4話 許せない
アンジェリカ・モレッティ。
腰下まで流れるピンクブロンドの髪は、緩やかなウェーブを描きながら艶やかに揺れている。やや垂れた水色の瞳は潤みがちで、男性の庇護欲を誘った。
ふくよかな肢体は柔らかな曲線を隠しきれず、淡いピンク色のドレスが、その豊満な胸元をいっそう際立たせている。
可憐さと艶めかしさを持ち合わせ、殿下と特別に親しいと噂が絶えなかった彼女。
「これから、アレクシス殿下とお茶会の約束をしているんですの。よろしければ、ルーカス様もご一緒にいかが?」
砂糖菓子のように甘い笑顔で、アンジェリカはルーカスを見上げた。
「……あら、そちらの令嬢は……」
その視線が、ゆっくりとロザリーへと滑る。
その瞬間、ロザリーの内側に、言いようのないざわめきが走った。
「……ロザリー様ね。お久しぶりです。まあ……こんなところでお会いするなんて思いもしなかったわ」
ロザリーは、わずかに頭を下げる。
アンジェリカはその様子を見下ろすように、目を細めて微笑んだ。
「このたびは、お姉さまが、あんなことに……。心より、お悔やみ申し上げますわ」
あまりにも、あけすけで。
あまりにも、滑らかな弔意。
(――その唇で、姉さまを“悪役令嬢”に仕立て上げたのは……あなたでしょう)
ロザリーの胸の奥で、黒い感情が静かに波立った。
リリアーヌは言っていた。「わたくしはアンジェリカを虐めていない、すべて誤解だ」と。そもそも、殿下の婚約者が姉であるにもかかわらず――彼と恋人同然に振る舞っていたのは、彼女のほうだ。
姉が“悪役令嬢”として断罪された裏に、関わりがないはずがない。
否、関わったなどという生易しいものではなく、アンジェリカこそが仕組んだ張本人だとロザリーは睨んでいた。
「大丈夫か。顔色が悪いようだが……」
ルーカスが、そっとロザリーの肩に手を置いた。
姉を悪役令嬢に仕立て上げた張本人から、平然と悔やみの言葉を投げかけられたことで、いつの間にか血の気が引いていたらしい。
低く、落ち着いた声に、張りつめていた息が、わずかに緩む。
「本当ね。ロザリー様、お顔が優れませんわ。ご無理はなさらず、はやくお帰りになったらどう?」
そう言いながら、アンジェリカは、ためらいもなく、ルーカスの腕へと手を伸ばす。
「さあ、ルーカス様。ご一緒に参りましょう。アレクシス殿下も、きっとお喜びになりますわ」
ロザリーは思わず、一歩、前へ出ていた。
二人の間に割り込むように立ち、震える声を絞り出す。
「……本当は」
喉の奥が、ひりつく。涙をこらえるように、唇を噛んだ。
「姉が死んで、……清々したのではありませんか?」
「あら……」
アンジェリカの可憐な顔が、ほんの一瞬、歪む。けれどそれは瞬きほどの時間で、すぐに悲しげな微笑に塗り替えられた。
「まあ、なんて酷いことをおっしゃるの」
胸元に手を当て、傷ついたふりをする仕草。
その一つ一つが、完璧だった。
「本当に、心外ですわ。私は、ただ……罪を認めて、謝罪していただきたかっただけ。それなのに、まさか……。自分の罪の重さに耐えきれず命を絶つなんて、思いもしなかったのよ……」
哀れむような瞳の奥で、何かが冷たく光った気がした。
ロザリーの胸が、ずきりと痛む。
「……罪を認めて謝罪してほしかっただけ、ですって」
声が、かすれた。怒りではなく、嗚咽をこらえているせいで。
「なら……なぜ、あんなふうに追い詰めたのですか。誰の目にも悪役に見えるよう、仕立て上げておきながら」
「……ロザリー嬢、落ち着いて」
ルーカスの声が、低く響く。
ロザリーの肩に置かれた手が、そっと宥めるように動く。
「落ち着いて、ですって……。いえ、そんなこと……できるはずもありません!」
ロザリーは、必死に保とうとしていた理性ごと、その手を振り払った。
さらに一歩、前へ踏み出す。
「姉さまが、どんな気持ちで……誰にも信じてもらえず、あの場所に立たされていたのか……あなたに、分かりますか!?」
廊下の空気が、重く、張りつめる。
アンジェリカは、眉をひそめ、困惑したように首を傾げた。
「……まるで、私がリリアーヌ様を陥れたみたいな言い方はやめてくださらない?」
その声は、あくまで柔らかい。
「あの夜……その場に居たなら、聞いていたでしょう? こちらには証拠と証人がいるのよ。リリアーヌ様が私を虐めていたのは事実なのよ。あの方の妹であるなら……まず最初に、謝罪をなさるのが筋ではなくて?」
アンジェリカは扇を広げ、顔を隠した。
「ああ……不愉快ですわ。これ以上のお話は、無意味ですもの。――失礼いたします」
冷たく切り捨てるように言い放ち、彼女は踵を返した。
揺れるドレスの裾、その背中を、ロザリーはただ睨みつけることしかできなかった。
(……許せない。優しい姉さまを、追い詰めておきながら……)
残された廊下には、冷えきった沈黙だけが横たわっていた。
「……ロザリー」
名前を呼ばれて、ようやく現実に引き戻される。
振り返ると、ルーカスがこちらを見ていた。
気づけば、肩で息をしていた。
胸が痛い。怒りと悲しみが絡み合い、肺の奥をじりじりと焼いている。
「聞きましたか、あの女……。ありもしない罪で、姉さまを悪役令嬢だと貶めておきながら……あんなにも、ぬけぬけとっ……」
言葉が、抑えきれずに溢れる。
「……だが、感情を抑えるべき場面だった」
それでも、ロザリーは小さく首を横に振る。
「分かっています。……けれど、黙って見送ることなんて、できませんでした。だって、だって……!」
脳裏から姉の姿が離れてくれない。
あの夜。
弁明することすら許されず、悪意と好奇の視線に囲まれ、ひとり立たされていたリリアーヌだった。
「だが、彼女が言うようにあちらには証拠と証人がある」
ルーカスが、静かに言う。
「……その証拠と証人が、真実ではないと暴かなければ」
「……はい」
ロザリーは、ゆっくりと頷いた。
「嘘を暴かない限り、姉さまは悪役令嬢のままなのですね……」
アンジェリカの言葉を思い出す。
証拠と証人がいる、と。
(――ええ。いるのでしょう。偽の証言をして、貶めた人物が。アンジェリカ様、あなた以外にも)
だからこそ。
「一つずつ、潰していきましょう」
ロザリーは、はっきりと言った。
「噂を流した口を。偽りを重ねた証言を。都合のいい正義を振りかざした人たちを」





