異世界で、初めて「信じてもらえた」
森を抜けると――
目の前に、大きな街が見えた。
石造りの城壁。
その向こうには、たくさんの建物が並んでいる。
人の声。
荷馬車の音。
遠くから聞こえる、何かの鐘の音。
「……街や」
恭平は、しばらくその景色を眺めていた。
「……ほんまに、異世界なんやな」
隣では、アキも街を見つめている。
「……人、たくさんいる」
「ああ」
「……ちょっと怖い」
アキが恭平の服を掴む。
「大丈夫や」
恭平は、その手を握った。
「俺がおるから」
「……うん」
アキは少しだけ笑った。
⸻
街の入口には、大きな門があり、二人の門番が立っていた。
「止まれ」
「……はい」
恭平が立ち止まる。
「旅の者か?」
「えっと……まあ、そんな感じです」
「身分証は?」
「……ないです」
門番が眉をひそめる。
「ない?」
「はい」
「どこから来た?」
「……」
恭平は言葉に詰まった。
異世界から来ました。
そんなことを言えるわけがない。
「……遠くからです」
「どこの街だ?」
「……」
完全に詰んだ。
門番がため息をつく。
「身分証がないなら、仮市民証を発行する必要がある。銀貨一枚だ」
「銀貨……」
恭平はポケットを探った。
何もない。
当然だ。
この世界に来たばかりなのだから。
「……どうしよう」
そのときだった。
「あ」
足元に、小さな黒い石が落ちている。
恭平は拾い上げた。
「……なんや、これ」
なんとなく《価値視認》を使う。
【対象:???】
【価値:★★★★☆】
【重要度:???】
【魔力含有量:高】
「……また、これか」
「どうした?」
門番が声をかける。
「いや……」
そのとき。
「おい、それ」
後ろから声がした。
振り返る。
荷物を積んだ馬車の横に、商人らしき男が立っていた。
男は恭平の手元を見ている。
「どこで拾った?」
「森ですけど……」
男は石をじっと見る。
「……それ、魔力石だぞ」
「魔力石?」
「しかも、かなり純度が高い」
「……これが?」
恭平は石を見る。
【価値:★★★★☆】
「買い取ろう。銀貨十枚でどうだ?」
「……十枚?」
思わず聞き返す。
男は頷いた。
「嫌なら他を当たってもいいが、俺ならその値段を出す」
恭平は少し迷った。
そして――
「お願いします」
銀貨を受け取る。
ずしりと重い。
初めて、この世界で自分の手に入れた金だった。
「……これで」
恭平は門番に銀貨を一枚渡した。
「仮市民証、お願いします」
門番は銀貨を受け取り、小さな木札を恭平に渡した。
「これでセレナには入れる。ただし、正式な身分証が必要なら冒険者ギルドや役所で登録しろ」
「分かりました」
恭平は木札を握った。
――とりあえず。
これで今日を生きられる。
そのことに、少しだけ安心した。
⸻
街の中へ入る。
人が多い。
服装も様々だ。
耳の長い人。
獣の耳を持つ人。
見たことのない種族。
「……ほんまに何でもありやな」
恭平が呟く。
アキは少し不安そうに周囲を見ている。
「大丈夫やって」
「……うん」
二人で歩いていると、アキのお腹が小さく鳴った。
ぐぅ……。
「……」
アキが恥ずかしそうに俯く。
恭平は思わず笑った。
「腹減ったんか?」
「……うん」
アキは少し恥ずかしそうに答えた。
そして、恭平の顔を見る。
「……恭平と一緒だから、大丈夫」
「……」
恭平は、一瞬言葉を失った。
「……そっか」
それだけ言って、アキの頭を軽く撫でる。
「ほんなら、まず飯やな」
「うん」
アキは恭平の手を握った。
その手は、さっきまでより少しだけ強くなっていた。
⸻
しばらく歩いていると、一軒の宿が目に入った。
木製の看板。
そこには、月と猫の絵が描かれている。
【月と猫亭】
「……ここでええか」
恭平は扉を開けた。
カラン、と小さな鐘が鳴る。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうから、女性の声がした。
四十代くらいだろうか。
赤茶色の髪を後ろでまとめている。
恭平とアキを見ると、女性は少し目を細めた。
「二人かい?」
「はい」
「泊まり?」
「そうです」
「一泊なら銅貨八枚だよ」
恭平は銀貨を取り出す。
「これで」
「お釣りは――」
女性が言いかけて、アキを見る。
そして、少しだけ表情を変えた。
「……ちょっと待ちな」
「はい?」
女性がカウンターから出てくる。
アキの前にしゃがみ込んだ。
「お嬢ちゃん」
「……?」
「お腹、空いてるんじゃないかい?」
アキは少し迷ってから、頷いた。
「……うん」
女性は笑った。
「そうかい」
そして恭平を見る。
「先に飯にしよう」
「いや、でも……」
「宿代の心配かい?」
「……まあ」
「大丈夫だよ」
女性は厨房を指差した。
「飯くらい、食べさせてやるよ」
「でも――」
「子どもが腹を空かせてるのに、金の話ばっかりするほど私は冷たくないよ」
恭平は黙った。
「……ありがとうございます」
「礼は食べてからでいいよ」
女性は笑った。
「私はマリア。この宿をやってる」
「神谷恭平です」
「恭平ね」
マリアはアキを見る。
「お嬢ちゃんは?」
「……アキ」
「アキかい」
マリアは優しく笑った。
「いい名前だね」
「……ありがとう」
⸻
しばらくして。
テーブルに料理が並んだ。
パン。
温かいスープ。
肉と野菜。
アキは目を輝かせた。
「食べていい?」
「もちろん」
「いただきます」
アキがパンを一口食べる。
「……おいしい」
「そうかい」
マリアが嬉しそうに笑う。
恭平もスープを口に入れた。
「……うま」
温かい。
それだけなのに、不思議と胸に染みた。
ふと――
昔、京子と茜と三人で飯を食べていたときのことを思い出した。
「パパ、これ食べていい?」
「おう。好きに食べ」
そんな、何気ない会話。
ほんの一瞬だった。
恭平は、目の前のアキを見る。
「……」
また誰かと飯を食ってる。
それだけのことなのに。
少しだけ、嬉しかった。
⸻
食事を終えた頃。
マリアが恭平の向かいに座った。
「それで――」
「はい?」
「その子のお父さんなのかい?」
「……違います」
恭平は正直に答えた。
「今日、森で初めて会いました」
「今日?」
「はい」
「じゃあ、なんで連れてきたんだい?」
「……」
恭平はアキを見る。
「一人にできなかったんです」
マリアは黙っている。
「この子、何も覚えてなくて」
「……そうかい」
「名前も、家族も、自分がどこから来たのかも」
恭平は少し笑った。
「俺も似たようなもんなんですけどね」
「……?」
「俺も、この街のこと何も知らないんで」
マリアが笑った。
「じゃあ、あんたたちは二人とも迷子ってことかい」
「……まあ、そうなりますね」
「変な二人だねぇ」
「よく言われます」
マリアは少し考えるように黙った。
そして――
「まあ、いいさ」
立ち上がる。
「部屋は二階。好きなだけ休みな」
「ありがとうございます」
「それと」
マリアが振り返る。
「この街で困ったことがあったら、私に聞きな」
「……いいんですか?」
「うちは宿屋だからね」
マリアは笑った。
「泊まる客が困ってたら、助けるのも仕事さ」
⸻
二人が階段を上がっていく。
その背中を、マリアは静かに見送った。
そして――
小さく呟く。
「……あの子、本当に何も覚えてないのかね」
マリアは、アキが座っていた椅子を見る。
「それに、あの男……」
恭平。
身なりは普通。
言動も普通。
だけど――
どこか違う。
マリアは目を閉じた。
淡い光が瞳に宿る。
【固有スキル:《真偽眼》】
【対象:神谷恭平】
【敵意:なし】
【虚偽:なし】
【他者への悪意:極めて低い】
【善性:高】
【判定――】
マリアは目を開いた。
「……悪い人じゃない」
二階を見る。
「むしろ……」
少しだけ笑う。
「この子を守ろうとしてる」
マリアは、それ以上何も言わなかった。
ただ――
「……変な男だねぇ」
そう呟いて、厨房へ戻っていった。
⸻
二階の部屋。
小さなベッドが二つ。
アキはすぐに眠ってしまった。
恭平は窓の外を眺めていた。
知らない街。
知らない世界。
知らない人たち。
そして――
自分の隣で眠る、謎の少女。
「……ほんま、どうなってんねやろな」
そう呟く。
アキが寝返りを打った。
「……お父さん……」
寝言だった。
恭平は苦笑する。
「……俺は、お父さんちゃうって」
そう言いながら。
その声は、どこか優しかった。
恭平はベッドに横になる。
そして目を閉じた。
異世界に来てから初めて――
明日のことを考えながら眠ることができた。
その夜。
恭平にはまだ分からなかった。
自分が手に入れたのは、ただの宿ではない。
この「月と猫亭」が――
これから始まる長い旅の中で、
何度も自分たちを迎えてくれる場所になることを。
そして
ここで出会ったマリアという女性が、
いつか自分にとって大切な存在になることを。




