陸・九十九折り
「――よしっ!」
折りたたみの携帯を鞄の中に仕舞った皐月は、心を落ち着かせるように、ちいさく深呼吸する。
「大宮さん、なんて?」
隣で昼食を食べていた信乃がたずねる。「今日の夕方迎えに来るって」
「でも、皐月もすごい事考えるよね? 犯人は被害者を『ホテルの掃除や洗濯物を入れるランドリーカートに入れて運んだ』だなんて」
「深夜って意外に小さい音でもおおきく聞こえるみたいなんだよね。それに被害者が殺された時間は行方不明になった後だから、すくなくとも連れて行かれていた時は生きていたんだと思う」
皐月は、自分でも曖昧な答えだなとは思っていた。大宮から聞いた話を想定して考えても、人がそんな状態で生きているとは思えない。
「そうだ、瑠璃さんにも連絡しておかないと」
皐月は思い出したように、ふたたび携帯を取り出すと、自宅へと電話を入れた。
十六夜の月光が葉月の部屋にさし込む。
「瑠璃さま、すこし診せてもらいますね」
そう言いながら、十二神将の一人である因達羅が、葉月の頬に触れた。
「訶梨帝母さまの力によって除霊されているとはいえ、なにゆえ葉月さんに取り憑いていたんでしょうか?」
「愛染明王に調べてもらったけど、被害者は皮膚ガンの手術に失敗したということになっているわね」
瑠璃はそう言いながら、眠っている葉月を見下ろす。
現在。ちょうど日付が変わる午前0時をすこしまわったところだ。
「それから、忠治くんや阿弥陀警部がうちを訪ねにきた事件についても、似たようなものでしたからね」
「……皮膚ですか?」
因達羅は、確認するかのように訊ねる。瑠璃はその問いかけを答えるようにうなずいてみせた。
「今回発見された内臓だけの遺体に関してだって、なぜそんなことをする必要があったのかって話になりますね」
「たしかに……。殺すだけに飽きたらず、話を聞く限り人間のすることにしては、度が過ぎてますね」
因達羅は忍装束の頭巾をほどくと、さらっとした銀髪が窓から流れる風でなびいた。
それこそ月光に映え、絹のように艷やかである。
瑠璃は因達羅を見やった。今回の事件に関してとは、まったく関係のないことなのかもしれないが、すこしばかり気になることを訊ねる。
「そういえば因達羅」
「はい。なんでしょうか?」
「月光から聞いたのですが、難陀竜王の行方がわからないとか」
「はい。同じく龍王であるヴリトラも、すこしばかり心配はしているようです」
「それから、風花希望という少女。信乃から聞いた話によれば皐月になにかをされた。しかし当の、皐月はそのことを思い出せないと言っていましたが」
「ぬらりひょんの仕業では?」
因達羅の問いかけに、瑠璃は頭を横に降った。「それはまず無いでしょう。すくなくとも、彼は臆病な皐月が、あの事故について、自分自身から思い出さない限りのことはしなかった」
「そうなると、それ以外のことということでしょうか?」
「地獄に保管されている天叢雲剣の行方がわからなくなっていることも気になりますし」
そう話していると、家の電話が鳴った。
「こんな時間に? いったい誰が――」
瑠璃はすこしばかり身構える。一分ほどして、呼び鈴は止んだ。
「拓蔵さんが取ったんでしょうか?」
「いいえ。彼はすでに寝床についてますしね――。おそらく間違い電話だったか、時間も時間で後日改めようとか思ったのでしょう」
視線を因達羅に向けながら、瑠璃は答えた。
しかし、心の中では、なんとも言い難い気持ちでいっぱいだった。
もし、誰かが先ほどの電話に出たら、発狂していたのではないか。
すこしとはいえ、警官として、拓蔵のパートナーとして一緒に捜査をしていた。
だからこそわかるほどに、部屋の中が妙な空気だったのだ。窓から吹き込む風が冷たかったのではない。
妙に生温かったのだ。それこそまるでヘビに睨まれたかのように――。
「はぁ……」
と、警察庁刑事課の東条は、先の事件の被害者である萩原純夏が入院していた病院へとやってきていた。
そして、やって来るやいなや、自分の力に嫌気が差していた。
――まったく……。どうしてこうもまぁ、私利私欲が深いのかしら。
無意識に読もうとは思っていない。出来れば聞きたい人の声だけ聞ければいいのが一番なのだが、大人になった今でも、それが制御できないでいる。
もちろん、病院もただで治療をしているわけではない。設備や薬品など、お金は必要になる。
それよりも聞こえてくるのは――。
どうしたら楽に治療ができるか。
どうしたら点数を高く出来るか。
どうしたらあの看護婦と仲良くなって、あわよくばお持ち帰り出来るか。
どうしたら院長の座が取れるか。
どうしたらいうことを聞いてくれるか。
どうして小児科なんて選んだんだろうか? うるさくてかなわん。
あそこの****じじぃ、早く死んでくれないかなぁ。
あの病棟行きたくないんだよなぁ。だってあそこ****しかいないんだもの。
……等々。
そんな自分しか聞こえない声を聞きながら、東条は待合室のソファに深々と座り、振り払うかのように心を落ち着かせた。
正直、患者のことなんて考えていない。そんな気がしてならなかった。
「死ぬほうが幸せか……」
不意に、昔云われた言葉を思い出す。
そして東条はちいさく笑みを浮かべ、立ち上がる。
「久志田くん。通報によるとこの病院で間違いはないのよね?」
「ええ。殺されたのは」
久志田は言葉を淀ませる。
――くそっ! これなんて読むんだ? ろくはな?
東条はすこしばかりためいきをついて、「りっかじゃないの?」
と言った。
「えっ? ええそうです。土谷六花十七歳。職業は高校生で、一ヶ月前にある治療のために入院していたそうなんです」
「ある治療?」
「なんでも整形手術のためだとか」
それを聞くや、東条は少しばかり考える。「火傷?」
「だと思います。被害者の写真を調べたところ綺麗な顔立ちでしたので、そちらのほうではないかと」
腕や足なら分からなくもないが、顔に火傷が出来るとなると、誰かに熱湯をかけられたという考えが出てくる。
「自分でやったわけじゃないわよね?」
「なんの理由で? 想像するだけでも嫌ですよ」
久志田が震えた声で言う。
「それで、その土谷六花は殺されたでいいのかしら?」
東条たちが病院にやって来る少し前、警察庁に通報が入った。
要件は『病院内で患者の一人が首を落として亡くなった』
というものである。
「ここは病院ですからね、人を殺すなんて容易いことじゃないんですか?」
「殺すだけならね。でもさっき現場状況を聞いた時、看護婦はこう供述していたわ『突然首が落ちた』って」
東条の言葉に、久志田は喉を鳴らす。「そんなことが可能なんですか?」
「それを今から調べるんでしょ?」
東条は髪を手櫛で掻きあげる。――これが人の仕業じゃないのは、目に見えてるわね。




