6話 姉の友人だった令嬢Ⅱ
「さあ、認めて。偽の証言をした、という事を」
ロザリーは、一歩だけ前へ出た。足音は、ほとんど響かない。だが、その距離の詰まり方が何より雄弁だった。
――逃げ場はない。罪を認めろ、と。
「ひ……っ、ぁ………」
サラの肩が、びくりと跳ねた。視線が彷徨い、無意識にルーカスの方へと向けられる。
助けを求めるような、その一瞬の仕草がすでに答えだった。
「ち、違うんです……私は……」
否定の言葉は、声になりきらず、喉の奥で掠れる。
整えられていたはずの微笑は崩れ、唇が小さく震え始めていた。
「そ、そうだわ。……見間違い、だったのかもしれませんわ」
ぽつりと落とされた言葉は、あまりにも弱々しい。
ロザリーは、目を伏せることなく告げる。
「今更、“見間違いだった”で済むと、本気で思っているの? そもそも、あなたはあの日……現場なんて、見ていない。それでも、見たと証言した。それが、事実なのでしょう?」
応接間に、重たい沈黙が落ちた。
言葉を失った空気が、じわじわと相手を締め上げていく。逃げ道は、もうどこにも残されていない。それでも、鋭い眼差しから逃れるように、サラは視線を伏せた。
「……わ、私は……」
言葉は、そこで途切れる。
ルーカスは、最後の一押しになる言葉を重ねた。
「……認めてくれるね? 僕たちは、公の場での証言の撤回を求めます」
低く、落ち着いた声。
それは青ざめたサラを慰めるものではなく、最後に残された“選択肢”を示す残酷な響きだった。
「真実を話してください。誰のために、嘘をついたのかを。……今、話してくれると約束してくれるなら……罪を軽くすると約束しましょう」
「あ……あ、ぁぁ……」
ルーカスからは、もはや言い逃れはできないのだと悟った。そして、罪を軽くするという甘い言葉に抗うこともできず。
ついにサラは、観念したように項垂れた。
「……わ、分かりましたわ。偽の証言をしたことを、認めます。公の場で……証言を、撤回いたします……」
ロザリーは頷いて、質問をひとつした。
「……その前に、ひとつだけ……聞かせて」
サラは、恐る恐る顔を上げる。
「あなたに、偽の証言をするよう頼んだのは……誰ですか?」
「そ、それは……」
サラは言い淀み、視線を彷徨わせる。
だが、先ほどのように助けを求める相手はいない。
ルーカスが、淡々と付け加えた。
「隠したところで無駄ですよ。……目星は付いてるからね」
彼の声には、拒否という選択肢が存在しなかった。
サラは、唇を強く噛みしめた。やがて観念したように、震える声で続ける。
「……わ、分かりました。正直にお話しします」
言葉の端が崩れ、視線が泳ぐ。
「夜会の数日前……学園で。私は、アンジェリカ様に呼び止められましたの。“王太子と仲良くしていることで、リリアーヌ様を怒らせてしまった。彼女に加害を受けている”と、おっしゃいました。そして、その場面を見たことを証言してほしいと頼まれました」
サラは、耐えきれず、首を縦に振った。
「で、ですが……っ、仕方なかったのです。逆らえば、家の立場がどうなるか……分からなかったのよ……」
その告白は、もはや弁明にもならない。
だが同時に、この事件の輪郭を、はっきりと浮かび上がらせるには十分だった。
ロザリーは、ゆっくりと息を吐く。
(アンジェリカ……。やっぱり、彼女の仕業だったのね……。)
ルーカスが、短く告げた。
「証言の撤回と、今の話。すべて、正式な場で記録に残してもらいます」
サラは、力なく頷いた。
「……はい。申し訳……、申し訳ございませんでした」
項垂れたまま謝罪の言葉を繰り返す彼女の姿を前にして、ロザリーは胸の奥に込み上げるものを抑えきれなかった。
その態度があまりにも弱々しくて、気づけば口を開いていた。
「ねえ、教えて……。どうして、姉さまを貶めるようなことをしたの?」
「だから、アンジェリカ様に頼まれて仕方なく……」
縋るような言い訳に、ロザリーの瞳がすっと細まる。
「いいえ。それだけじゃないはずよ。あの夜会だけじゃない。“悪役令嬢”だと噂を流したのは、あなたたちでしょう? 姉さまに、何の恨みがあって……」
「わ、私は……そんなつもりは……! た、確かに、アンジェリカ様から聞いたリリアーヌ様から虐められているという話を、他の人と話すことはあったけれど……」
「その真偽を確かめたの? 確かめもせずに、姉さまを悪役に仕立て上げたの?」
「私だけじゃない。ほ、他の人も言ってたわ……」
どうやら、最後まで自らの非を認める気はないらしい。
ロザリーの声は、底冷えするほど低く沈んだ。
「そもそも……あなたは姉さまの友達だったのではないの……?」
学園で姉を見かけるたび、その周囲にはいつも人垣があった。
姉も、取り巻く令嬢たちも、親しげに笑い合っていた。
その輪の中には、必ずサラの姿があった。
控えめに微笑みながら、けれど決して外側には立たない位置で。ときには肩を寄せ、囁きを交わす姿は、ふたりの親密さを物語っていた。
だからこそ、ふたりは心から通じ合う友人なのだと疑いもしなかった。姉にそんな存在がいることが、少しだけ羨ましかった。
それなのに――。
「あ、あの人が……、完璧すぎたのが、悪いのよ……」
絞り出すような声。
「何をしても、褒められて……。私たちは、ただの引き立て役で……。だから、少し……ほんの少し、痛い目を見ればいいと思ったのよ……」
“仕方なかった”と滲ませながら、その奥に覗くのは、拭いきれない妬み。
(そんな……そんな、自分勝手な理由で――?)
視界の端が、じわりと赤く滲んでいく。
友人だと信じていた相手に裏切られた姉の気持ちを思うと、胸の奥で煮え立つ感情が、今にも堰を切ろうとしていた。
爪が掌に深く食い込み、鈍い痛みが走る。けれど、その痛みですら、この荒れ狂う感情を鎮めるには足りない。
「あなたは取るに足らないことのつもりだったのでしょう。ですが――その軽率な行いこそが、彼女を死に追いやったのです」
ルーカスの声音は、ぞっとするほど氷のように冷えている。
その一言が、燃え上がりかけた激情に冷水を浴びせた。
ロザリーは、はっと息を呑む。
乱れかけた呼吸を整え、込み上げる衝動を必死に押し込める。
それでも――怒りに似た悲しみは消えない。
「そうよ。あなたの……あなた達の愚かな行為が、姉を死に追いやったのよ……」
このまま泣き崩れてしまえたなら、どれほど楽だっただろう。
けれど、涙はひとしずくも零れない。
「――ねえさまを……返してよっ」
代わりに、喉の奥で押し潰された想いが、行き場を失ったまま歪み、言葉となって溢れ出す。
辛くて、苦しくてーー、誰かを責めずにはいられない。
「……ご、ごめんなさ……」
途切れた謝罪は、形になる前に崩れ落ちた。震える肩。滲む涙。遅すぎる後悔。
ロザリーは、ゆっくりと目を閉じる。
「……今更、謝っても遅いわ」
本当に、何もかもが今更だった。いまさらどう行動したところで、失われたものは戻らない。謝罪で命は戻らない。泣いたところで過去は書き換わらない。
もう戻らない。
もう触れられない。
もう、声を聞くこともできない。
(ごめんなさい……。)
その許しを請う声は、果たして誰のものだったか――。





