伍・不見転
不見転:花ガルタで状況も考えず、手当たりしだいに札を出すこと。転じて、後先を考えずに事を行うこと。 芸者などが、金しだいで見さかいなく誰にでもすぐに身をまかせること。また、その芸者。
拓蔵は、阿弥陀や大宮から聞いた遺体の件について考えていた。
発見される以前に死んでいるはずの遺体が、発見されるまで生きていた。
しかも、遺体のそばに転がっていた携帯電話からは、彼女の指紋が検出されている。
そこが、どうもひっかかって仕方がない。
状況を想像して、整理する。
遺体には、五臓六腑と口と目。そして脳。五体はない。
そうなると、考えられるのは……。
――なわけがないな。
と、拓蔵はゴロンと横になる。「何か思い当たる節でもありますか?」
隣で寝ていた瑠璃が、拓蔵の顔を覗きこむように尋ねた。
「そういう、お前さんはどうなんじゃ?」
「恐らく、拓蔵が思っていることと一緒ですよ。ただ、それは現実でも出来るのかどうか」
「被害者の指紋をシールかなにかにつけ、それを犯人は自分の指につける。そう考えたんじゃがな、スパイや怪盗ものじゃあるまいて」
「ですが、そう考えるのもありじゃないでしょうか? 可能性があるとすれば、否定も出来ないわけですから」
瑠璃はちいさく笑みを浮かべる。屈託のない子どものような顔だ。
拓蔵は、昔警視庁で一緒だった時も、なにかわかったようなことがあると、決まって子どもがクイズの答えがわかったような、はしゃぐような笑みを浮かべている瑠璃を思い出す。
「瑠璃さんや、犯人がどうして遺体を内蔵だけにしたんかな?」
「したというより、されたと考えてはどうでしょうか?」
そう言うや、瑠璃は、キッと表情を固くした。「された?」
「逆に考えて、電話をしたのは被害者本人。そして電話を終えた彼女の体は、硫酸にかけられたかのように、皮膚と筋肉だけが爛れ落ちてしまった。それこそ、跡形もなく」
考えられないが、相手が妖怪としてなら考えられる。
「じゃが、生きていたというのはどういうことじゃろうな?」
「魚の活造りという考えはどうでしょうか?」
「活造りか……。あれも冷静に考えればすごいことじゃな」
「魚自身は、殺されたことに気づいていないから出来ることでしょうね。もし……」
瑠璃は言葉を止める。そして少しばかり考えると……。
「葉月の霊視があってるとしたら、彼女は活け造りされた魚と一緒ってことでしょうか?」
「どういうことじゃ?」
「葉月の霊視は、写真に写った遺体が最後に聞いた音を聴いたり、体感したことを感じることができます」
拓蔵はそれを聞くと、騒音を立てるように起き上がった。「どこに?」
ちいさく起き上がった瑠璃は、仰ぐように拓蔵を見た。
「遺体の死亡推定時刻。たしか検死では発見された時間じゃったろ? それから彼女がいなくなった時間も照らし合わせるんじゃ。もし彼女が殺されたことに気づかないでいたとしたら――。殺されていた時間は違うということになる」
拓蔵は寝室から出ると、一階の黒電話へと向かった。
そして、湖西主任の携帯へと連絡を入れた。
「もしもし、なんじゃ拓蔵か?」
「湖西刑事、萩原純夏の死亡推定時刻は、阿弥陀くんや大宮くんたちが発見した時で間違いはないのか?」
湖西主任は、拓蔵の大きな声に驚き、一瞬耳から携帯を離した。
「ああ、間違いはないよ。ただひとつ気になることがあってな……、どうもところどころ凍傷していたんじゃよ」
「――凍傷?」
「ああ、おそらくだが、一時的に心臓を止められた後、冷凍されていたんじゃろうな。だから一時的に生き返った。それこそコールドスリープのようにな」
「そうか、コールドスリープなら心臓は止まっているのと同じ状態になる。その間に遺体から内蔵を取り出すことだって可能」
拓蔵の隣で聞いていた瑠璃はつぶやくように言った。「そのことを忠治くんたちには?」
「伝えているよ。それから、萩原純夏の担当医とされている末森についてなんだが、どうも、医学生時代の頃に妙な実験をしていたそうだ」
「妙な実験……?」
拓蔵がそう尋ねると、湖西主任はちいさく深呼吸をした。
「人間の脳に、自分は殺されたと認識させない実験。たとえばそうじゃな、お前さん『プラシーボ効果』は、さすがに知っとろう?」
そう訊ねられたが、拓蔵は困った表情で瑠璃を見やった。ようするに聞き覚えがなかったのである。
「プラシーボ効果というのは偽薬という意味で、本来なんの意味も持たない小麦粉を薬剤と思いながら服用すると、脳がそれを薬として認識し、体の異変を直すというものです。それと同様に思い込みによる死亡実験もあります」
「死亡実験――」
「ある国で、死刑囚に行った実験ですが、死刑囚は最初一定の量の血が流れると死亡してしまうという話を聞かされます。次に死刑囚は目隠しをされ、足の指をメスで切られるんです。そして時間が経つにつれ、一定の致死量に達し、死刑囚は死んでしまった」
瑠璃はそう言うと、拓蔵を見る。さすがにここまで言えばわかるだろうと思ったのだ。
「つまり、それがプラシーボ効果によるものだとしたら、死刑囚は実際には傷を負わされてはいなかった。水の音かなにかを聞けば、自分の足から血が流れ落ちてると錯覚してしまう」
「目隠しをされたことで視界は遮られ、耳はいつも以上に敏感になっているはずです。だからこそ、本来聞こえるはずのない血が流れ落ちる音が聞こえ、致死量に達したと思い込んでしまう」
「つまり、脳がそれを認識してしまうということか?」
「ええ、結局は脳がすべての司令をつかさどりますからね。脳がそう考えることができたとすれば」
瑠璃はそう言うと、ゆっくりと俯いた目を拓蔵に向けた。
「末森は、人としてやってはいけないことをしてしまっている」
「それが、患者の脳に、自分は死んだと思わせない実験か……」
だが、細胞が死ねば、活動はできなくなる。たとえ脳が生きていたとしても、動物としては死んでいるのだ。
萩原純夏の死亡推定時刻は、大宮たちが発見した時となっている。いやされているといった方がいいだろう。
なにせ、死亡推定を鑑定するための、筋肉の硬調がわからないのだ。それから胃の中の調査もしてみたが、まったくの伽藍堂となっており、臓器の体温もわからない。
湖西主任は、それに関して説明ができないと、拓蔵たちに伝えた。
大宮と阿弥陀が稲妻神社を訪ねに来た翌日。警視庁捜査一課佐々木班の面々は、ホワイトボードに貼られている萩原純夏の遺体が写された写真とにらめっこをしていた。
いくら死体に慣れているとはいっても、臓器むき出しは稀にあるかどうか、むしろ現役時代に見れるかどうかもわからない。あったとしても、焼死かミイラくらいだろう。
西戸崎や岡崎は、ウッと吐き気を催すが、阿弥陀と佐々木、吉塚の三人は、もともと仏教における神の権化であるゆえ、これ以上の惨状を、地獄で見ている。
今更人間の臓器を見て、体調がどうとなるわけではない。ただし、これをした人間に対する憤りは感じているが。
「病院の関係者からの証言ですが、萩原純夏は交通事故で入院をしたようです。ただ、その事故が悲惨なもので」
「――悲惨?」
岡崎が説明していると、割って入ったように大宮がそう尋ねた。
「ああ、トラックのタイヤで足を潰されたそうだ、そこが壊死して、一生歩けない体になったらしい。まぁ義足がなかったというわけではないらしいが」
「まるでテケテケだな」
大宮がそう言うと、意味がわかった岡崎はうなずいてみせる。
「萩原純夏が行方不明になったのは、彼女が発見された日のこと。つまり犯人はそのあいだに被害者を殺害。このような所業に出た」
「しかし、もともと歩けない人間が行方不明になるというのは、いささか疑問に思えるな」
「車椅子かなにかに乗せて運んだんでしょう」
「うーむ、阿弥陀警部と大宮くん。葉月ちゃんの霊視ではどんなふうだったんだ?」
佐々木がそうたずねると、「葉月さんがいうには、被害者は殺されたのに生きてて、生きてるのに殺されててでしたからね」
と、阿弥陀は答えた。
「つまり、被害者は殺されたと思っていたが、実際は生きていた。被害者自身が携帯を鳴らしたとは思えんが、その時まで犯人はいたということだろうか?」
「一種の催眠でしょうか?」
愛がそう言うと、阿弥陀はちいさく唸った。
「人の思い込みというものでしょうかね?」
「思い込みですか?」
「殺されたことに気づかなかったのではなく、殺されたということを脳が認識しなかった。ケガをした刺激によって、脳が痛みを認識するのと同じように、脳から痛みを認識させることだって不可能というわけではない」
「つまり心臓が止まったことを脳が認識すれば、死を認識するのと同じように、その逆もありえるということですか?」
それこそ、先の、拓蔵たちが湖西主任から聞いたプラシーボ効果と同じである。
「だが、それは人間としてどうなん? 脳を弄るなんて、たとえ犯人が医者だったとしても、本来はやっちゃいかんことやろうも?」
西戸崎がそう言う。「脳腫瘍の手術で神経を傷つけないようにするというのはあるが、ごく限られた人間でしか出来んだろ」
「神経を繋げることは可能か?」
「そういう手術もありますから可能でしょうけど――、つまり犯人は死を認識させる神経を切り、一時的に脳を殺した。そして写真のような状態にしたあと、それを繋げた」
阿弥陀がそう言うと、大宮たちはゴクリと喉を鳴らした。
「可能なのか? こんな状態にすることが、本当に可能なのか?」
「それこそ、神としか言いようが無いでしょうがね」
阿弥陀たちが話をしていると、大宮の携帯が鳴った。
「ちょっと、すみません」
大宮は捜査一課を後にし、廊下に出た。
「もしもし、皐月ちゃん?」
「あ、すみません。会議中でしたか?」
電話先の皐月は、不安そうな声でたずねる。
「いや、大丈夫だけど。どうかしたのかい?」
「……どうも気になることがひとつあって、多分湖西のおじいちゃんから聞いてるとは思うんですけど、死亡推定時刻がわからないって」
「ああ、一応報告としては僕たちが発見した時になっている。実際はそれよりも前に殺されていたんだろうが、どうも葉月ちゃんの霊視に引っかかるところがあるしね。それから被害者は事故で歩けない状態だったそうだ」
「歩けない? 犯人は被害者を車椅子に乗せてってことですか?」
「おそらくね。だけどどうもそこが引っかかるんだよ」
「はぁ……」
「車椅子の音って意外に響くんだよね。ほら以前入院していただろ? 病院では慌てたりすると、患者が不安に思ってしまうらしくて、急いでいても早歩きが原則みたいなんだ」
「たしかに、車椅子の音で誰が来るとか勘付かれてしまいますね」
皐月はそう言うと、すこしばかり考えこむ。
「どうかしたのかい?」
「もしかしたら、車椅子じゃないのかも……。今日、その病院に行こうと思ってるんですけど」
「でも、今日学校じゃぁ?」
「放課後ですよ。それに忠治さんと一緒だったら怪しまれないんじゃないですか?」
それを聞くや、大宮は唸る。いくら皐月のお願いとはいえ、一般人を事件に巻き込むのは気が進まない。
「それに確かめたいこともありますし」
「確かめたいこと……?」
大宮がそうたずねると、皐月は想っていることを口にした。
「そうか、もしそれがあったとしたら、犯人は誰も気づかれないで被害者を運ぶことができる」
「推理としては、すごく稚拙かもしれませんけど」
「いや、とにかく今日の放課後に確かめよう。時間はどうする?」
「部活が終わるのは夕方の六時くらいですから、後で瑠璃さんに電話して、帰りは遅くなるって云っておきます」
「わかった。ぼくもそれくらいの時間に迎えに行くよ」
大宮はそう言うと、携帯を切った。




