肆・右顧左眄
右顧左眄
右を見たり左を見たりして、ためらい迷うこと。また、まわりの情勢や周囲の思惑・意見を気にして、なかなか決断できないでいること。
「葉月、大丈夫?」
今朝のことが心配になり、部活を早々に抜けて帰ってきた皐月がそうたずねる。
葉月はゆっくりと深呼吸をし、目の前に座っている阿弥陀と大宮を見ていた。
「体調が悪いのでしたら、後日改めますけど」
「大丈夫です」
そう言われ、阿弥陀はすこしばかりためらったが、ふところから、萩原の遺体が写っている写真を裏返しにして、卓袱台の上に置いた。
「葉月、無理だと思ったらすぐに止めなさい。あなたは病み上がりなんですよ」
「瑠璃さん、やっぱり葉月どこか悪かったんですか?」
皐月がそうたずねる。「実は、話すと長くなるんですが」
瑠璃は言葉を濁らせた。
瑠璃の代わりに、拓蔵が今朝のことを皆に伝える。
「それだったら、今日は止めたほうが」
大宮が葉月にそう言うが、本人は首を横に振って拒んだ。
「本人がやりたいと思って手伝っているんじゃ。それにもしかすると今回の事件、葉月に取り憑いていた浮遊霊も関係しているかもしれん」
拓蔵の言葉に、大宮は首をかしげた。
「どういうことですか?」
「訶梨帝母の話によると、葉月に取り憑いていた浮遊霊は、皮膚がんに侵されていたんです。ですが、そのがんは完治されることなく、また切り取られることなく命を断った」
瑠璃がそう説明すると、「皮膚がんって、やっぱり皮膚ならどこでもなるんですか?」
皐月がそうたずねる。その問いかけを答えるように、瑠璃はうなずいた。
「先程も言いましたが、感染した皮膚を切除などをして、がんの転移を防ぐことが出来れば治りますが、そのようなことがされていなかった」
「普段気づかない胃や肺とは違い、目に見ることができるからな。しかしそれを摘出されていないとなると」
拓蔵がその先を言おうとした時だった。
「どうかしたの? ――葉月?」
皐月は、震えた表情で写真をさすっている葉月を見る。
「葉月、苦しかったら止めてもいいんですよ」
瑠璃がそう言うと、近くに座っている遼子と健介も葉月を心配する。
「違うの……、この人、自分が殺されたのかも、助けてもらったのかもわからないって」
その言葉に、皐月たちは耳を疑った。
「どういう意味?」
「わからないよ……。だって殺されたのに生きてて、生きてるのに殺されてて」
葉月は嗚咽するが、それでも霊視をする手を休めようとはしない。
「もういいわ。今すぐ止めなさい」
遼子は、葉月をうしろから羽交い絞めするようにして、写真から離した。
「はぁ……、はぁ……」
葉月は荒い息をすると、気が遠くなるように、遼子の体に寄り添うかのようにして倒れこんだ。
「どういう意味でしょうか?」
皐月が大宮にたずねる。「わからない。殺されたのに生きていて、生きているのに殺されてて……どういう意味だ?」
「阿弥陀如来さま、少し写真を見てもよろしいでしょうか?」
健介がそう言うと、阿弥陀は「べ、別に構いませんけど……、ちょっと見慣れていないお二人には、いや多分ここにいる人たちみんな直視すら出来ないでしょうな」
そう忠告したが、すでに遅かった。
「うげぇっ!」
元々、人間の死体には見慣れていない遼子と健介はその場で吐き出し、見慣れているはずの皐月でさえ、震えた表情で、大宮の腕を力強くしがみ付いている。
拓蔵と瑠璃は口を抑えながらも、写真を一瞥するが、耐え切れなくなり、目を逸らした。
「こんなの! こんなの死んでいるに決まってるでしょ?」
「ええ。普通でしたらこうなる前に死んでるんですよ。でも、僕たちが来た時にはまだ息がありました」
「信じられないわ。でも……、これが人間ではなく、妖怪の仕業だとしたら」
遼子は阿弥陀を一瞥した。
「ええ。私もそういう考えです。こんなことが出来るのは、妖怪以外には考えられませんよ」
阿弥陀がそう説明している中、拓蔵は吐き気に耐えながらも、もう一度、写真を見ていた。
「なにかわかったんですか?」
「大宮くん、ガイシャは君たちが来るまで生きていたと言っておったな」
「あ、はい」
「どうもこうも……いかんかな?」
拓蔵の言葉に、大宮は首をかしげる。
「今回の事件、神主でも難しいですか?」
「いや、医者という意味でなら……な」
そう言うと、拓蔵は瑠璃を見やった。
瑠璃は一、二度ほど深呼吸すると、スッと立ち上がり居間から出て行く。
それから数分ほどして戻ってきた。
彼女の手にはふるぼけた本があり、それを捲っていく。
「あった。これのことを言っているんですね?」
そう云って、その頁が皆に見えるように、卓袱台の上に置いた。
そこに描かれている絵には、ひとつの体に、首が二つ描かれている。
「お父さん、これってどういう妖怪なの?」
「これはな、『どうもこうも』という妖怪なんじゃよ。伝記というより民話に出てくる妖怪でな、腕利きのいい二人の医者が、腕試しのために互いの首を切り落としたんじゃ」
「って、それじゃぁ誰も手術なんて出来ないじゃない?」
皐月がツッコミを入れる。
「じゃろ? じゃからどうにもこうにもならない。転じて、どうもこうもというわけじゃよ」
「……ばかじゃないの? それって」
皐月はあきれた表情で言った。
「しかし、腕利きのいい医者ですか。可能性としてはありえるかもしれませんね」
「もしかしたら川井田さんが去りぎわに言っていた」
大宮がそう言うと、皐月は首をかしげた。「なにかあったんですか?」
「いや、被害者が福嗣町から少し離れた大きな病院に入院していたみたいでね、訪ねに行った時、川井田という医者が『末森は、あいつは頭がどうかなったんだ』って」
「その末森というのは?」
「同じ病院に勤務している外科医のようですね。殺された萩原の担当医だったようです」
瑠璃の問いかけに、阿弥陀は答える。
「ですが、どうもこの末森という男、患者を患者とは思っていないようなんですよ」
阿弥陀は神妙な面影で皆を見た。
その表情に、瑠璃と拓蔵以外の皆(葉月は寝ているので除外)は喉を鳴らす。
「彼が執刀した患者の何人かが、一年から長くて五年のうちに亡くなっているんですよ。しかも、本来なら切れるはずのない死に方でね」
「いったい、どんな風に亡くなっているんですか?」
健介が、震えた表情でたずねた。
「まったく健康だった人が、突然、肌が切れたそうなんですよ。それこそ、首が落ちたり、内臓がはみ出ていたり……」
阿弥陀の言葉に、遼子と健介は震えが止まらなかった。
阿弥陀と大宮が、稲妻神社に訪れるより少し前のこと。
「希望、ちょっと来てくれんかな?」
福嗣町商店街にある精肉店、『はるのみや』の店主、明宮嘉仁は、家の階段に向かって声を張り上げた。
「なに? 小父さん」
首を傾げるように、希望が階段をおりてくる。
「ちょっと店番を頼めんか? 値段はグラムで出るからお前さんでも大丈夫だろ?」
ショーケースの中には、牛や豚の肉が置かれている。
その上にはデジタル表示の図りが置かれていた。
「それじゃぁ、小父さんはちょっと今日の晩飯の買い物してくる」
そう言うと、嘉人はエプロンを脱ぎ捨て、店を後にした。
「まぁ、近くにスーパーもあるし、気長に店番しますか」
希望はパイプ椅子に座り込む。
「すみません、牛ヒレ三〇〇グラムください」
「あ、はい」
客の声が聞こえ、希望は立ち上がった。
ヒレの部分はブロックでまとめられており、切り落とすことになっている。
ショーケースからそれを取り出し、まな板の上に置くと、手慣れた様子で、三〇〇グラムぴったしに切り落とす。
「ありがとうございました」
商品を受け渡し、商売を終了させていく。
「すみません、豚バラ二〇〇グラム」
「豚ひき肉三〇〇グラム」
「合い挽き五〇〇グラム」
……と、突然引っ切り無しに注文が舞い込んできた。
「ちょ、ちょっと。待ってくださいっ!」
あたふたと、希望は天手古舞いになる。
普段なら、そんなに混むわけではないのに、どういうわけか自分が店番をすると決まって店が混み出してくる。
希望は内心、「この店のお肉って、そんなに美味しいのかな?」
と、店を手伝う度にそう思った。
ようやく一段落し、希望は疲れた表情でパイプ椅子に座ると、道を歩いている老人が目に入った。
老人は杖を動かすようにして歩いている。足はふらふらと千鳥足だ。
希望は老人を目で追っていく。すると、目の前には違法駐輪されている自転車があり、老人はそれを避けようとしたが、引っかかって転んでしまった。
「なんだよ? 今の音は?」
店から出てきた学生が、倒れこんだ自転車を起こす。
「おい爺さん? まさかテメェがしたのか?」
「とんでもない。わしゃぁ何もしとらん」
「ふざけんなよ。あんたじゃなきゃ誰がやったっていうんだ?」
学生が、老人の胸倉を掴み、殴りかかろうとした時だった。
「あなたがそんなところに自転車を停めているのが悪いんじゃないんですか?」
希望がそう言うと、学生は希望をにらんだ。
「はぁ? 店の前に停めちゃいけないなんて決まりあるのか?」
「決まりがなくても、これがどういうものかわかってるなら、誰も停めないと思いますよ?」
希望はそう言いながら、地面を指さした。
地面には直線が二線入った黄色いオウトツのあるタイルが埋められている。
これは視覚障害者に対するもので、本来ならば、その上に自転車などを停めてはいけない決まりがある。
「んだよっ? どけりゃぁいいんだろ?」
そう言うと、学生は自分の自転車を押して、どこかへと去っていった。
「大丈夫ですか?」
希望が老人を起こそうとした時、その手を強引に振り払われた。
「わしゃぁまだまだお前さんみたいな若造に助けてもらう気はないぞ。あんな子供、どうにでもなったわ」
老人は喧々とした声で喚く。
「でも……」
希望がそう言い切る前に老人は去っていった。「わしを助けてもなぁ、何も出てこんぞ」
そう言い捨てていく老人のうしろ姿を見ながら、希望は顔を俯かせる。
「ねぇ、あの子ってそこのお肉屋さんの子でしょ?」
「ええ。でもあのおじいさん誰も助けないに決まってるのにね? この前なんてなくした財布を拾った人に対して、一円もやらなかったんですって。少しくらい恵んだっていいわよね?」
と、道行く人たちが、陰口にも似た会話をする。
――見返りなんて、そんなに見返りが欲しいのかな……? 見返りがなかったら助けちゃいけないのかな……。
希望は下唇を噛み締めながら、精肉店の中へと戻っていった。




