後編。一つの結果とまさかの理由。
「いきますよ、濡羽さん」
助手、新羽時雨が今や遅しとばかり、半ばスキップの足取りで体育倉庫へと向かった。
「なぜそうも、モチベーションを上げ続けられるのか。私にはわからないがなぁ」
ぼやいて、私は新羽君の後に続く。
不思議なのはこの男。同じ台詞を毎日毎日、何度も聞いているにも拘わらず、私の台詞の完成度が上がる毎に、こうして壁ドン検証に行く足取りが軽くなっているのだ。
あれから二週間。朝 夕 晩と、毎日壁ドンの特訓をし続け、徐々に台詞に慣れ 自然に発することができるようになった。
絶対に夜更かしするな、と助手に釘を毎日毎日数本差されながらの日々だった。そのせいで台詞の完成度がここまでになるのに、こんなに時間がかかったんじゃないかと思うんだがなぁ。
とはいえ、「目がこっちを見てないです」や「威圧的すぎます」、「威圧的なように見えて、それとなく相手を思いやるような柔らかさを」など、
なにをそうさせたのか熱の入りまくった演義指導のおかげなのかもしれないが。私の台詞が聞ける物になったと自負できるほどになったのは。
そして、更に不思議なのは、台詞の完成度が上がるに従って 聞いた直後ではなく、ワンテンポ遅れて頬を赤らめるようになったのだ。なんとも解せない反応である。
これは聞いた直後ではないから、壁ドンされた人間がときめいているのかどうかの判断基準からは外れている、と私は判断しているからだ。
「さ。どうぞ。お願いします」
「な……なにを身構えているんだ、君は」
体育倉庫に入ったところ、壁に既に背を付けんばかりの位置にいる新羽君が、出待ちならぬドン待ちしていたのだ。私の顔面も顰もうと言う物だろう。
こんな反応、これまでなかったぞ? いったいこの男は、なにを期待していると言うんだ……読めない。
「わ……わかった。気味が悪いが、私がやり出したことだしな」
まずいな。足取りを固くしては、不意打ちと言うドンシリーズの大前提が崩れてしまうではないか。
……まあ、新羽君には何度となくやってることだし、行うことがわかってるから不意打ちもなにもないんだが。
「あれ? どうしたんですか濡羽さん? 歩き方が硬いですよ? もしかして緊張してるんですかぁ?」
こいつ……日に日に態度がなれなれしくなっているとは思ったが、まさか煽って来るとは。
ーーいいだろう。ドンシリーズの醍醐味、見舞ってくれる!
「っ!」
一足飛びで奴の前まで到達してやった。
「にがさん、貴様だけは……!」
そのまま踏み込んで両手を壁に突き立てて、助手の逃げ場を塞ぐ。
「ひっ!」
恐れたか。ドン開始時のリアクションは、やはりこれが正常と言うものだろうな。
「草食系のくせに私を正面から煽るなど……!」
「ひいい! ごめんなさいごめんなさい調子に乗りましたっ!」
ーーだが。私の求める反応はここからだ。追撃を受けて、貴様はどんな反応をする? 新羽時雨っ!
「あっ」
逃げるつもりだったようだが、背中と後頭部を壁に激突させて目から星を散らした……漫画みたいだな、実際こうなるとは驚いた。
「いってぇ……」
小さく、ただでさえ高目の声を更に高くしての痛がり独り言。しかしその表情は、相変わらず恐怖を訴えている。
こいつは自ら壁に陣取った。その時点で逃げ場はない。これ以上ない「ドン」のシチュエーションだ。
よし、いくぞ。
「……ぐ」
なんだ。鼓動が早くなっている? これまで一度たりともこんなことはなかった。素で出た怒りからの飴と鞭ならぬ、鞭からの飴に心が付いて行っていないのか?
……深呼吸。鼓動を落ち着けねば、台詞に入れない。もう一度深呼吸。よし、落ち着いたぞ。
「新羽君」
ドンのシチュエーションでの台詞を、今見下ろしているこの新羽助手からレクチャーを受けた。まず名前を呼べ、と。
「はっ、はいっ」
声が裏返ったか。
「お前が好きだ。私の物になれ」
ぐ、か。なんだっこの息の詰まりっぷりはっ! この台詞を、私はいったい何十回言った? なぜ今回に限ってこんなことにっ?
いけない、新羽君を見ておかねば。そうでなくてはここまでして、壁ドンをしている意味がないっ。
「……」
無言。ノーリアクションか。やはり、現実は物語とは違u
「はいっっ」
ぐ……な、なんだそのキラキラした、まるで少女のような瞳と、輝くばかりの笑顔はっ! まぶしいっっ!
「喜んでっ! ぼくをあなたの物にしてくださいっ!」
「え、あ、いや。そのおもいっきり本気なテンション……どういうことなんだ?」
困惑しきりだ。わけがわからない。この男は、たかが検証のための茶番でなにを本気になっているんだ?
「ぼく、前から濡羽さん。あなたに憧れてたんです、かっこいいなぁって。だから。だから、あなたの物にしてください!」
「……はぁっ?!」
今度は私の声が裏返ってしまった。
だが、そうか。合点が行った。
こいつがなにゆえに、私の検証にしぶしぶのように見えてノリノリで付き合っていたのか。
なにゆえに、台詞の完成度を高める毎に、その台詞を顧みたように、気味の悪い含み笑いを浮かべていたのか。
そしてなにゆえに、モチベーションを維持するどころか上昇させ続けていたのか。
抜け目のない男だ。
「貴様は最初から。壁ドン検証にかこつけて、私に告白させるつもりだったんだな。私の物になれ、と言う言葉の告白を」
しかし、台詞 つまりは茶番の告白で満足するとは、流石の草食系と言ったところか。やれやれ。
「はい、ぞのどおりでず」
「デレデレするな気持ち悪い! くっ、だからあんなに事細かに演技指導をしていたのかっ。自分の理想とする、上から目線の告白をされんがために……」
「ぞうにぎまっでるじゃないでずが。そうじゃながっだら、あんだでぃ真剣になんで教えまぜんよ」
「気持ち悪いと言ったのが聞こえんのか下僕っ、そのふやけた顔面をなんとかしろ!」
「……は、はい。かしこまりましたっ!」
「よし。まあ、一つ理解できたことはあった、それでよしとしよう」
「なんですか?」
「壁ドンや各種ドンがときめきとして描かれている理由だ」
「おお、わかったんですか!」
私の、壁ドン検証と言う目的についても、しっかり喜んでいるか。
この男、我欲のために私を利用しているだけかと思えば、すっかり助手としての立場が板についたらしい。
「おそらく、だがな」
「それでもいいじゃないですか。それで? その理由は?」
興味津々と言った感じで聞いて来た新羽君。一つ頷き、私はその問いに答えた。
「ギャップ萌え
だ」
「ギャップ萌え、ですか」
「そうだ。貴様の態度の豹変で学んだのだ。貴様は私の瞬時の間合い詰めで、一瞬にして恐怖に囚われた。
だが、私の『台詞』と言う、雰囲気はあるが心のない告白に態度をぐにゃぐにゃに軟化させた。
それはおそらく、怒りに震えた私から、それと正反対の好意的な態度を取られたことで、
極度の『飴と鞭』によって自らの私への好意的な感情が制御できなくなったのだろう。
それはつまり、怒りから好意と言う極端なギャップにより、
『なんだよ、こいつ 実は好きだって言うのが恥ずかしいだけなんじゃねえか。かわいいなぁ』
と言う『萌え』が生まれる。そういうことだろう」
「……その発想はなかった」
本気で感心している様子だ。
「さて、カラクリさえわかれば次の段階だ」
「次、ですか?」
「ああそうだ。貴様は最初から私への好意がMAXだった。それは一つの検証結果として貴重だ。そんな人間、そうはいないからな」
「そうかなぁ?」
「となれば、次は私への好意が少ない、もしくはないような人間を相手にこの『ドン』を行った場合、はたしてときめきへと発展するのか、と言う検証をしなければならない」
「そんな 義務みたいな言い方で……」
「サンプル一つでは検証データとしては物足りないだろう?」
「それは、まあ。そうでしょうけど」
「そういえばこの間、貴様は私の容姿がどうとか言っていたな」
「あ、はい。男子の中では、かなり人気ですよ 濡羽さん」
「そうなのか?」
「はい。女子の中にも、その立ち振る舞いをかっこいいと思う人はいると思います。
……こんな変わり者だとは思わないでしょうけど」
「なるほど。つまり、だ」
「はい」
「男子に対してよりも、女子に対してやった方が検証のしがいがあると言うことだな」
「えええ! そういう思考の展開!?」
「よし、今日は帰るとしよう下僕。ここから先は、精神難易度がぐんと上がる、英気を養わねばならない。
が、それは逆を言えばやりがいがあると言うことだ。
クックック。ハッハッハッハッハ!」
「またその悪役笑いですか……」
こんな奴に、茶番告白とはいえ、一瞬ときめいてしまった愚かな自分を笑い飛ばし、私は体育倉庫を後にした。
こうして引き続く私の壁ドン検証。今度のターゲットは。
ーー同性だ!
ジ・エン DON!