3 From the beginning
明け方、サンジは目が覚めてしまった。
(この時間じゃ二度寝もしづらいな……)
折り畳み式のベッドをソファーの形にして、背をもたせかけた。
まだ頭が働いていない。
なんとなく、ずっと昔のことが思い出されてきた。
イサオは高校二年生には見えない、いかつい顔をしていた。
がっしりした身体に猪首なことも手伝って、中年男みたいに見えた。
自分でもそれに納得していたようで、ものの言い方もどこか落ち着いていた。
クラスに何人かはいるオヤジとかそういうふうに呼ばれるタイプだ。
特に人気者というわけではないけれど、誰にも嫌われることのないようなヤツだった。
そろそろ秋に入ったかなというころ、レクリエーションの時間にみんなで野球をしたのを思い出す。
もちろん軽い遊びだったから、運動着にも着替えず黒い学生服のままで、イサオは打席に立った。
現役時代の最後には巨人軍にいた張本勲、名前も同じだが、その選手にそっくりな立ち姿で、なかなか格好いいなとサンジは思った。
二球目か三球目を彼が打って、ボールはきれいな放物線を描いて体育倉庫の裏まで飛んでいった。ホームランだ。
イサオは得意になったようには見えなくて、少し困ったように顔をしかめてベースを回っていた。
同級生たちが大学を出て就職し、何年か経ったころ、サンジは路上で友人のひとりに会った。
何か用事があったのか、偶然だったのか、それは憶えていない。
「おまえ、イサオが死んだの知ってるか」
「えっ、なんでだよ、頑丈そうだったじゃないか」
「朝、起きてこないんで親が見に行ったら死んでたんだってさ、突然死ってやつだよ、おれたちのトシでもあるんだよな」
「心不全とかかな」
イサオとはたまに普通に話すだけで親友とかそういう感じではなかったから、家を弔問で訪ねるということはしなかった。
サンジが思い出したのは、青空に浮かんだ白いボールだった。
亡くなる直前に彼の脳裏に何が映ったのかはわからない。
一瞬のことで自分では何もわからずに世を去ったかもしれない。
ひょっとしたら、あのホームランを打った時のことを思っただろうか。
それはただ、サンジがそう想像しただけのことだ。
人は、美しかった一瞬のためには生きられない。
そのあとに長い、忍耐や退屈の日々がある。気の毒なイサオにはなかったけれど……。
「朝からポエムしてる場合じゃねえや」
声に出して言い、サンジは身支度をして部屋を出た。
電車の中でもう少しあとのことを思い出す。そういうクセがついてしまったのか。
サンジは、いまより若かった時は、どちらかと言えば気が短いほうの人間だった。
なぜいまのような考えになったかというと、思い当たることはある。
はじめてサンジが関係らしい関係をもった女性のことだ。
年上の人妻、といってもまだ二十代だった。
前後のいきさつは省くとして、ある時サンジは彼女に訊いた。
「だんなが嫌いとか不満があるわけじゃないんでしょ?」
「そうだね、別に好きとか嫌いとか考えたことないし」
「……だって、好きで結婚したんじゃないの?」
「どうやって断ったらいいかわからなかったのよ」
サンジは一瞬、彼女が何を言っているのかわからなかった。
「熱心に申し込んできたし、ほかにやりたいことがあるわけじゃなかったから、なんだか悪いような気がして」
そんな理由で人は結婚するものだろうか?
サンジは彼女が冗談で言っているのかと思った。
彼女には、サンジがどう感じているかわかったようだった。
「それじゃ自分の意思もなんにもないバカ女みたいでしょ?
そうかもしれないけど……世の中にはね、あんたみたいに何でも自分で考えて自分で決める人間のほうが少ないのよ」
うつぶせの状態から顔を起こして肘をついた彼女は、笑顔で言った。
裸の肩を青く月の光が照らしていたのを思い出す。
それなら、いま彼女はどんなつもりでサンジの横にいるのだろうか……。
休日の昼間、彼女は口実をつけ、50ccのスクーターに乗ってサンジのアパートへ来た。
「勇ましいもんだなあ」
「誰でもこのくらい乗るでしょうよ」
「こうやって……右がアクセル?」
サンジは乗ったこともないスクーターにまたがり、発進させていた。
「楽しいじゃん」
回りの路地を一周して彼女のところへ戻ってくる。
「これ、どうやって止めるんだ」
無鉄砲にもほどがある、若かったとはいえ……。
彼女との別れの場面は、記憶喪失のようにサンジの頭の中から抜け落ちている。
人は、自分を護るために、本当に思い出したくないことは忘れてしまうのだ。
どうも、スタートから間違っているような気がする。
※昔のこととはいえ、無免許運転は絶対ダメ、真似してはいけません




