれたという解釈もされている」
「そうか。文車妖妃も嫉妬心から来た妖怪」
「ですが、今回の事件といったいなんの関係が?」
大宮が訊ねるや、拓蔵は小さく笑みを浮かべた。
「元夫である滝沢一成は離婚後すぐに結婚しておる。それがわかったのは彼女が警視庁にやってくる前じゃとしたら、最初にヤるのはなんじゃろな?」
「想像したくないけど、元夫である滝沢?」
「いや、これはわしの想像じゃがな……、彼女の醜態を晒した栗山じゃないかのう」
そう言われ、皐月と大宮はゾッとした。
「なんで? 全く関係ないのに?」
「いや、考えてみればそうなのかもしれない。青松晶子が夫と別居し始めたのは半年前。DVの被害届けが出されたのも半年前。彼女にとってはストレス発散の対象物がいなくなったわけだからね。それから女性は男性と違って、離婚後すぐには結婚できないという法律がある」
「元夫をヤるより、その原因をつくりだした栗山をヤることにした」
「それじゃぁ、栗山警官はもう……?」
その問いかけに、拓蔵はちいさくうなずいた。
拓蔵の予想は、嫌なくらいに当たる。
その日の夜。浅葱橋の河川敷で、男性の変死体が発見された。
鑑識の結果、それが行方不明の栗山警官ということが判明した。
死亡推定は約一週間を超過しており、首元には蛇の鱗のような跡があったという。




