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第十章 覆面令嬢の宣戦布告――ターゲットは王子!

 王宮での正体疑惑を完璧な淑女演技とロイヤル卿の乱入によって退けたエリス・ヴァレンタイン。王子たちの追及を完全に振り切り、油断と全能感に浸る貴族たちを余所に、地下闘技場での覆面令嬢ローズ・ド・モンフォールの進撃はついに最終局面へと突入していた。数々の高位貴族の刺客を打倒し、連勝に連勝を重ねたローズの公式ランキングは、ついに最高峰である「公爵級(デューク・クラス)」へと跳ね上がっていた。地下闘技場において、公爵級のレスラーには一つの特別な絶対権限(ロイヤル・プラクティス)が与えられる。闘技場のすべての階級の者を、拒否権なしで指名対戦(マイルストーン・チャレンジ)できる権利。それは、この地下格闘界における絶対的な王者の証であり、指名された者はどれほど身分が高かろうと、リングに上がるか、あるいは全財産と名誉を捨てて逃亡するかの二択しか残されない地獄のルールであった。



 その夜。地下闘技場は、かつてない異常な熱気と興奮に包まれていた。「熱狂せよォォォーーーッ!!狂喜乱舞せよォォォッ!!!」実況アナウンサーの絶叫が、超満員の観客席の怒号にかき消されそうになる。「無敗!無敵!貴族社会の不条理を叩き潰し続けた漆黒と真紅の破壊姫!ローズ・ド・モンフォール――ッ!!今夜、ついに前人未到の『公爵級』昇格だァァァッ!!」



ウォーァァァァァァァァァッ!!!!!



 地鳴りのような大歓声。興奮した男たちが帽子を投げ飛ばし、貴族の女性たちすらも立ち上がってその名を叫ぶ。 赤コーナーのリング中央。赤黒のフリルユニフォームを身に纏い、漆黒と金の仮面をつけたローズが、優雅にスポットライトを浴びて立っていた。その隣には、黒と紫の修道服コスチュームを着たシスター・グレイスが静かに手を合わせ、祈りを捧げている。VIP貴族席の最前列。そこには、新愛人のジュリアを抱き寄せ、優越感に浸りながらワイングラスを傾けるレオンハルト王子の姿があった。「フン……公爵級だと?たかが覆面女が調子に乗りおって」王子は鼻で笑い、ワインを煽った。「まあいい。どれほど地下で持ち上げられようと、所詮は裏社会の泥ドジョウに過ぎん。我が国の権力と軍隊の前には無力な存在だ」「おっしゃる通りですわ、殿下!あんな粗暴な女の試合など、見ていて胸がムカムカいたしますわ」ジュリアが媚びるように胸を押し当てる。王子は完全に油断していた。 昼間のサロンで、婚約者であるエリスを疑惑から外し、「あの弱虫なエリスがローズなわけがない」と高くくっていたからこそ、自分が安全圏にいると信じて疑っていなかったのだ。だが事態は一瞬で一変する。ゴングの音がひとつ、重々しく響いた。



カァァァン…………!



 リング中央のローズが、実況から金色のマイクを受け取った。観客たちの歓声が静まり返り、息をのんで彼女の動向を見守る。ローズは静かに、ゆっくりとVIP貴族席の方角へと視線を向けた。仮面の奥で、真紅の瞳が怪しく、そして冷酷に光り輝く。「皆様……今夜も素晴らしい熱狂をありがとうございますわ」静かで、透き通るような美しい声が、魔法のように闘技場全体へ通る。「わたくしは今夜、公爵級へと到達いたしました。……そして、公爵級レスラーに与えられた指名権を行使させていただきます」おぉぉぉぉぉぉ……ッ!観客席からどよめきが上がる。一体だれを指名するのか。公爵家の有力者か、あるいは他の団体のチャンピオンか。ローズは優雅にドレスの裾を摘んで一礼すると、スッと細くしなやかな指先を伸ばした。その指先が指し示したのはVIP席の中央、レオンハルト王子の胸元であった。「な……!?」王子が思わず目を見張る。ローズは口元に極上の、甘く残酷な笑みを浮かべ、マイクに朗々と声を乗せた。



「わたくしが次に指名いたしますのは――」



緊張が極限まで高まる。



「――第一王子、レオンハルト王子殿下。あなたですわ」



「………………。」



 一瞬の静寂。次の瞬間、闘技場を破裂させるような破天荒な大歓声と大悲鳴が巻き起こったァァァァァッ!!!!「「「うおぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?!?王子指名だァァァァァッ!!!」」」「マジかよ最高だぜローズーーーッ!!」「レオンハルト王子を指名したぞぉぉぉッ!!」「な……なにを……っ!?」レオンハルト王子の手からワイングラスが滑り落ち、絨毯の上でパリンと砕けた。顔面からサーッと血の気が引き、土気色に変色していく。「で、殿下……!?あの女、殿下を指名しましたわ……!?」ジュリアも驚愕のあまり悲鳴を上げた。「無、無礼者ッ!狂っているのかあの女はッ!私はこの王国の第一王子だぞ!?たかが地下格闘場のリングに上がるわけが――」王子が怒狂して立ち上がり、罵声を浴びせようとしたその時。実況アナウンサーがマイクを奪い取り、錯乱したように叫んだ!「決まったァァァァァッ!!公爵級レスラー、覆面令嬢ローズ・ド・モンフォールによる指名だァァァッ!!地下闘技場の絶対誓約(ロイヤル・ルール)により、拒否は王家としての『無条件敗北と全財産没収』を意味するッ!!さあ……レオンハルト殿下!逃げるのか!?それともリングに上がるのかァァァッ!!」「「「受けて立て!受けて立て!レオンハルト!レオンハルト!」」」数千人の観客たちが拳を突き上げ、地鳴りのような「レオンハルトコール」を巻き起こす。公衆の面前。王国中の貴族や富豪が見つめるこの大舞台で、指名を断れば「恐怖で逃げ出した腰抜け王子」として王位継承権は完全に失墜する。上がるしか……選択肢がなかった。「くっ……くそぉぉぉぉぉッ!!!」レオンハルト王子はガタガタと膝を震わせ、絶望と怒りに満ちた顔でリング上のローズを睨みつけた。だが、正体を知る由もない王子は、未だに信じていたのだ。「自分は王子直伝の格闘技を修めている。あの覆面女を返り討ちにして見せ物にしてやる」と。リング中央で、ローズは優雅に両手を広げ、王子の恐怖に歪む顔を完璧な美貌の裏で見つめていた。隣に立つシスター・グレイスが、そっと胸元で十字を切る。「神のご加護がありますように……殿下の骨と関節に」ローズは真紅の瞳を妖艶に細め、誰にも聞こえない声で甘く囁いた。(ふふ。待っておりましたわ、レオンハルト殿下)婚約破棄、虐げられた日々、そして自分を踏みにじってきた傲慢な王族への真の復讐。すべての舞台は整った。



 (わたくしの『芸術』と、シスターの『医学』……その全身で存分に味わいなさいませ。……本番は、ここからですわ)



 圧倒的な熱狂と恐怖が交錯する中、運命のゴングのカウントダウンが始まろうとしていた。





【エピソード一 完】



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