3話 現場と捜査
協会の庭園の奥。噴水の水音だけが、夜の沈黙を細く裂いていた。
白い石の縁に腰を下ろしたロザリーは、絡めた指先に、知らず力を込める。
「……さて」
低く、ルーカスが切り出す。
「姉君の悪名をそそぎ、彼女を殺した真犯人を見つけたい――そう、あなたは言ったね。だが……そのために、どうするつもりですか?」
問いに、ロザリーはほんの一瞬だけ視線を落とす。
「……まずは」
胸の奥に溜まった息を、そっと吐き出す。
「姉が殺された現場を……見に行きたいです」
ルーカスの眉が、わずかに揺れた。
「現場、か」
「はい。姉の訃報を聞いた時、すぐにでも向かいたかったのですが……」
ロザリーの唇が、かすかに震える。
「“遺族に見せるのには動揺が激しいため、立ち入りは許可できない”――そう言われて、拒まれました」
その言葉のあと、唇が悔しげに歪む。いかにも無念だと訴えるような表情だった。
「そうか、見せてもらえなかったんだね」
ルーカスは静かに返す。わずかな沈黙ののち、彼は続けた。
「そして……君は別の理由で見せてもらえなかったのだと思っているんだね?」
ロザリーは俯いたまま、言葉を紡ぐ。
「……はい」
一見すれば、ロザリーを気遣うゆえの配慮にも聞こえる。これ以上、遺族を傷つけまいとする思いやりのようにも。
だが――
(本当に、わたしのためだったの……?)
胸の奥に、冷たい疑念が沈んでいる。
“見せられない”のではなく、“見せたくなかった”のではないか。真実から遠ざけるための方便だったのではないかと、ロザリーは疑っていた。
「もし、姉さまが殺されたのだとしたら……わたしは、あの場所で、手がかりを見つけたい。姉さまが、最後に、何を見て、何を感じて……」
声が、そこで、途切れた。
「……どんな想いで、最期を迎えたのか。……それを、知りたいのです」
沈黙が、噴水の音に溶ける。
やがて、ルーカスは、静かに、しかし迷いなく言った。
「――分かりました」
立ち上がり、ルーカスはロザリーの前に立つ。
「僕が、伝手を使おう。貴方を王宮へ連れて行こう」
「ルーカス、様……」
「妹である貴方が、姉君の“最後の場所”を望むのは、当然だ。隣国の王子である僕が願い出れば、拒まれることはない筈だよ」
その眼差しは柔らかいのに、有無を言わせない強さがあった。
隣国であるヒュテイア帝国は、大陸一の勢力を誇っている強国である。その国の王子の申し出ならば断わられることはないだろう。
「現場には、必ず真実の痕跡が残っている筈だ。それに犯人は現場に戻るとも言うしね。そこから始めよう。――貴方の姉君のために」
***
「……ここだね」
低く、ルーカスが告げた。王宮西翼――来賓用の上位客室。王族に次ぐ客人が通される部屋だった。
夜会で断罪されたリリアーヌは、その夜のうちに身柄を王宮に預けられた。けれど、貴族院での裁定を経るまでは、罪は確定しない。だから彼女は、牢ではなく、この客室に滞在することになったのだ。
その扉の前で、衛兵がルーカスの顔を認めると、直ちに姿勢を正した。
「お話は伺っております。どうぞ、中へ」
「ああ。妹君が、姉君の最後にいた場所を一目見るだけだ。……問題はないね?」
扉が、ゆっくりと開かれる。
ひやりとした空気が、頬を撫でた。
――ここが。
姉さまが、
最後に、時を過ごした場所。
足を踏み入れた瞬間、胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「……特に、荒らされた様子はありませんね」
部屋は、驚くほど、変わった様子はなかった。誰かと争った痕跡はない。
王族の私室ほどの絢爛さはないが、上質な調度が静かに並ぶ。白と淡金の壁、高い天井、絹の天蓋付きの寝台。シーツは正しく整られ、机の書簡も、花瓶の花さえ、そのまま。
まるで、リリアーヌが、ほんのひととき席を外しただけのようで。
それが、かえって胸を締めつける。
「……大きな、窓ですね」
思わず、声が零れた。
壁一面に広がる白い窓枠。
その向こうには、夜の風を孕んだテラスが続いている。
「ここから――」
ルーカスが、低く言った。
「姉君は、身を投げたと聞いているよ」
ロザリーは、なにも答えず窓を開ける。
そして、静かに、テラスへと足を踏み出した。
冷たい風が、頬を打つ。
石の床は、ひどく硬く、冷たい。
柵に、そっと指をかける。
――高い。
想像していたより、ずっと遠い地面。
ここから、落ちたら――
喉が、きゅっと、詰まる。
……ここから、姉は落ちた。
その事実が、胸に突き刺さった瞬間、視界が白く弾けた。
(……姉さまは、
この高さを、どんな気持ちで、見下ろしていたの……?)
恐怖は、なかったのか。
痛みを、想像しなかったのか。
それとも――それさえ、どうでもよくなるほど追い詰められていたのか。
血の気が、すっと引いていく。
その時。
背に、何かが触れた。
反射的に、突き落とされる錯覚に、身体が強張る。
「……ッ!」
「そんなに、身を乗り出すと、危ないよ」
低い声とともに、温かな腕が背中を包んだ。
ルーカスが、ロザリーを確かに支えていた。
「……あ」
「どうしたんだい?」
「……なんでも、ありません」
突き落とされる想像をしたなど、言えるはずもなく。
ロザリーは、ゆっくりと柵から手を離した。
(馬鹿な考えだ。この人が、わたしを害する理由なんてどこにもないのに……。)
その後、ロザリーたちは部屋の中をくまなく調べた。
けれど――何ひとつ、決定的なものは残されていない。
「……特に、めぼしいものは、ないね」
ルーカスが、わずかに肩をすくめる。
「はい……」
ロザリーは、胸の奥に沈む重さを抱えたまま、もう一度、室内を見渡した。
整えられた寝台。
曇りひとつない鏡。
乱れのない机上。
「この部屋は……あまりにも、変わらなすぎます」
声は、知らず低くなる。
「まるで姉さまが自ら身を投げた――とでも言うように。……もし、争った痕跡があったとしても、もう、片づけられてしまったのでしょう。姉が亡くなってから、数日が経っていますから」
その言葉は、半ば推測で、半ば願いだった。
――痕跡があったと、信じたい。
自ら死を選んだのではないと、どこかで否定したい。
「……なるほど。そうだね」
ルーカスは否定も肯定もせず、相槌を打った。
やがて、ロザリーたちは静かに部屋を後にする。扉が閉まる音がやけに大きく耳に残った。
廊下を歩き出した、その時。
前方から、弾むような明るい声がこちらへ跳ねてきた。
「ルーカス様!? 王宮にいらしてたんですか~。一言、仰ってくだされば、お迎えしましたのに……」





