第十話 日輪
時折喊声を聞いた。
闘争も死の絶叫も、それほどに生を謳歌しているように思える。
葉の青臭さが充満している。
いくら歩もうとも道は途絶えず、夜は明けない。
否、実際は幾たびも明けたのかもしれない。けれど、己の目が映すのは闇だけである。
もう、日の光すらも光と思わなくなってしまったか。
幾たびも躓き倒れ、また発作のように嘔吐した。耐えられない痛みから逃げる時には苦しむことも快楽であった。
徒労に終わるだろう。何もなしえないだろう。これまで幾夜も何かに急かされるように躰に寝ることを許さず、徘徊をしたが、それによって変わったことはなかった。
ただ、己が精神を壊しただけであった。
だが、それでも夜よ、どうか明けないでくれ。己はまだ姉のいない昼を経験したくはないのだ。
どれほども彷徨っていない。時の進みは速く、ふと目を上げるともう輝きの予兆は始まっている。刻限は迫ってきた。
懸命に探す。何かを。
探して、探して、探して。苦しく、叫びたい。醜下の声なぞ誰も聞かぬことを理解してなお、この苦しみを包んでくれるものを全て投げ込んでしまいたい。
音を聞いた。鎧の擦れる音であった。
いつの間にか喊声は聞こえなくなっている。戦が終わったのか。戦場から離れすぎたのか。何れにせよその音は不自然なものであり、己の足はそちらへと向かう。
敵であっても、例え殺されるのであっても、正気でいるよりかはなんと素晴らしい結末であろうか。
答えは分かり切っている。一筋の未来を掴めるというのであれば、それはそう――
―ーそうして、そこで彼に出会えたのは始めから決まっていたことなのであろう。
休息するように切り株に腰を降ろしているのは、最も求めていた黒鎧その人である。
その時の心境を何と表せばよいか。
深く黒いその姿はしかし太陽よりも明るい希望そのものだ。緊張が解けたように、涙がとめどなく頬を伝った。
足は早まり黒鎧へと近づいていく。
彼も己に気づいたようだ。兜に覆われた顔をこちらに向けている。新たな獲物を狩り終えた直後なのか、その在りようは、寛いでいるように見える。
彼の鎧が全て見えるようになった時、その足元に一つの首級があることに気づいた。
それは長い黒髪を持つ首で、顔は切り株の方に向いていた。
黒鎧はぞんざいに首の髪を掴み持ち上げ、誇るようにその顔を己に向けた。
足が止まったのは、それを見たからであった。
柳眉であり鼻梁あり、あらゆる顔の造形が完璧に整えられた顔は、瞼を閉じていたことにより燃えるような赤の瞳は見られなかったが、この世で最上の美を有する至美貴が一人、在真シウミに他ならなかった。
やおら黒鎧は兜脱いだ。
そこより出でた顔は、醜下にして醜いと断じるようなひどいものであった。
肌はただれ、左右の目の位置は悪意を感じるほどに不均等に配され、鼻はまるで豚のそれを酷く圧したよう。唇もなく、耳もなく、小雨のようにぽつぽつと髪の毛が広い間隔をあけて生えている。
想像上の幽鬼や亡霊すらも恐れるほどの醜貌である。
美は肉体なく、醜に弄ばれている。
それはつまり、醜下を超える最下の醜に、最上の美が敗れたのである。
気づけば、抱えていた姉のことも忘れ、己は泣きながら笑っていた。両腕は力を失くし、姉は地に落ちた。
黒鎧は立ち上がり、兜を被りなおした。そして己の前に来ると、両刃の剣を差し出した。
かつては拒んだ選択であった。だが、もはや、もう何も我慢することなどなかった。否、これそこが理想の状況とも言えた。
両刃を手に取った。両手で鞘を持ち、挑戦するように払暁の天に掲げ、そのまま、下の死体へと突き刺した。
瞬間、姉の笑顔が脳内をよぎり、その後異常な興奮が己を支配した。
両刃は狙い通り喉を抉った。そのまま腹へ轢いていき、股をかけ抜けた。
刃を投げ捨てた。胸の裂け目から皮を剥がすように両手の指を入れた。
鋭い数本の骨に当たった。痛みがした。指に傷が入ったのかもしれない。己の血と姉の血が、姉の中で混ざり合っている。細い骨を掴み、渾身の力を込めて無理矢理に開いた。溢れる血、出づる内物、香しい腐敗臭。
我慢ならず顔を中へ突っ込む。そこは冷たいが、同時に温かい。
醜い。醜い。醜い。姉もまた中身を出してしまえば醜下と変わらない。姉の中で口は手当たり次第に内臓を噛み食い啜った。
思い出すのは父を殺した後の光景か。
目の前には三つの食糧があった。一つは小さかったが、柔らかかった。一番大きなものが一番噛みにくかった。けれど、どれも中を開けてしまえば一緒であった。命を食う。村に来た姉をみた時、飲みの込んだ唾の意味は――
――己はただ、飢えていたのだ。
ああああああああああああああああああああああ。
顔を出して吠えた。
もういい――もういい。
躰中を巡っていた興奮は死への希求に様変わりする。
後ろから何者かが近づく音がした。否、己は黒鎧を信頼していた。彼は、両刃を拾い、いま後ろにいる。
「殺してくれ、殺してくれ」
叫んだ。
最後に見たのは、己の首を掛ける剣に反射した、朝日であった。
ああ、おそらく己は在真シウミのように安らかな首級となっただろう。
日輪が昇り、また、熱射の日が始まる。




